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●「APOLLO(APOLLON MUSAGETE)」
の末広がり具合はまあ妥当な角度だ。バレエを習う人は両足をその角度どころか180度に広げ、胸を屈めてべたりと地面にくっつけられるだろう。酢蛸をたくさん食べれば体が柔らかくなるのかどうか、蛸は高くてめったに買わないのでわからない。



●「APOLLO(APOLLON  MUSAGETE)」_d0053294_22351230.jpg
末広がり具合でここ数年気になるのは、男性のシャツの襟の開き角度だ。八の字程度の広がりが今は水平に近い160度くらいになった。それではネクタイが首を取り巻く様子が見えてだらしないが、丸見えの誇示は今の風潮と釣り合っているのだろう。そうした流行はそれ以前のものをなおさら古いと感じさせる。シャツの襟の角度の変化は、シャツ製造業者が経済的に潤うために新しいデザインのものを次々と作り出す必要があるからでもあり、それでまだまだ着られるシャツが古臭く思え、襟が240度くらいに開いたものが出現するのは時間の問題だ。話をバレエに戻す。先日家内がTVで『白鳥の湖』を録画した。それをほんの少し筆者は見たが、20名ほどの長身で細身の女性が一斉に踊る様子は本当の白鳥以上に美しかった。そこにひとりの男性が混じっていた。痩せ型で化粧にもよるためか、美形でしかも知的に見え、バレエがヨーロッパ最高の芸術のひとつであることを納得した。男の美形でついでに書いておくと、ジャニーズ系の連中は知的さでは全滅に見える。男がそれでは何の値打ちもないとかつて都蝶々が語っていたことを思い出す。それは四半世紀前のことであり、シャツの襟の開き角度と同様、今は今の見方があるとの反論があるだろう。だが、知的な顔に流行はない。それに美しい顔というのもだいたい意見が一致する。先日の大阪での郷土玩具の会で、会を仕切るKさんが2月11日の年1回のお祭りを見るために神戸市の北の僻地の真言宗の寺に訪れたことを写真つきで報告した。Kさんがスクリーンに映し出した写真に、寺の中で赤ん坊を抱く中年のキモノ姿の女性の上半身を撮ったものがあった。Kさんはたまたま見かけた孫を抱く見知らぬ女性が美人なので撮ったと言い、その言葉を3,4回繰り返してはその写真に戻った。その思いがよくわかった。男は美人に目がないからだ。また確かに誰が見てもその写真の女性は美しく、しかも気品と知性が滲み出ていた。TVで筆者好みの美女はめったに出て来ないが、ごくごくたまに好みの女性が現われると家内に正直にそのことを言う。絶対に会えない相手であるので家内は嫉妬することもなく、むしろその女性がTVに登場すると筆者と同じようにニコニコ顔になる。筆者にとって知的で美人で品がよくてお洒落でしかもとても優しそうだという女性は俳優やタレントではまずいない。真の美女はそういう虚飾にまみれた世界にはない。いても場違いから駆逐される。それどころか、そういう世界の女は本性は男そのもので、グロテスクだ。それは男も同じだ。グロテスクさ加減が強いほどに世間でもてはやされる。
●「APOLLO(APOLLON  MUSAGETE)」_d0053294_22355679.jpg アメリカでもそれは同じで、ザッパはそういう芸能界を嫌悪し、作品でよく揶揄もした。10代半ばでストラヴィンスキーやヴァレーズの音楽を格好いいと思ったザッパだが、それは当時のアメリカではきわめて稀なことであったろう。現在の日本ではどうか。親がクラシック音楽好きという少年少女はたぶん100万人はいる。その中の1パーセントが音楽家を目指すとして、さらにその中の1パーセントがそれなりに世間に知られる存在になるだろうか。それでも多いだろう。それはともかく、10代でどういう音楽を好んで聴いたかでその人物の将来の音楽の好みが決まる。ザッパはそう考え、アメリカで聴かれる音楽に絶望感を抱いた。それは日本でも大差ない。一生ストラヴィンスキーやヴァレーズの音楽を聴かない人が国民の99.9パーセント以上いて、しかもその現実はそうした人々に何の不利益ももたらさない。知性がゼロのようなアイドルが跋扈し、その裏で大儲けする女衒のような会社が乱立する。芸術をほとんど誰も求めておらず、明日は主役が入れ変わる芸能で充分というわけだ。さて、このカテゴリーで以前「プルチネルラ」について書いたかと思ったが、まだであった。そして先日の満月の夜の投降に今日取り上げる「ミューズを導くアポロ」について触れたので、今日はその曲について書く。筆者はストラヴィンスキーの作品では新古典主義時代が最も好きで、「プルチネルラ」と「アポロ」を双璧としてよく聴く。同じ時代の「アゴン」をザッパは好み、その主題をステージでよく演奏したが、「プルチネルラ」や「アポロ」は弦楽器が目立ち、あまり好まなかったであろう。