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●『世紀末ウィーンのグラフィック デザイン そして生活の刷新にむけて』
染という考えが理解出来なければ染色作品の面白さはわからない。防染技法は日本の染色の長年の伝統だが、そういう歴史を知らない、あるいは知ろうとしない者が染色に携わってそれの歴史的革命を起こせるかと言えば、まあ無理な話だ。



●『世紀末ウィーンのグラフィック デザイン そして生活の刷新にむけて』_d0053294_00402212.jpg一方、染料が化学的に合成され、その新たな歴史が始まると、防染の必要のない染料が生み出され、伝統的な染色技法が必要ではなくなった。それは染色の多様化としてひとまず喜ぶべきで、またその動きは避けようがない。伝統的な染色作品にあった味わいを失うことは新しい表現をもたらすことでもあり、簡単に言えば何でもありとなって何を選ぶかは自由ということだ。筆者は伝統主義者、古典主義者だが、新しいものを認めないのではない。ただし、その新しいものが古いものからどう必然的に生まれて来たかを重視したい。防染を考えない染料や技法による作品は、染料を使う必然性がなく、水彩画でも同じ絵が表現出来るから、やはり防染は染色の基本と思っている。防染の考えに基づく染色作品は染料を使わねば表現出来ないもので、防染という面倒なことにこだわる必要がないと考える人の染色作品は、染色といわゆる絵画のどちらにも属さず、結局染色の世界に革命を起こすことなく、また絵画の世界からも認められない。こういう話は染色技法についてある程度の知識を持っている人と話すべきことで、昨日見て今日取り上げる展覧会とは一見ほとんど関係がないが、本展の趣旨が時代の変化には刷新がつきもので、それを積極的に認めようとする動きの中から時代を画する芸術が生まれて来ることの例を豊富な作品で紹介すると見れば、染色の世界で筆者が思う上記のことが正しいのかどうかを考える手立てになる。それは本展の展示作品300点はアパレル会社の創業者である平明陽氏の収集したもので、染色とつながりがあるからだ。実際、本展を開催する京都国立近代美術館は京都ならではの染色ないし染織に関する展覧会を昔からたびたび開催して来たし、本展もその文脈で語られるべきところがある。ただし、アパレル会社であるので、伝統的な染色技法によるキモノではなく、洋服を扱い、染色ではプリントの分野が関係する程度で、氏は布地にどういう模様を作り出すかというデザインに興味があったのだろう。そして日本の主に木版画と大いにつながりのある19世紀末ウィーンのグラフィック作品を収集し、それが4年前に京都国立近代美術館の収蔵品となったのは、寄贈ではなく購入だと思うが、1世紀前のウィーンのグラフィック・デザインがたとえば京都の今後の染色に影響を及ぼすかと言えば、すでに多くの展覧会や本で紹介されて来たことと、また展示作品の大半が美術的価値としては二級と言ってよく、染色家には関心が持たれないだろう。買わなかったが、かなり大部の図録は図案集として役立つはずで、それはグラフィック作品であるからには当然と言える。
 染色でのプリントは版染めのことだ。日本の木版画に魅せられたヨーロッパの美術家は多く、たとえば本展には関係のないムンクには多色木版画があるし、ゴッホは浮世絵を油彩で模写した。木版画は板木を手で彫り、手で1版ずつ摺るので、手作りのアウラがまだあるが、19世紀に写真が登場し、やがて考案された写真製版によって木版画とは比較にならないほどの安価で大量の印刷が可能となった。本展のチラシは通常のA3の倍の大きさで、写真と文章が原色印刷で満載され、図録を買う必要を思わせないほど豪華だ。こういう時代が来るとは19世紀末の人々は想像しなかったであろう。今のアパレルのプリントも、1世紀前には不可能であった質のものがもっぱらと思うのは誰しもで、技術の進歩が染色の世界をいいように変えたと言える。それは写真製版と機械化による恩恵で、同じものを量産することにかけて発展があった。