炉の中のような暑さではまだなかったのが幸いであったが、琵琶湖大橋を歩いて往復するのはかなりの思い切りが必要だ。家内はもう二度と琵琶湖大橋を歩いて佐川美術館には行かないと言う。
たまにいい展覧会をするので筆者は今後も行くと思うが、その時はひとりだ。それはともかく、今日は5月25日の金曜日に見た展覧会について書く。アルチンボルドの絵がチケットや見開きのチラシに印刷され、展覧会の目玉となっていたので、ぜひとも見ておきたかった。筆者はアルチンボルドの画集を持っているが、本展は彼を雇った王様の収集品を紹介するもので、アルチンボルドと同時代の作品が見られることが興味を引いた。アルチンボルド展が近年東京で開催されたが、彼の作品はめったに見る機会がない。筆者が最初に見たのは1990年に大阪鶴見緑地で開催された花の万博だ。同展には筆者のキモノも展示されたので、三回訪れたと思うが、人物のプロフィールを花で象ったアルチンボルドの油彩画「春」が特別展の目玉として来ていた。同展の図録を買ったが、その後ほとんど繙いたことがなく、また同作以外にどのような作品が展示されたのかが記憶にない。それで28年ぶりにアルチンボルドの別の作品が複数来たので、本展を心待ちにした。東京のみの開催が多い充実した展覧会が関西に巡回することは珍しい。しかも佐川美術館はもっと珍しい。同館の開館20周年記念展で、多額の経費を用意したのではないか。現在滋賀県立美術館は建て直し中で、それで佐川美術館で開催されたとも考えられる。本来なら京都市美術館辺りがいいが、本展は東京では渋谷のBUNKAMURAミュージアムで開催され、同館との関係から関西に巡回する美術館は限られるのだろう。それはともかく、美術展はたくさんの観客が見ないことには赤字になるが、BUNKAMURAミュージアムはいつも若者が好みそうな展覧会を開き、赤字にはなっていないだろう。その点で同館に匹敵する美術館が関西には思い当たらず、巡回したくても適当な館が見つからないのではないか。それはつまるところ、開催しても多くても東京の数分の1の動員数になるはずで、儲からないからだ。それだけ京阪神は人口が少なく、美術展に訪れる人もそうで、本展の豪華なチラシを各地に置いても出かける人は少ないだろう。筆者らが訪れた最終日はそれなりに多くの人がいたが、百貨店での普通の展覧会程度の賑わいで、作品を見るのに順番待ちをするほどでは決してなかった。やはり美術館の立地が問題で、筆者ら以外はほとんど車で来館していたはずだ。玄関を出たところにバス停があって、入館する際、そこに4,5人がバス待ちをしているのを見かけたが、筆者は帰りも琵琶湖大橋をわたるつもりであったので、彼らがベンチに座っているのを横目にしただけで、時刻表を見なかった。
ルドルフ2世は絵画や彫刻の美術品だけではなく、動物園を所有し、植物にも関心があり、工芸品や時計など、あらゆるものを膨大に集めた。60歳で死んだが、一生独身で、歴代のハプスブルグ家では特に変わった王様であった。膨大な数の収集品は死後にかなり散逸したので、本展のような規模の展覧会ではごく一端を垣間見るに過ぎず、そのことによるルドルフ像の歪みが懸念されるが、そこは近年の研究による成果があって、端的にルドルフ2世の収集品とその治世における美術の傾向が把握出来るように展示品は選ばれているはずだ。とはいえ、ルドルフ2世の時代は美術史で言えばルネサンスのマニエリスム期に当たり、美術的には、特に日本では評価は高くなく、そのことがあまり観客動員数を期待出来ない大きな理由だろう。日本はイタリア・ルネサンスや印象派はさておいて、その他の地域と時代の美術にはほとんど無関心で、たとえばハプスブルグ家と言われてもその歴史をよく知る人はほとんどいないだろう。そう言う筆者もそうだが、たとえば「カロリング朝の美術」と聞いて、それがカール大帝期の美術でまたその代表作が何かはほとんど誰も知らない。それは時代によって国境が著しく違い、現在のドイツやフランス、イタリア、スペインといった特徴ある国々が、神聖ローマ帝国と呼ばれてひとまとめの地域であったことが想像しにくいからだ。