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●梅田HARD RAINにて、松阪崇久
り変わりの激しい世界かどうか筆者にはわからないが、Sさんに訊くと昔はライヴハウス情報をまとめたチラシがあったそうだ。それがなくなってSさんはどのような方法で目当てのライヴの日時を知っているのだろう。



帰り際に筆者は3月21日にHARD RAINの近くで武田理沙さんのライヴがあることを伝えると、急いで小さな紙にそのことを記した。またSさんは、不況もあってライヴハウスの経営が難しく、その分出演者も減少しているようだ話してくれた。23日は客と出演者が同じほどの数ではなかったかと思う。それは同じ日に同じ会場で演奏するミュージシャン同士が、演奏を観察し、面識が得られ、切磋琢磨する機会となっていることをより浮き彫りにさせる。そう言えばSさんによれば当日は7時開演であったのが、出演者がひとり増えて30分早まったとのことだ。また演奏の順序はライヴハウスが決めるらしいが、当夜は「STRANGE FRUITS」と題していたので、毛並みの変わった「奇妙な果実」の5人を集めたということだろう。人選はライヴハウス側が出演者に依頼するのか、その反対なのかは知らないが、たぶん後者で、組み合わせの具合を見て決めるのではないか。ニエリエビタさんは月1回程度らしいが、頻繁に出演するには別に持っている仕事の事情から難しいだろう。おそらくほとんどの出演者がそうであるはずで、少ない客数からすれば交通費にも足りない場合があるはずだ。それでも出演するのは人前で歌いからで、また桁違いの多くの人に見てもらいたい夢があるからだろう。何しろ芸能界は一発当たると大きい。ただし、競争が熾烈で、よほどタニマチ的存在が支えるのでなければ全国的に有名にはなれないが、ライヴハウスに出る全員がそのような夢を持っているとも限らない。それにネットで発信出来る時代で、工夫すれば個人でもそれなりに全国的に知られる。とはいえ、その工夫にも時間や頭、センスを要し、ひとりでは限界がある。そこでまた経済的な問題の大きさが立ちはだかり、筆者は大手の会社がアイドルを商品として作り上げて行く音楽産業との対比を思う。ライヴハウスと芸能界を結びつけるのではなく、芸術と関係していると主張しても、人々は旅芸人の芸能人として見る。そこには憧れもあるが、蔑みも混じるのは昔からのことで、シンガーソングライターの曲が芸術として評価される第一歩は、聴き手の中の書き手に負うのではないだろうか。もちろん説得力のある文章である必要は言うまでもない。そういう書き手がどれほどいるのか筆者には皆目わからず、ただこうして感想を綴るばかりだが、筆者と同じように書く人が多く現われれば少しは事情が変わって行くのではないかと夢想する。ただし、その夢想は多くのシンガーソングライターのそれと同じように現実の壁の高さの前で嘆息混じりだ。
 最後に出演したのは松阪崇久という長身の若者で、ギターを弾きながら歌った。静かに歌い始め、やがて声高らかに朗々と盛り上げるという曲ばかりで、またテンポも同じで、正直に言えばやや食傷気味になった。それは5番目の登場で、耳が満腹状態であったからでもある。古過ぎるが、彼の歌い方からムーディ・ブルースの「サテンの夜」のヴォーカルを思い出した。あるいはもっと古いが、またよく言えばライチャス・ブラザースの「引き潮」だ。こうした曲は美声かつ歌唱力を要する。松阪さんはそれに挑戦している気概がある。最後から2番目であろうか、カヴァー曲をやると言って演奏し、歌い終わってジェフ・バックリィの曲と紹介した。題名は言わなかったが、ジェフの曲と聞いてなるほどと思った。松阪さんのオリジナル曲もほとんどジェフ張りだ。全身から醸し出す雰囲気まで似ている。それに彼はどの曲も英語で歌い、筆者は帰国子女で英語が堪能かと思ったが、耳を澄ますと簡単な英語のようで、そうではないかもしれない。どちらにしても英語の歌詞を書くシンガーソングライターは珍しいだろう。ひょっとすれば彼は世界進出を考えているのかもしれない。だが、ジェフ・バックリィの影響が濃厚であればその色眼鏡で見られる。ジェフはアルバムを1枚出しただけ30そこそこで死んだ。ジェフは日本で言えばもっと若くして死んだ尾崎豊を筆者は連想する。そう言えば痩せ型で男前である点も似ているが、筆者は尾崎の曲を聴きたいと思ったことは一度もない。