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●『ウィリアム・モリスと英国の壁紙展』
れるほどに無地に見える壁紙がいいのかもしれない。わが家のそれは紺屋の白袴と同じように、一番安もののキャンヴァス模様の白地で、近年売り上げが上昇中の壁紙屋が最も嫌うものだろう。



●『ウィリアム・モリスと英国の壁紙展』_d0053294_18140926.jpg目立つ模様があると飽きる気がするし、可能ならば自分でデザインした壁紙を貼りたい。まだそういうサービスをする会社はないと思うが、きっと流行ると思う。これは襖紙だが、最近若冲の絵をそのまま印刷したものが現われた。若冲の絵をよく知る者にとってはその壁紙を貼った襖はとても悪趣味に見えるだろう。それなら個性のあまりない模様の方がよい。壁紙や襖紙は主張し過ぎると家具が目立たず、そこで暮らす人も落ち着かない。さて今日は昨夜の投稿がいささか消化不良であったので、同展と関連させる意味から、去年10月14日に梅田の阪急百貨店で見た展覧会について書く。この展覧会のチケットは、筆者のブログを読んだ人から面会したいとの書き込みがあり、その後嵐山の喫茶店で1、2時間話をした際にいただいたものだ。図録も受け取った気がするが、探しても見つからないので記憶違いかもしれない。ウィリアム・モリスについては今さら書くこともないが、先ほど数冊持っているはずのモリス展の図録を探すと、おそらく筆者が初めて見たモリス展のそれが目についた。1989年に梅田大丸で見たものだが、もう30年も経った。その間、数年に一度は開催されて来たはずで、いつの頃からかモリスの創造した壁紙の複製が購入出来るようになった。モリスと言えば筆者は柳宗悦を思い出す。宗悦の最初のまとまった論評がモリスについてのもので、柳の英語の読解力を最晩年の鶴見俊輔がTVで礼賛していたことを思い出す。それは氏が柳の英語の蔵書の書き込みを見てのことだったと思うが、10代でハーヴァード大で学んだ氏は英語で本を書いたことがあるのだろうか。筆者は氏に面会を申し込んで一度だけ伊丹市立美術館の事務室で15分ほど話をしたことがある。今までに出会った人物では一番知的さが全身から溢れ、また快活でとても優しかった。大物とはこういう人のことを言うのかと年を減るごとに思いが増し、また自分は絶対にそういう風格を身につけることが出来ないことを実感する。育ちの差と学ぶ力の差は生来のものだ。ならばせめて仰ぎたくなる人のことを胸に秘め続けたいと思っているが、筆者にはそういう人物は増える一方だ。もっとも、ほぼ全員が本でのみ知り、顔がわからない人もある。全員男だが、ついでに書けば女性ではユルスナールとあの世で親しく話をしたいと思っている。彼女はレスビアンで男のような性格であったから、筆者が敬愛する人物に女はいないことになりそうだが、筆者はホモセクシュアルではない。生涯に母、姉、妻、娘という4人の女性に愛情を抱いたルナンとは違って、筆者の理想の女性は想像の中だけにあるかもしれない。
 話を戻す。柳がモリスを研究したのは、1888年から始まったアーツ・アンド・クラフト運動の発端に位置する重要人物であったからだろう。モリスは1834年、柳は1889年の生まれで、柳がモリスに注目するのは自分が生まれた頃にどういう美的な世界がヨーロッパにあったかという興味にもよるだろう。というのは、近年筆者は自分が生まれた頃の『芸術新潮』にいよいよ関心が湧き、図書館で読むことが何度もある。あたりまえのことだが、自分が0歳の時には意味不明のその雑誌が今では理解出来るから、文字の威力は大きい。また文字を学んだことのありがたさを思うが、自分が生まれた頃よりもっと昔の文字も努力すれば読めるから、関心の広がりは留まることがない。柳がモリスを研究し、その後に日本文化の特に民俗芸術の探索に進んだのはよくわかる気がする。筆者は20代前半までに柳の重要な著作は全部読んだが、それは自分が生まれる以前の著作であるから、過去への関心は未成年の時から大きかった。