量産すれば商品は安価になるから、1世紀前には庶民の手の届かなかったようなものが今は誰でも買えるが、そのことが生活の刷新であることは事実として、全員がそれを歓迎するかどうかは疑問だ。本展に並ぶ多色木版画は油彩画より安価で、また油彩にはない独特の味わいがあるので多くの作家に試されたが、現在から見れば浮世絵と同じようなれっきとして美術品であり、生活に役立つ、たとえば衣服のような消耗品とはほとんど関係がない。だが、木版画に手を染め、また多色木版画でプリントによる染色品をデザインしたデュフィは本展で紹介されるウィーン分離派以降の才能で、日本の木版画は20世紀に入ってのアパレルにつながったと言えるから、本展が逆輸入の形で日本の今後のアパレルや染色に影響を及ぼすことはあり得る。またそう思っての収蔵であるはずだが、戦後の印刷術の進歩によって、作家の個性はたとえば木版画にある1枚ずつ異なるような手作り感は印刷の均質さに取って代わられ、デザイン性は何がどう配置されているかという構成にのみに宿ると目されるようになった。それはパソコンのモニター上での画像というさらに手触り感とは縁遠いものに席を譲ったが、次に到来するのはAIによるデザインのはずで、その時には本展の300点の作品に宿るデザイン性は自由に分解、合成される微細な要素としてコンピュータに記憶される。もちろん人間は身体を持ち続けるからには、その頭や手足を動かす喜びを忘れず、相変わらず木版画や染色に従事する者はいるはずだが、そういう時代に人々が歓迎するのは、明らかに手で作ったという、機械では無理な、また失敗と見られるごくわずかな瑕疵で、それがまた作家の個性とみなされる。しかし、機械は失敗しないからいいのであって、人間は失敗するからいいという考えが共有されているかどうかはわからない。失敗を認める寛容性がAIの大活躍時代に広がればいいが、実際はその反対で、その兆しは現在を見てもわかる。
 作品に手作りによる瑕疵を認めると、歴史に残る秀逸な作品よりはるかに劣るいわば二、三流の作品を讃えることになる。それは美術的には退化だが、AIが大活躍する時代に、AIがなかった時代の天才的技量を持った芸術家が現われることは考えにくい。手作りする人が少なくなれば、その中での頂点は高さが知れているからだ。AIが幅を利かせる時代になるにつれ、手作りがどう認識されるかは、大量生産の物が溢れ返ることを人々がどう思うかにかかっている。それは今も同じで、アパレルならユニクロを思えばいいが、貧しい人が増えている日本ではユニクロでも贅沢であるとする意見があると最近ネットで読んだ。それに、物にありがたみをあまり感じず、古着でもよいと思う人が多いのだろう。そこで自分で作った服を着たり、何か別のものを手作りする趣味を持つ人が多くなったりしているかと言えば、そういう話は聞かない。それは経済の貧困のあまり、手作りという悠長なことをする時間が持てないという理由が大きいだろうが、一方には手作りの楽しさを教わらないからでもある。それは教育の問題で、美術を教えるよりも入試に関係のある学科に時間を割いてほしいという学校及び父兄の思いを反映している。TVでは相変わらず予備校の先生をしていた人がタレントになってうんちくを垂れているが、彼は美術に造詣が深くないことを恥とも思っていないだろう。そこに現在の日本の教育の実態が端的に表われている。そこで筆者は本展からは多くのことを思って考えがまとまらないが、ともかく手触り感そのものと言える実物は無限の情報を持っていて、作品が豊富に収蔵されたことはなによりだ。つまり、デザイン性を学ぶのであれば図録で充分かもしれないが、実物は写真図版とは異なり、時代性を内蔵している。それは印刷物であってもそうで、時代のアウラはやはり宿る。その意味からは、現在のパソコン上の画像も時代の産物で、百年後にはまた違った方法で画像が表示され、新たなデザインが生まれているかもしれない。