ヨーロッパ通貨のユーロでまとまっている国々があるが、そのルーツはカール大帝時代に遡り、あるいはもっと前のローマ時代にあったとも言える。集合と分散を繰り返して現在があるが、そういうややこしい事情は日本に住んでいると理解し難い。それは理解しても日本に住む限り、ほとんど役に立たないからでもある。それで本展は子どもにもわかりやすいアルチンボルドの絵画を紹介しながら、ルドルフ2世の収集品を通じて、彼が君臨したプラハの宮廷にも思いを馳せようというもので、絵画でも日本ではまず馴染みのない画家のものがたくさん持って来られた。それらはマニエリスム美術の人気がほとんどない日本では、またイタリア・ルネサンスを継ぐイタリアのマニエリスム美術ではないこともあって、さらに人気を持ちえないはずで、実際筆者は何を見たのかあまりに混沌としてよく思い出せない。もっと正確に言えば、それぞれの作品を覚えているが、それらが一体となって何か確たるものをイメージしにくい。そのことこそが、ルドルフ2世が感じていたことではないか。大航海時代によって世界の珍しいものがヨーロッパにもたらされ始めていたとはいえ、一方では錬金術が盛んで、ルドルフ2世はそれに心酔してもいたからだ。つまり、あらゆるものが集められたが、その分類方法はまだ確定しておらず、とにかく表向き珍しくて驚きをもたらすものをルドルフ2世、あるいは時代が歓迎した。
ルドルフ2世はウィーンで生まれ育ち、やがて母の生地のスペインの宮廷でフェリペ2世のもとで王族としての教育を受け、そこでフェリペが所蔵する北方ルネサンスの画家のボスやブリューゲルの絵画を目にした。そのことが後の絵画収集趣味につながった。ウィーンに戻った後、31歳でプラハに遷都し、そこでヨーロッパ各地から画家や科学者などを招いて膨大な収集品を蓄えるようになる。彼が収集した絵画の全貌は目録によって判明しているようだが、ボスやブリューゲルの名品となるとあまりに高額で、また所有者が手放さず、手元に置くことは無理であったようだ。それでいわば北方ルネサンス風の絵画を好んだと言える。これはドイツ系の血を引くからには当然と言える。本展の図録の表紙はヤン・ブリューゲルの花の絵で、またチラシにはブリューゲルの「バベルの塔」を思わせる作者不詳の同じ画題の絵が載る。筆者が最も感心したのは、アルチンボルドを除けばルーラント・サーフェリという画家で、数的にも彼の油彩画や銅版画は目立った。それらの油彩画は風景の中にさまざまな動物や鳥類をたくさん描いたもので、舞台の書き割りに見えながらきわめて幻想性に富む。オットー・ディックスの風景画に直結する味わいがあり、もっと評価されてよい画家だ。それらの油彩画は風景と動物を別々に写生し、組み合わせたもので、その組み合わせの虚構はアルチンボルドの絵画に通じる一方、ルドルフ2世のとにかく多くのものを集めるという性癖に応じている。サーフェリの銅版画では、ルドルフの動物園で写生したのだろうが、さまざまな動物を前、後ろ、真横の三方向から描いたものがたくさんあって、それらは図鑑の役割を果たすとともにサーフェリの絵画に役立てられた。宮廷画家は王様の気にいるような絵を描かねばならず、また王が死ねば別の場所に流れて行く必要もあるが、宮廷では自分の知らない多くの絵画を見ることも可能で、腕を磨くには、また食べて行くには宮廷の存在は不可欠であった。アルチンボルドはルドルフ2世を喜ばせるための術をよくわきまえていただけで、その絵画は美術史的にはあまり評価は高くないとされるが、子どもでもすぐに楽しめるところがある。逆に言えば子どもでも考えつく絵画で、またどのような画家でも考えはするが実際には描かない絵だ。さまざまな野菜でルドルフ2世の肖像を構成した絵をルドルフ2世が喜んだとすれば、ルドルフ2世はなかなか茶目っ気があった。そしてアルチンボルドは同様の手法で繰り返し描いた。本展の最後の特別コーナーにはフィリップ・ハースというアメリカの現代美術家がアルチンボルドの「四季」の4作を立体化した模型が展示されていた。また彼はその4点を高さ4,5メートルの色つきの彫刻に仕上げたる様子を撮影した映像もあったが、それはYOUTUBEで見ることも出来る。