筆者は1982年に「世界完全限定発売 200セット直輸入」と銘打ったLP31枚組のストラヴィンスキーが指揮する高価な『ストラヴィンスキーの遺産』を買った。そのCD化は二度目の発売では2000円台の超廉価版となったが、LP31枚組は各ジャケットが素晴らしい。それに充実した冊子やLPジャケット内にはストラヴィンスキー本人の英仏独の3か国語による解説がある。筆者は普段はそのCDを聴いて、LPはたまに引っ張り出す程度だが、それは贅沢な気分で、当時の給料の半分ほど出して買っただけはあるという思いと一体になっている。10代のザッパが思い切ってヴァレーズのLPを買ったのも同じであったはずで、芸術好きはたまには身分不相応な買い物をすべきだ。それが後々の大きな財産になる。またそういうことをごく若い頃にしない人は大人になっての興味の範囲の広がりは限られる。1982年からもう40年近く経ったが、筆者の内部でストラヴィンスキーは全く色褪せていない。「アポロ」を繰り返し聴きながら、40年近い歳月が一瞬である一方、芸術が時代を超えていることに感じ入っている。しかも「アポロ」を聴くにふさわしい春めいた季節だ。これほど贅沢な気分はない。
 筆者が最初の個展を開いた昔、ストラヴィンスキーの新古典主義時代の曲をカセットに録音してBGMに使った。会場を訪れた人はその音楽を聴きながら、誰の曲かと訊ね、また筆者の作品に大いに似合っていると言った。ということは筆者の作品は新古典主義風ということになるが、そのとおりと言ってよい。古典そのものではなく、古典の端正な雰囲気を新しい感覚で表現しようとするものだ。ストラヴィンスキーが「春の祭典」のような管弦楽によるロックと言ってよい音楽を書いた後、新古典主義に作風を変えたことは、前衛主義から見れば後退だが、ひとりの作曲家としてさまざまな作風を試すことはいいことだ。ストラヴィンスキーの新古典主義時代の幕開けとなった「プルチネルラ」は、そのバレエの衣裳をピカソが担当した。パリでの双方の新古典主義時代の作品におけるギリシア芸術の現代的解釈は、筆者にはアール・ヌーヴォーやウィーンの分離派の作品とは違って、とても明るくて雄大な気分にさせる。それは見方によればどこかグロテスクだが、それ以上にギリシア的な美の明晰さが露わで、それは日本ではついに生まれなかった芸術だ。日本がギリシアの歴史を継いでいないからにはそれは当然だが、ギリシア美術に一旦魅せられた者は生涯その誘惑から逃れられないと言ってよく、その意味で筆者はギリシア美術と1920年代のピカソやストラヴィンスキーの作品のどちらにも魅せられ、その造形上の差が時代と個性によるものとして、その個性は洋の東西を乗り越えて普遍的に存在するものだろうか。簡単に言えば、ギリシア美術と20世紀の新古典主義、そしてそれから1世紀後の現在、日本において新古典主義があり得るか、またそうだとすればそれはどういう形を採るかという関心だ。もちろん「プルチネルラ」は18世紀イタリアの音楽をつぎはぎしながら現代的なものに作り変えた作品で、新古典主義はギリシアだけを範とするものではないが、ヨーロッパはギリシアを最大の源として来て、たとえばD・H・ロレンスのようにキリスト教を嫌悪してそれ以前のギリシアやエトルクスの美術を賛美する者も20世紀に入って出て来る。それは発掘などによって古代のことが明らかになって来たことによるが、一方では神話が連綿として伝わって来ていて、彫刻家や画家はそれに触発されて創作を行なって来た。ところで、「アポロ」を作曲するに当たってストラヴィンスキーは「プルチネルラ」のように引用すべき古典がなく、ギリシア時代を想像するしかなかったが、不思議なものでストラヴィンスキーは古代ギリシアの限られた音階をそのまま用いず、題名を「アポロ(を導くミューズ)」としただけであるのに、聴き手はギリシア神話を思い浮かべながら聴く。それは荘重さや神秘性、そしてバレエ曲であるといういくつかの条件下で書かれたからでもある。
 1928年に書かれた「アポロ」は委嘱作だ。エリザベス・スプラーグ・クーリッジが国会図書館の小ホールに見合う小規模の弦楽合奏用の30分の曲として依頼した。ギリシア神話のアポロとミューズの神を題材に表現することはストラヴィンスキーを戸惑わせた。すでに「プルチネルラ」で作曲技法を確立していたし、ミューズがアポロを創造したのではなく、アポロは確立した神格を持っているからだ。それで、ミューズたちのアポロに対する賛辞としての芸術を提示することにした。つまり、ミューズによって讃えられるアポロで、その輝かしくて美しい様子は遺憾なく表現されている。非現実的であるのは言うまでもなく、どこか閉じた天国のような別世界での情景が目に浮かぶようで、筆者はこれと同じ感覚をもたらす音楽をほかに知らない。またストラヴィンスキーも二度と同じような曲を書かなかった。昔書いたことがあるが、20年ほど前にドイツ文化センターであったか、筆者はこのバレエ曲の映像を見たことがある。