夭折した天才と言われる表現者を筆者はあまり好まない。美化されるからだ。若い頃は男も美しいのはあたりまえだ。それが50、60の年齢になった時にどういう別の魅力を湛えるようになるかが面白いのであって、筆者が画家のROVIS CORINTHが好きなのは、死が近づくにつれて崩れて行く表現が尋常でなく、それがものすごく恰好いいと思うからだ。描くことに執念を燃やし続け、自分の姿や作品が醜くなることを厭わなかった。つまり、人生のすべてを返上しても描くことはやめなかったという凄みだ。歴史に残る表現者はそのような一途さが欠かせない。それをライヴハウスで演奏する若者に求めるのは酷か。そうではない。表現者を自認するからには、凄まじい才能と覚悟を持っている人物がほかにいるという想像に及ぶ必要がある。でなければ必ずそういう者に株を奪われる。そのことをたとえば松阪さんが思っているかどうかは知らないが、ジェフ・バックリィを超える決心があるかとなれば、彼の曲からはそれは感じにくい。ジェフを超えようとするのであれば、50、60まで演奏を続け、多少出っ張った腹を抱えた風貌をものともせずにそれに見合う歌と歌唱力で客を納得させねばならない。そしてそれは夭折した才能に焦点を合わせている限りは難しい。客が聴きたいのはジェフもどきではなく、他にはない才能だ。
 ネットで調べると松阪さんは大学の研究者のようだ。自己紹介の最後に歌を歌うとあるので、おそらく同一人物だろう。ライヴハウスで演奏する人はだいたい芸名を使うが、彼は本名であろう。また大学の先生であることを最初に書いているので、シンガーソングライターは趣味となる。シンガーソングライターの活動は別名がいいと思うが、大学の先生でシンガーソングライターであることを主張したいのだろう。となれば彼がジェフを好んでそれ風の曲を書いて歌うことは、客にはむしろ軽く受け留められる。ところで、TVでは風貌は冴えないが歌唱力のある若者が腕を競う番組があるが、見栄えが大きくものを言う芸能界では彼らの大部分はそのまま埋もれる。その点、松阪さんは大学の先生という知性があり、またルックスに花もあり、本腰を入れて音楽活動をすればプロになれるかもしれないが、本人にその覚悟があるかどうか。大学で教えるにしても選任と非常勤では安定した収入の点で天地の開きがある。松阪さんがどちらの境遇かは知らないが、それなりに安定した職があれば、それを捨てて趣味を本業にすることは大きな決断を要する。ジェフの大ヒット曲はレナード・コーエンの曲をカヴァーした曲「ハレルヤ」だが、それはキリスト教の知識がなければ理解しにくいが、筆者はそこでまたルナンを思い出す。彼は約束されていた安定した聖職者の道を捨て、愛する母の反対を押し切って在野に下った。そうして書いた著作によって世界的歴史的に有名な人物になったが、彼の著作でその覚悟の下りを読むと筆者は感動に震える。人生で何かひとつ自分の信じる大きなことを成し遂げるには、天才的な才能と、安定した地位を捨ててもかまわないという賭けが欠かせない。そういう人物は百年にひとりと言うなかれ。市井のひとかどの人も同じような思いで日々過ごしているのであって、現状すなわち結果、つまり果実はその道一筋の精いっぱいの努力の賜物だ。もちろん松阪さんが趣味の音楽を気楽にやっていると言うのではない。ストローク奏法はギター好きなら誰でもやれそうなものに思えたが、それなりにジェフに見習ったものであろうし、大学で研究していることと同じように真面目に音楽に取り組んでいるだろう。だが、研究が創作であれば趣味もそうであるべきで、趣味が模倣であれば研究もそうだと見られかねない。そのため、音楽の趣味を本業の研究をどこかで関係させ、双方ともに高めるという意識を持ち、結果も出すという視野が必要であろう。もっとも、これはせいぜい彼の演奏を20分ほど見た筆者の勝手な感想に過ぎないが、これも世間のひとつの見方であって、彼は自分の演奏が他者にどのように映っているかを知る参考にはなる。それはともかく、彼が50、60になった時の演奏を筆者は見ることは出来ないが、ぜひともジェフが成し得なかったことに邁進してほしい。それがジェフへのはなむけだ。
by uuuzen | 2019-01-30 23:48 | ●ライヴハウス瞥見記♪


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