また話を戻すと、柳はモリスの活動のどの部分に魅力を感じたであろう。モリスがステンドグラスや家具、挿絵、織物、壁紙などに、中世に学びつつ新しいデザインを創造したことを、日本で実現すべきことと捉え、方法論をモリスから学ぼうとしたのだろうが、「アーツ・アンド・クラフト」つまり「芸術と工芸」は柳が生まれた頃には日本で盛んに議論されていたから、柳がモリスに関心を抱くのはごく当然だ。また柳が「美術と工芸」のどちらに与するかは、民藝の立場から後者に進んだのだが、新しい工芸を生むことへ尽力するよりかは、日本各地に埋もれていた民藝の評価に一生を捧げた。その点でモリスのいわゆる「美術工芸」とは一線を画す。柳がなぜ明治の美術工芸に関心を持たなかったかは、近年再評価されているそうした工芸品を見ればわかる。あまりに精緻で手の込んだ当時の美術工芸品は技術を誇示するばかりで、飾って楽しむものではあっても生活の中で使えるものではなかったからだ。それはモリスの理念とも隔たったもので、柳は海外に輸出されるためのそうした美術工芸品を嫌悪したはずだ。金持ちの収集家相手の不健康なそうした美術工芸品にはない、おおらかで温かい、健康で逞しい美が民藝にはあり、それこそが美であると論じたが、そういう手作りを旨とする民藝も柳が亡くなろうとする頃に急速に日本から姿を消した。柳が思い描いた民藝が溢れる生活は、一部の金持ちの趣味人がかなえられるものとなり、無自覚の民衆が得られるものはせいぜいのっぺりとした壁と屋根から成る建売住宅と画一的な家具や電化製品だ。それは人々が道具を使って物を作らなくなり、パソコンやスマホ画面を見て指で触れるだけであらゆるものが事足りる時代にいかにもかなっている。それでも定期的に柳やモリスの展覧会を開くことは、若者を覚醒させる契機になる。
●『ウィリアム・モリスと英国の壁紙展』_d0053294_18143601.jpg
 本展ではモリスやその周辺の作家による壁紙の元の図案と製品が展示された。日本から触発されたデザインはあるのは言うまでもないが、厚手の和紙に木版で摺り、表面を皮製品のように凹凸加工を施した唐皮紙の商品がいくつかあって目を引いた。どれも深い臙脂や焦茶色をしていて、重厚感が溢れ、いかにも金持ちの邸宅向きだが、実際高価なあまり、一般向きではなかったはずだ。唐皮は金唐皮と呼んで日本で作家もいるが、元はヨーロッパのものだ。日本が和紙でそれを作るのは、皮風に見せる模倣で、日本が得意とするところだ。唐皮紙も含めて、展示された壁紙はすべて最初に書いたように遠目には無地に見え、高さはせいぜい60センチ、幅は50センチほどの画面全体に模様が埋まり、画面の上下左右に模様がぴたりとつながる。今日の2枚目の写真はモリスの壁紙2種で、近くで見れば花や草だが、そこに虫や動物、人物が混じる場合がある。そのデザインの元は織物にあって、その安価なものとして木版による壁紙が登場した。また安価であれば、飽きれば張り替えればよいし、日本の家屋が鉄筋コンクリートが増えるにしたがって、模様のある壁紙を求めるひとが増えて来ている。ただし、白やベージュの無地よりも高価であるから、部屋の壁全体ではなく、一部だけに貼る人がある。本展の最後に裕福な若い女性がモリスの壁紙を貼った自宅の部屋を紹介する映像があったが、美術に関心のある人には即座にモリスとわかるから、驚きなない。むしろあまりいい趣味には思えなかった。日本独特の部屋にもモリスは調和するとその女性は考えるのだが、筆者には木に竹を接いだように見えた。モリスではなく、たとえば桂離宮に使われる京都の「からかみ」の方がいい。それでは旅館っぽくなるかもしれないが、日本の家の壁にイギリスの模様が埋め尽くされるのは、イギリス人が見れば笑うのではないか。柳の民藝の延長上に何かもっといい壁紙があるはずで、またなければ壁紙業者と相談して特注するのもよい。金持ちの贅沢としてそれくらいの気概はほしいし、またそうすることで世間は感嘆し、真似をしたいと思う。