それは聴き慣れた曲がこのように踊られるのかと、音形と身の動きの見事な一致に驚いたが、視覚的なバレエを省いた形で音楽のみを聴いてもミューズたちやアポロの動きが目に見えるようだ。アポロとミューズ、そして小規模の楽団といった条件に最大限に見合った作品を書いたストラヴィンスキーは職人的と言えるかもしれないが、そのように最初から守るべき枠がある方が創作はしやすくもある。またその枠内で斬新さを発揮するのが芸術家だ。これも昔書いたが、ある人物に筆者は条件を指定して制作を依頼したことがある。彼はそのことを大いに侮辱と感じて他者に吹聴したが、筆者から言わせればその人物は自惚れだけは人一倍で、技術の貧困さを証明した。世紀の名作と呼べる作品を生む作家はもっともっと謙虚で、努力と積極的な工夫を惜しまない。さて、ストラヴィンスキーはこの曲のメロディについてフォークロアから発見したと書く。それは「ペトルーシュカ」などでも試みたことだが、民謡の旋律を引用しつつ、そのすべての音程上で調和のある旋律を対位法による長い書法を試みた。つまり、過去の手法を使いながら新たなことを盛り込んだ。その点でも新古典主義だが、さらにストラヴィンスキーは新しい手法に挑んだ。それは大規模な作品であった「プルチネルラ」の音の量を、楽器の色合いという対照に置き換えたことだ。「プルチネルラ」では大音量のトロンボーンに誰でも気づくが、弦のベース音にはほとんど気づかれない。その点、比較的小規模の楽団であれば、各楽器の密やかな音色に注目させることが出来る。その点がこの曲をどこか女性っぽいものとしながら、堂々たる威厳を保たせる理由になっているが、「プルチネルラ」にあった陽気で冗談っぽい箇所がなく、真面目さ一辺倒なところもそれに寄与している。
●「APOLLO(APOLLON  MUSAGETE)」_d0053294_22364131.jpg
 どの国に民謡を使ったのかわからないが、おそらくロシアであろう。その旋律がギリシア時代を思わせるのは意外だが、ロシア出身のストラヴィンスキーが20世紀に大作曲家として名を成したのは、辺境性が歓迎されたことであって、中心部は絶えず周辺の新たな血を導入して内部革新をしなければやがて腐敗することを示している。それはさておき、民謡の旋律を用いて古代ギリシアを表現するのは、日本的要素でもギリシア的なことが表現可能であることになる。実際そうだろう。それはさておき、LP31枚組に収まる「アポロ」は1964年の録音で、その7年前にストラヴィンスキーがローマで指揮した演奏を収めたCDと聴き比べながらこれを書いているが、もちろん録音は前者の64年の方がかなりよい。また57年の演奏は全10曲ともやや長く、1分ほど長い曲がふたつもある。指揮し慣れた結果、演奏が少し早くなったと考えられるが、1分も長いのはどこかの繰り返しを削ったためであろう。ストラヴィンスキーは絶えず自作を編曲し、同じ曲でも多くのヴァージョンがある。全10曲は中間の3曲が1分台で、その前後に2分から4分台の曲が並ぶ。各曲の題名は、1「アポロンの誕生」、2「アポロンの変奏」、3「パダクション」、4「カリオペの変奏」、5「ポリムニーの変奏」、6「テルプシコラーの変奏」、7「アポロンの変奏」、8「パドゥドゥー」、9「コーダ:アポロンとミューズ」、10「神への賛美」で、3と8はバレエ曲ならではだ。「変奏」は各曲の主題の変奏曲だ。2と7は同じ題名ながら全く違い、7は冒頭が「プルチネルラ」を想起させる雄大な響きだ。9の冒頭もそうで、全曲中、最も華やかだ。10は1と同じくゆったりとした雰囲気ながら、すべての弦楽器が鳴り、最後は1の冒頭主題に戻るという、わかりやすくて古典的な構成だ。弦楽器はミューズを表現するのにいいが、アポロに対して管楽器を使っていればこの曲の持ち味はどう変わったであろう。大ホール用の作曲であればそうしたはずだが、それでは「プルチネルラ」に似た曲になったであろう。カリオペやポリムニー、テルプシコラーはそれぞれ「ムーサ」で、それらが集まって複数形の「ミューズ」と称する。アポロはギリシアとローマではやや異なった神だが、元は竪琴を持つ詩や音楽の神だ。そのアポロをストラヴィンスキーがミューズを率いる姿で描いたのはバレエ曲であるからだが、『白鳥の湖』と同じく、ひとりの王子に大勢の女性という男にとっては理想のその世界は、今の日本では抗議する女性がいるかもしれない。ひとりの女が多くの男にかしづかれる物語は日本以外にもあるはずで、それを元に女性作家が新たな作品を作ればいいではないか。女性指揮者が出て来ているので、管弦楽曲の作曲家にももっと女性が出現してもよい。そういう話はほとんど聞かないが末広がりで増えて行くだろう。
by uuuzen | 2019-02-28 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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