刺激がなければどういう状態かを忘れる。たとえば膝に手を載せ続けていると、その感覚がなくなって手がどこにあるのかわからなくなる。そして少し指を動かすと手を膝に載せていたことを思い出す。つまり、ある状態に慣れてしまうとその状態を意識しなくなる。

そのため、生活に少しの変化は絶えず必要だ。そのことで現状を再確認し、これでは駄目と思うか、幸福を改めて噛みしめる。刺激の代表はTVやネットだが、それらもどっぷりとはまり続けるとやはり神経が麻痺して感覚は鈍る。そのことを人間は本能的に感じていて、それで浮気心もある。これは男女の恋愛の浮気だけではなく、普段慣れているものとは違うものをたまには試したいという思いだ。筆者はそのようにしていろんなものに関心を持ち続けて来たが、自分に合うと思える未知のものに出会う機会も、いつもとは違う手段、つまり外部の刺激によることが望ましい。自分で探すのであれば行動範囲は限られるから、筆者がたとえば金森幹夫さんからライヴに誘われることはそれ自体が日常を破る刺激だ。そのことで経験したことは筆者ひとりではまず出会わなかったことであるから、その出会いの感想を記しておきたい。それらは目当ての展覧会を見るのとは違ってたまたまの出会いで、今日取り上げる旧こいけという若い女性のシンガーソングライターも筆者が求めずに急に目の前に現われた。予備知識が皆目ない一度限りの生演奏に接して、メロディが全部覚えられるはずはなく、歌詞や題名も大半を忘れているが、個性は感じ取った。それをどう言葉で表現出来るかとなると、
彼女の曲はいくつかがサウンドクラウドで無料で聴くことが出来るので、それを聴けば誰でも筆者と同じ思いを得る。こうした文章など読まず、彼女の曲を聴くことが一番で、またそれ以上はないと言える。ではこうして書く意味がないかと言えば、筆者は自分の行動とそれによる心の動きを書いておきたい。それが半分の理由だ。もう半分は彼女のついてこうした文章がネットにはなさそうなので、筆者が口火を切っておくのは悪くはないとの思いだ。彼女がこれを読めば自作曲が他者にどう届いているかを知るし、そのことは他者に対して作品を表現するのであれば表現者にとって重要だ。それは毀誉褒貶の全部を含めてで、辛辣な意見も参考にする度量を得るための経験になる。また、各地のライヴハウスで歌い、CDも出しているのにいっこうにネットに長めの文章で感想が書かれないことは、最初に書いた比喩で言えば刺激がないことで、それはまずい状態だ。つまり、筆者はたまたまの出会いで刺激を受け、それを別の刺激として表現者に返そうというのだ。刺激の与え合いは素晴らしいことではないか。刺激のない人生は考えられないと思っている人は多い。音楽を聴くこと、こうした感想を読むこと、どちらも刺激になる。

「旧こいけ」は変わった名前だ。由来は何かと考えると、「旧姓こいけ」を思うが、彼女はまだ結婚していないだろう。また「旧」が姓で、「こいけ」が名前となれば、「こいけ」は実際は「けいこ」だろう。「旧」という姓は聞いたことがないが、あるかもしれない。それはいいとして、面白いのは、「旧」つまり「古い」は彼女の曲の雰囲気そのままであることだ。筆者はTWITTERの自己紹介欄に短い詩を載せている。それに♪の記号をつけているのでメロディがある。その自作曲をたまに家内の前で突如歌うと、家内は「やめてよー」と非難するが、筆者は昭和の古い雰囲気が出ている歌と思っていつかきちんと楽譜に書いて自分で録音したい。ついでに書けば、息子が3,4歳の頃、筆者は何曲かを息子のために作詞作曲した。どの曲も10分ほどですらすらと出来たが、その曲をしばしば歌っていると、息子は覚え、また筆者が作った曲とは思わなかったようだ。楽譜に起こしたと思うが、ほとんど忘れた。筆者はひとりで買い物に行く途中など、脳裏にメロディがよく浮かび、往復1時間ほどの間、曲は完成する。それを口笛ででも録音すればいいのに、そのままであるから二度と思い浮かばない。その点、TWITTERに載せている先の歌詞は例外だが、メロディが覚えやすいからだろう。長年生きて来ると、簡単な歌詞やメロディはたいていの人は思い浮かぶが、それを他者が聞こえるようにすることが大変だ。またそこには恥晒しを厭わないある意味での鈍感さも必要だ。それはさておき、筆者が作詞作曲するのはほとんどが日本の歌そのもので、複雑なメロディはない。ビートルズやザッパを長年聴いて来たが、小学校で学んだ唱歌は決定的な刷り込みとなっている。そこで思うのは、幼ない子に唱歌を一切教えず、聞かさない状態のまま、複雑なメロディの曲ばかりを聴かせると、それが原体験となって大人になった時に音楽能力がとても上達して、超複雑な曲を書くようになるかどうかだ。将棋や碁、スポーツはそういうことが言えるとして、音楽もそうだろう。だが、実際にはTVからは流行歌が流れ、友人からはまた別の音楽を教えられるなどして、どの子もいわば世間一般の音楽に染まって行く。クラシック音楽はまだいいとして、現代音楽を好んで聴くようになる人は、特に強い刺激を求めるからで、またそれは世間から見ればごく一部だ。大多数の人はいわゆるポップスに晒された暮らしをするが、その千差万別のポップスにも刺激の段階があって、大多数はあまりそれが強くない。そういう音楽は大多数から受け入れられやすいが、競争相手が多く、何らかの目立つ特徴、聴き手には刺激となるものが求められる。旧こいけさんの曲は刺激的と呼ぶようなものはないが、一度聴いて覚える個性はある。それがどこまで模倣を許さないほどに成長するかだ。

