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●大阪天満宮の梅
桜を見に行きたいと思いながら、福島県の辺鄙なところにあって、たぶんこれからも訪れる機会がない。そこで滝梅と呼ばれる樹齢数百年の梅の古木があるのかどうかと気になる。同じバラ科なのでありそう大が、聞いたことはない。



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先ほど録画で梅原猛のスーパー能を取材したドキュメンタリーを見たが、そこで梅原は芽が膨らんだ梅の木を愛でながら、桜の華やかさがなく、さびしげだと表現した。確かに一般的にはそうだが、それは表面的な見方で、咲いてぱっと散る桜は梅よりも本当はさびしく、1か月ほどは花が楽しめる梅の方が華やかではないか。だがこれは「華やか」の言葉をどう捉えるかによる。「豪華」の観点からは桜が梅を上回り、また巨木になる点でもそうだ。筆者は桜よりも断然梅を好み、また1本だけ桜を庭に植えていいとなれば枝垂れの品種を求める。それにはかなり広い庭が必要で、生きている間にはもう無理だ。老境に差しかかるとますますひとつずつ諦めて行くことになるが、逆に言えば諦めが早い人は速く老人になるかもしれない。そう思って物を手放さないが、それに比例して家内の逆鱗に触れる。ため込んだ物にはひとつひとつ思い出があっても、死んだ後に残された者がそれらの処分に困ることを案じ、まだ元気な間に手元にある物の行き先を決めることになるのが世間の相場だ。いずれ筆者もそれを実行せねばならないが、本当にそうするのかという思いの方が今は大きく、手元にある思い出が詰まった物にいつまでも囲まれていたい。老人ホームに入るにはわずかな物しか持ち込めないと聞くから、筆者には老人ホームは監獄に思えるが、梅原猛が最晩年の2,3年をどのように過ごしたかを想像すると、長年親しんだ蔵書はもとより、庭木とも縁のない状態でベッドに横たわっていたであろうから、どの道、愛した物とは生きている間におさらばしなければならない。筆者は蔵書などため込んだ物は知れた量であるからどうでもいいが、気になる物が少しはある。特に自分の作品がそうだ。美術館に所蔵されるのが最も長生きする手立てだが、寄贈すると言っても受けつけてもらえず、さりとて売るとなっても誰も買わず、ひょっとすればリサイクルショップに持ち込まれてあちこち無残に傷ついた形で世間に晒されるかもしれず、そのことを想像するといたたまれない。それで思うのは、表現者として一番いいのは物として見える何かを作るのではなく、口伝されるか書物として残るかだ。そう考えて筆者は自作の友禅染の作品の大部分を業界の専門誌に原色図版で載ることを望み、それを実現して来たが、そうでもしない限り、自作の記録が後世に残りようがないからだ。ただし、今後現代の友禅染を真剣に研究する人が現われ、そうした業界誌を熱心に分析するかとなればその可能性はきわめて少ない。また図版のみではせいぜいデザイン性がわかるだけで、技術面は伝わらない。
●大阪天満宮の梅_d0053294_13062922.jpg
 筆者は自分のホームページで友禅染について紹介しているが、それが筆者の死後にどうなるかは予想がつかない。サーヴァーに料金を支払わなくなれば自動的に消えるとして、そうなる前に自分が作った情報を記録媒体に保存し、それを複数作って各方面に配ると、著作と同じ役目を果たさないかとぼんやり思っている。またそうした人がたくさん現われれば、それを扱う業者やまた保存する図書館が出て来るのではないか。つまり、CDやDVDと同じだ。その記録媒体をパソコンに差し込むと、ネット上での閲覧と同じように出来る仕組みがあればいいが、今はなくてもいずれ可能となるだろう。大事なのは作ったデータであって、それは時代の変化に応じて記録媒体が変わり、また閲覧する仕組みが変わる。そう思って中途半端にしているホームページを充実させる必要を感じているが、いずれ自分で記憶媒体に保存しなくても、それを代行する会社が現われるだろう。またそれはすでにあるかもしれない。ともかく、自分の仕事を他者にわかりやすく伝達する方法として、実物の作品が最もよいのは確かだが、それ以外に考えを文字や写真で記録したものを著作ないしネット上の情報として残したいと思っている。前者は出版社が関係するので普通の人はハードルが高く、今後は後者が優勢になるだろう。このエキサイト・ブログでは投降を本にしてくれるサーヴィスがあるが、筆者のように毎日長文を書いている者には現実的でなく、ブログの投降はネットで見るのが最適と考える。梅に話を戻す。先日の24日は大阪に出た。実はその日は国立国際美術館の無料観覧日であることを以前から知っていて、そこで開催中のボルタンスキー展を見た後に心斎橋に向かうつもりでいた。ところが気がどう動転したのか、同展のことをすっかり忘れてしまった。筆者には珍しいことと言いたいが、そういう度忘れが多くなり始めて来ているのかもしれない。何か忘れていると感じているのに、それが思い出せない。それで24日は天六に出てそこから大阪天満宮、そして天神橋をわたってからジグザグに西南方向に歩いた。天六に出たことが間違いで国立国際美術館に行くには梅田駅に着かねばならない。ま、ボルタンスキー展はまだやっているので出かけ直せばいいが、24日に見忘れたという失態を思い起こすと気が重い。今日の最初の2枚の写真は天満宮の北端で撮った。左後方が繁昌亭だ。同じ満開の白梅で、角度を変えて撮ったが、一羽の黒っぽい鳥が留まっていて、すぐ近くに人がたくさんいるにもかかわらず、しきりに花の芯に顔を近づけていた。人に慣れているのか、あるいは人に対する恐怖よりも花の蜜を吸いたい欲求が勝っているのか。3枚目の写真は鳥居をくぐって少し南の本殿東だ。多くの人が記念撮影中で、なかなか梅のみを撮ることは難しい。写真の女性は本人が見ればわかるが、偶然入ったということで許してもらおう。
●大阪天満宮の梅_d0053294_13065974.jpg

by uuuzen | 2019-03-01 23:59 | ●新・嵐山だより
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