贋物かと思わせられるほどに貝のように丸まって動かない雁が水辺に一羽いた。昨日のことで、中ノ島小橋のすぐ上流の堰の際だ。今は水量が少なくて滝のように流れていないのでその場所で休憩することが出来る。
贋物か本物かの区別がつきにくいは、渡月橋から100メートルほど北にある
フクロウ・カフェの2階の窓に居並ぶ数羽のフクロウだ。今月3日の天龍寺での節分祭でその店の前を通ると、相変わらず多くの人がその窓を見上げながらどれが彫刻で、どれが本物であるかを言い合っていた。昔はフクロウは樹木のたくさんある森に生息していた。それが今は人間に買われ、贋の森で飼われる。まだ川の中でたたずむ雁や鴨の方が自由でいいが、数十年先には彼らも見世物の店で飼われているかもしれない。贋物で思い出した。昨日のTVで高級なチョコレートを紹介する番組があった。薔薇の花を象ったピンク色のチョコは石鹸を思わせ、何となく味気なかった。固形石鹸を彫刻の材料にする人がいるが、西瓜や氷でも同様だ。高級チョコもちょこっとどころか大いにそういう際物的造形を参考に、いかにしてより高い価格で販売出来る商品を案出するかと余念がないだろう。1粒で1000円だったか3000円だったか、ちょこっと食べるにはあまりに高価なチョコもあって、ヴァレンタイン・デイにはよく売れる。その番組を見ながら筆者は中学1年生の時に交際を申し込まれた同じクラスの女性から初めてヴァレンタイン・チョコレートをもらったことを家内に言った。不二家のLOOKチョコだったと思う。当時家内は小学5年生で、ヴァレンタイン・デイのことを知らなかったそうだが、今では小学生でもその日を気にして男子にチョコレートをこそっとあげる。ヴァレンタイン・デイは年に一度の女性からの告白日とされるが、今は年中女性の方から男に告白する時代で、ヴァレンタイン・デイの意味がなくなった。それにいつの頃からか節分の恵方巻きと同様、売らんがための商売人の考えによって義理チョコが登場した。それはさておき、特別に何かをもらえるのは男女ともに、また年齢に関係なく嬉しい。ヴァレンタイン・チョコの場合はお返しが必要という、これも商売人が考え出した贋の風習によって、男はチョコレートをもらってもあまり楽しくないと思うが、くれる相手が大のお気に入りではまんざらでもないだろう。ヴァレンタイン・チョコは家内が毎年安物をちょこっと買って来る。今年は家内が9日に月参りで高槻の実家を訪れた時、妹から筆者用に小さな一箱を手わたされた。ちょこっとの4個入りチョコで、先ほど2個食べた。義理チョコもいいところだが、きれいな箱は高級感がある。たぶん箱代が商品価格の3,4割はする。筆者は甘いものが好きだが、スーパーで100円のガーナ・チョコをよく見かけながら食べたいとは思わない。どういう味か知っているものには関心が持てないようになっている。