手作り感の豊富さで言えば手で作ったものが一番で、またそれゆえ一点物として歓迎されることは今後も変わらないと思うが、その味わいのわからない人が増えるかもしれない。そういう人は美術に関心は薄く、またいつの時代もそういう人が多いので、本展はごくわずかな人が訪れるが、本展は19世紀末がよき時代の最後であったことを伝える。大量生産は経済と関係して今では世界中がその動きにある。そういう経済戦争の中で芸術家を育てても国力はいっこうに上がらないと考えるのが政治家であり、それゆえ美術の教育はないがしろにされる。無用の長物である美術で国家が金持ちになれるかという考えを多くの人が抱くかもしれないが、パソコンに表示される無数の画面も美的センスがあって人目につきやすい。
●『世紀末ウィーンのグラフィック デザイン そして生活の刷新にむけて』_d0053294_00410935.jpg
 本展の内訳は、1「ウィーン分離派とクリムト」、2「新しいデザインの探求」、3「版画復興とグラフィックの刷新」、4「新しい世界へ」で、美術ファンが最も喜ぶのは1だろう。クリムトの装飾性豊かな絵画は琳派や唐草模様など日本美術の平面性を大胆に取り入れたものが多く、日本としても影響を及ぼしたことを自惚れることが出来る。本展では彼の素描が少しと戦争で焼失した有名な壁画「医学」の白黒写真が見られた。それにこれは改めて感じたが、クリムトの肖像写真はあまり立派な人格には見えない。むしろ醜い容貌と言ってよいが、そう思ってしまうと彼の油彩画もあまり気持ちのいいものとは思えない。クリムトが陰部を晒した裸婦をスケッチしたことは昔から知っているが、そういう一点があった。彼の裸婦像はどこか病的でまた煽情的だが、世紀末のウィーンはちょうど現在の日本と同じように、10代の女子が売春することが流行したと何か読んだことがある。彼の作品に内在する退廃性はそういう世相の反映でもあるだろう。クリムトと言えばシーレで彼の作品も少しあった。シーレは戦後に生まれていればロック・ミュージシャンになったであろう。彼もまた子どものような女子の裸をよく描いたことで糾弾されたが、当時裸婦はデザイン画にも大いに取り入れられ、またその先鞭はクリムトの絵画にある。日本にはその伝統がなく、女の裸は隠してこそエロティックであるとする文化であったが、今の若者にそれが伝達されているだろうか。2の新しいデザインというのは、本展を見て誰もが感じることは、文字のデザインの多様性だ。これは昭和40年代までは日本でもレタリング・ブームがあって、たとえばレコードのシングル盤のジャケットは手描きの文字を使うのが普通であった。明治大正、昭和の初期の本の装丁や印刷物ではそれがもっと徹底され、また美しいデザインの文字が多かった。少ない字数のアルファベットと違って、漢字や仮名を当時のヨーロッパのデザインと同格の香り高いものとするのはそうとうな美的感覚を必要としたが、そうした見事な造形の世紀末ウィーン版が本展では堪能出来る。そこでまた思うのは、活版印刷が消えて今は文字の新しいデザインが重箱の隅をつっつくようなわずかな部分の変化に終始していることだ。パソコンで使えるフォントが数多いとしても、手で1文字ずつ描いていた時代のような多彩さはない。それは欧米でも同じなのかどうかは知らないが、パソコンを使うからには同じような状態にあるだろう。つまり、手で描く、書くということが一気に後退した。そういう筆者も文字をキーボードで打ち込んでいて、器用さを誇示する機会を自ら減じている。本展の展示作品を今後どのように多様な文脈で役立たせられるかは、未来がどうなるかわからないのと同じだけ不明だが、希望を与えるよすがではあり続けるだろう。
●『世紀末ウィーンのグラフィック デザイン そして生活の刷新にむけて』_d0053294_00413060.jpg

by uuuzen | 2019-02-07 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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