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●梅田HARD RAINにて、燻裕里
調が合う人とそうでない人がいる。Sさんはローリング・ストーンズのファンで、来日公演を東京まで見に行ったそうだ。そこから音楽の趣味がおおよそわかる。



日本では燻裕里の演奏が物凄くよいと教えてくれたが、案外早くその演奏に接する機会が訪れた。筆者は映画でも展覧会でも前知識なしに鑑賞することを好むが、23日のライヴもニエリエビタさん以外は知識が皆目なく、予め調べることもしなかった。こうして感想を書くためにネットで調べるかと言えば、そうでもない。そのことはSさんにも言った。過去の経歴を調べて書くのが本当はいいのだろうが、それには時間がかかる。そのため、ライヴの感想であって、Sさんもそれでいいのではないかと言ってくれた。ただし、以前書いたようにSさんはパソコンもスマホも所有せず、筆者の文章を読むことがない。また読んでもSさんも感じたことであり、得るものはない。さて、ニエリエビタさんとSさんの3人で話していた時、背後でそれを諫めるような声が聞こえた。本当はそうではなかったのかもしれないが、そのような威圧を感じた。振り返ると燻裕里さんがマイクの前に立って演奏を始める寸前であった。ライトが落ちて3人とも舞台を向いたが、ニエリエビタさんはスマホで写真を撮り始めた。筆者もカメラを持参したが、当夜は誰も撮影しなかった。撮ってもブログに載せるには許可が必要だろう。後で面倒が起こらないことが確実ならば撮るが、そういう場合は少ない。それはさておき、筆者が会場に着いた時、燻裕里さんはカウンターで誰かと酒を飲んでいた。その時に多少酔いが回っていたのだろう。演奏を始めた時、アンプの上にビール瓶を置き、1曲歌うごとにそれを口に含んだ。それが演奏する際の習慣になっているようであることは、YOUTUBEの過去の演奏からわかる。あるいはそういう態度も演奏のうち、つまり計算づくかもしれない。そうではなくても、酒を飲みながらでもかまわないと考えるのは、結果的にはそういうことだ。いずれにしてもそこには全身を晒す態度がある。よく言えば真実味だ。もっと言えば、ブルースやロックを演奏するミュージシャンという自覚だ。ただし、そのことで燻裕里さんは他人の音楽をとやかく言わないだろう。自分はこうだという意識があるのみで、それを隠さないという考えだ。Sさんが讃えるのはそういうところだろう。それはミュージシャンとしての全存在が、態度を含めた演奏に露わになっていることへの賛同で、そういう生き方しか出来ないことへの理解だ。そこには凄みがあるのは当然で、また演奏の粗っぽさもむしろそれに寄与する。そういう生き方は年齢を重ねると誰でもそうなるところがある。特に酒好きの場合はそうだ。酒がその人の行為すべてを左右し、また世間からは仕方ないなと思われつつも許されるところがある。
 燻裕里さんの演奏を見ながら筆者は画家の蕭白を思い浮かべた。彼は酒好きで、曲線をくりくりと連ねて描いた酒樽の前で寝転ぶ酔っ払いの絵がある。落書き同然のそうした絵は多く、おそらく酒席で酩酊状態で描いたものだ。蕭白には真体の濃密な作品がある一方、そうした草体の席画がきわめて多い。有名な画家であれば酒席で人から絵を求められる。庇護者であれば応じないわけには行かない。そのため、酒が飲める画家には席画が珍しくないが、技術がしっかりとしているので、酔っても面白い絵を描く。むしろ酔って大胆になり、腕前を見せようと曲芸的に描いて珍しい絵が出来る。そこにぎりぎり表現者としての矜持がある。画家も音楽家も似たようなもので、権力者のお飾りのようなところがあった。またそういう覚悟を持って、芸術家などと自惚れず、世間の人とは違ったはみだし者との意識を持つべきと、筆者の知り合いの先生は口にする。そのとおりだ。筆者がライヴハウスで演奏する人たちに同意するのは、そういう思いがあるからとも言える。つまり同類だ。Sさんは会社員のようだが、世間からのはみだし者である芸を持つ者に、憧れとはまでは言わないが、共鳴する思いがあるだろう。そこには自分とは違う人生がありながら、同じ世界に存在しているという実感もある。そういう肯定的な気分がなければライヴハウスに出かけず、また燻裕里さんの演奏を好まない。