それがモリスでは普通の人がやることだ。さて、ここで昨日書いた展覧会に話をつなげる。モリスとウィーン分離派はどのように交流があったのかは知らないが、前者がイギリスの田舎っぽさを持ち味にするのに対し、後者は都会的で、またどちらも19世紀末ながら前者は後者より少し早いから、後者は前者に触発されたところがあるだろう。画家は前者ではロセッティなどのラファエル前派、後者はクリムトやシーレ、ココシュカで、これも雰囲気が大きく異なり、退廃的で言えば後者は圧倒的だ。それはいいとして、2「新しいデザインの探求」では参考出品としてフェリス・リチ・上野=リックスによる経本仕立ての「絵本」が横に全部広げられて展示されていた。
●『ウィリアム・モリスと英国の壁紙展』_d0053294_18150873.jpg 先に書いた筆者に面会を求めた女性はリチ・上野=リックスに関心があって、筆者が所有する資料を見るために訪れた。京都国立近代美術館は建築家の上野伊三郎と、彼がウィーンで結婚したリチ関連の展覧会を2009年に開いたが、筆者がリチの展覧会を見たのは1987年だ。今月6日に京都国立近代美術館で『世紀末ウィーンのグラフィック』展に合わせてのことか、同館の4階の一部屋では上野夫妻のさまざまな資料が展示されていた。それらは2009年展に並んだものだが、筆者はリチの写真の顔が生々しく思えた。そのことはここでは詳しく書かないが、一言すれば顔と彼女の作品はなるほどと思わせるほど調和している。話を彼女の「絵本」に戻すと、それは全体に黒が強く、87年展で筆者が感動した彼女の明るい壁紙作品の世界とはいささか違ったが、「絵本」は1915年頃、壁紙はウィーン工房に入った1917年、24歳で、色合いが明るくなったのは、ヨーゼフ・ホフマンに出会い、活躍の場を見つけたからだろう。それはともかく、彼女の壁紙は100年前のデザインで、今なお斬新だが、日本の家屋に似合うかどうかとなれば、かなり場所を選ぶのではないか。モリスの壁紙のような重厚さではなく、女性らしいかわいらしさと軽快さで、喫茶店やブティックにはいいかもしれない。それにしても壁紙の歴史が短い日本がモリスやリチに着目して製品化することはわからないでもないが、現在の日本ならではのデザインが創れないものか。もちろんそういう新しい壁紙は毎年たくさん生まれていると思うが、美術指向のものは少ないだろう。とはいえ、琳派や若冲、あるいは民藝調といった美術史に残るデザインを写すのではなく、現代の作家によるオリジナルがほしい。筆者はそのことを面会を求めた女性に示唆するために、自分が昔描いたキモノに用いた図案を持参した。それが今日の4枚目の写真だが、彼女は目に留めなかった。筆者や筆者の作品が有名であれば、黙っていても何かに使わせてほしいと言って来る人があるだろう。名声に乗って商売を目論む人はいつの時代でも大勢いるが、先見の明があって賭けをする人はごくわずかだ。ルナンにはその才能をいち早く見抜いた出版人がいた。そのお陰でルナンの本は世界中で売れた。そういう人物に出会うこともルナンの才能であり、才能のある人は自ずと有名になる。3枚目の写真は筆者が33歳の時に作った訪問着のキモノで、「遊蝶花に蝶遊ぶ」のシリーズの1点だ。遊蝶花とはスミレのことだ。衣桁にかけたキモノは壁面にも見えるが、キモノには間の空間がある。筆者が自宅に壁紙を貼るならば、モリスのような模様で埋まるものは鬱陶しいので、たとえば「遊蝶花に蝶遊ぶ」の円形の模様を淡い色に変えてランダムに散らす。一方で100年後のその実現を夢想する。
●『ウィリアム・モリスと英国の壁紙展』_d0053294_18153989.jpg

by uuuzen | 2019-02-08 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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