「旧こいけ」という名前をどこかで見たと思っていたところ、去年難波のベアーズでニエリエビタさんと津山篤さんの3人でライヴを開き、最初に演奏している。そのチラシを3か月前にネットで見た。デザインはニエリさんのはずで、彼女はベッティさん張りにセクシーに表現されているが、中央の夜空に飛ぶ旧こいけさんは、ニエリさんより一回りほど年下でしかも新人であるからだが、性別不詳の小柄なエンジェル風に描かれる。それが多少あんまりだと思わせつつ、実際の雰囲気をとてもよく捉えていることに微笑むしかないのが面白い。そのようにすでに各地のライヴハウスで歌っている彼女なので、精華大卒展の企画展ライヴでもなかなか堂に入った雰囲気を醸していた。服装も含めてボーイッシュなところは生来のものであるのだろう。声はよく通って聴きやすい。また歌詞は等身大の彼女の生活を反映して、虚飾と呼べるものはないが、現実味が過ぎて痛々しいというのでもない。30分ほどの本番の前に、リハーサルで「夜更かし」と言う曲をほんの少し聴いた。「八つ橋」という言葉がとても印象的で、またそれと韻を踏んで次々と歌詞が出て来たことが面白かった。今日彼女のTWITTERを見たところ、「鯔背な猫背」の言葉で自分のギターを抱える姿を形容していることを知ったが、「いなせなねこぜ」という語呂合わせの好みは「夜更かし」の歌詞の押韻につながっている。親父ギャグとして笑われかねないそういう押韻は覚えてもらうのにきわめて効果的だ。また彼女の場合、その押韻は陽気さにつながっている。1本のギターと歌となると、短調の物悲しい雰囲気になりがちだが、彼女の曲はからりとしていて、そのあまり女性らしくないところが安心して聴ける魅力になっている。「逞しい」という形容は若い女性に失礼だが、女性には女性の逞しさはある。そういう意味での安定感が彼女の曲から伝わり、「夜更かし」のような単純な繰り返しのメロディに押韻を散りばめる短い曲は、広く知られる存在になる可能性を感じさせる。ところで、筆者はその曲に以下の歌詞を考えた。「椰子香具師(やしやし)」という題名だ。彼女が香具師と言いたいのではないが、曲が広く売れてほしいと思う点ではシンガーソングライターは香具師と同じやし。
わたしやっぱし香具師やしー
夜店で椰子の実売るよしー
ココヤシここに麗しー
匂いかぐわしー
わたしいっぱし香具師やしー
人の笑顔を見たいしー
ひとつ買ってほしーいー
あなたも試しよしー
目印、大きいココヤシー
わたしの店はここやしー
椰子を寝かして転がしー
いつも客待ちー
みんな忙し早足ー
不況の足音、ひーしひしー
自分で1個食べたしー
なら、売り切れよしあしー
遠くから来た椰子の実ー
珍しいし買いよしー
売れたら後の祭りやしー
急ぎよしー
わたし立派な香具師やしー
みんな売ったらめでたしー
人のこころも晴れるしー
(みんなよしー)