25日もSさんは難波に燻裕里さんのライヴに行くと言っていたので、心酔の度合いがわかる。話を戻す。酒席は画家が才能を見せるにはいい機会だが、席画は普段は見せない砕けた調子が盛り込まれるところに面白みがあって、正当な評価の対象からは除外される。評価の基本は酒が入っていない状態で描かれた真面目な絵だ。それがあることによって席画も面白がられる。ところが、音楽では、特にブルースではどうか。それを演奏するのに真面目も酒もなく、真面目に酒を飲んでやればどうかと考える者もいるだろう。世間ではそれはアル中と呼ぶが、アル中が音楽をやってはいけない理由はない。またアル中が真面目な演奏家よりも格段に演奏が面白くないとは限らない。芸というのは個人が誰にも遠慮せずに自由にやっていいもので、それを好む者が好めばよく、波長の合わない者は避ければよい。そういう意味では燻裕里さんは最右翼と言えるだろう。だが、酒が供されるライヴハウスであれば、酒を飲みながらの演奏もあっていいではないか。それに彼はある曲でビールの小瓶の胴部分で弦を押さえながら演奏したが、それが本当のボトルネック奏法でもあって、また中に入っているビールを多少零しながらの演奏は見世物としては秀逸だ。そこに彼の演出があるだろうし、またそういう演出は客を驚かせ、楽しませる席画と同じもので、基本の技術を持っているからこそ大胆に披露出来る。
 ライヴハウスでの演奏は結局のところ見世物であり、見せるべきものを多く持つ者が人気を博す。女性であれば若くて美人がよいのは当然で、それを目当てに訪れる中年男性も多い。だが、人間の色気は若さにあるだけではない。年齢を重ねた男女ともに、その年齢でなければ得られない魅力というものがある。芸に精進している者はなおさらだ。Sさんに訊くと、燻裕里さんは筆者より1歳下だ。その年齢ではもう誰かに影響を受けることはなく、現在のまま突っ走るしかない。何歳まで活動出来るかは誰にもわからないが、体と頭が大丈夫な限り、人前で演奏し、歌うだろう。彼の現在の演奏はエレキ・ギターとキーボード、そしてギターの伴奏をループさせる装置の3つを操りながら歌うもので、ループ装置はいわばブルースやロックンロールのリズム・ギターのリフを担当させるもので、その伴奏に乗りながらギターとキーボードを奏でるが、時にユニゾンでどちらも演奏する。それも席画的な曲芸だ。ギターやキーボードのソロはそれほど長くなく、演奏は突如終わる。そうしてまたビールを飲み、次の曲へと進むが、ある曲では歌詞を忘れて苦笑いで演奏を中断した。そして始めたがまた同じ箇所で先に進めず、仕方なしにキーボードのソロを演奏すると言ってそうしたが、酒の酔いから忘れたのだろう。あるいは老化によるかもしれないが、60代半ばになるとそういうことはある。またそういうミスもライヴの味わいと考える人しかライヴには行かないだろう。筆者と同世代であればビートルズやストーンズを聴いて来たはずだが、ブルースやロックンロールは今は古いかもしれない。だが、彼のギターやキーボードのソロにはザッパ的な教会旋法のソロがあった。それもひとつの見世物として、計算づくでレパートリーに加えているのだろう。ただし、計算どおりにやらず、またやれず、時に逸脱する。それもまた計算どおりとする度量が伝わるところに、長年演奏して来た貫禄がある。ライヴハウスで演奏するミュージシャンの何割が60代まで続けるだろう。そのことを思えば燻裕里さんはひとつの大きな見本だ。それはどういう人生をたどるかの見本でもあって、はみだし者としての自覚と矜持を凝視するのがよい。そう言えば精神病院に6年入っていた時に書いた曲を演奏したが、彼のように図太く見える人でも精神を病むことがあったと思うと、なおさら音楽で生きることの壮絶さを思う。酒好きに関してはどこにでもいるし、また酒があればこそ名を成した人もたくさんいるので、欠点でも何でもない。ただし、60半ばを超えての深酒は体に応える。筆者は2年前の夏の一夜にウィスキーをほとんど1本飲み干して、3,4日寝込んだ。酒よりも音楽に酔う方がいい。もちろん酒と音楽と美女があれば言うことなしだが。酔ってんのかいな。
by uuuzen | 2019-01-28 23:34 | ●ライヴハウス瞥見記♪
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