髪が白くなれば染め、抜けがひどくなれば鬘か植毛という方法があるが、筆者は白くなり、また家内に言わせると全体に本数がかなり減って来たとのことで、年齢を思えば仕方がない。

その年齢を隠すためではなく、好きなので昔から帽子をよく被る。今日は母が去年12月中旬に4度目に移った病院から一時帰宅する初めての日で、昼過ぎに家内と上の妹宅の近くにある母の家に行った。母にとって3か月半ぶりの自宅だが、認知症が進んでそれがわからない。母の真正面に座わって母の頭のてっぺんを見ると、禿げているというほどではないが、中央の分け目が以前より薄くなっている。3時間ほど談笑して、市バスで西大路四条に行き、筆者だけ下りた。ライヴハウスに行くためだ。7時半の開演に間に合うかとハラハラしながら北に向かって走り、信号のないところで西大路通りを東側に横切ろうとすると、暗がりの中、中央分離帯に植え込みがあって面食らった。道に迷わずに店に着くと、たぶん7時半になっていた。店はビルの1階で、音洩れを防ぐために二重扉だ。中に入ると右手のせせこましいところに男性がいて、1枚の紙を示しながら、どのバンドかと訊く。そこに4つのバンド名があって、今朝あった金森幹夫さんからのメールにしたがって、「HYPER GAL」を指した。今日は「100%バックライブ!」と称して、入場料の全額が目当てのバンドの取り分になる。ただし、500円だ。それにドリンク代が600円で、1100円で4つのバンドの生演奏を見た。母の家で妹が注文した1500円の弁当に缶ビールを4本飲んでもう満腹で、金森さんが注文した料理などに手をつけなかった。奥にステージがあり、左手奥の細長いテーブルに金森さんともうひとりの男性が座っていて、早速そこに加わった。そしてHYPER GALのふたりを紹介してもらった。先月金森さんと会った時、京都の精華大に面白い学生バンドがあると聞いていたが、今朝金森さんからメールがあってライヴに誘われたのだ。母に会う用事があったのでちょうどよかった。それに500円は破格で、西院なら便利だ。「ネガポジ(陰陽)」は聞いたことがあるが、訪れるのは初めてだ。ステージ背後の派手な抽象文様の染色品はYOUTUBEで見覚えがある。ステージに向かって右の壁にかかっていた額入りの二文字の篆書「陰陽」は、達筆でとてもよい。学校の教室ほどの店内で、出番待ちのバンドを除くと客は20人ほどだ。9割がたぶん30歳までで、筆者のような60代には場違いなところだが、音楽を楽しむことに年齢差はない。それに客は相席しない限り、他の客を気にしない。ライヴハウス文化は今後も続くが、客層が30歳までが大半とすれば、彼らやまた演奏者たちはその後どうするのだろう。エネルギー溢れる若い頃の思い出として胸に収め、その後は普通の人になるのだろうか。何が普通かわからないが。
そう言えば金森さんやまた今日同席した男性は熱心なライヴハウス通いをしていて、注目するミュージシャンがあれば応援する。その形はさまざまだが、ライヴを企画することもある。それはひとつの援助で、ファンとして、また年配者として当然のことかもしれない。となれば、現在ライヴハウスによく行く若者の幾分かは50代になって金森さんのように若手のミュージシャンを見つけて声援を送るようになるだろう。またそれにはライヴを提供する場所が必要で、経営者の力も大きい。ネガポジでは平日はライヴが無料の場合もある。居酒屋を兼ねていることで経営が成り立つとはいえ、ミュージシャン側に立った良心的な店主と言える。金森さんから聞いたが、たとえば1500円の料金を徴収する店は、1000円が店の取り分で、500円が演奏側に入るらしい。客が20人でも1万円で、これが安いか高いかとなれば、人によって考えは違うが、今夜のように4組も出演すると交通費代程度にしかならない。それでも演奏を見せたいという熱意がある。ライヴ客もそこをよく考えて演奏を理解するように努めるべきだが、わざわざライヴに足を運ぶのであれば、ほとんどの客はそういう思いだろう。そして筆者もせっかくの機会であったので、こうしてわずかでも感想を書いておきたいが、バンドに届かなくても、またライヴに無関心な人が読んでも、いつか何かの縁が出来るかもしれない。それに筆者としては、初めて知る音楽をどう捉えればいいかの訓練になる。さて、最初に登場したのは京都の4人組バンドのFLAT SUCKSだ。これはどう訳せばいいか、店の「陰陽」に倣って短く言えば「俗物」か。バンド名は一度聞いて忘れないような特徴のあるものが理想的で、筆者は料金を支払った時にもらったチラシの束に交じっていた店のスケジュールによって、このバンド名を自覚した。もう少しどこにもない名前にすれば、
YOUTUBEの映像もすぐに探せるのだが、いくつかの映像によってどういう演奏ぶりかはわかる。そして4年半前のライヴ映像と今夜の彼らの姿はほとんど同じで、これは進歩がないと言えばいいのか、あるいはもうヴィジュアル的には完成の域に達したとの自覚があるのだろう。大きな特徴はリーダーのヴォーカリストが上半身裸で、腹や背中、腕に墨で文字をいろいろと書いていることだ。胸に「FLAT SUCKS」と書くことは毎回のようで、バンド名を覚えてもらうにはよいだろうが、初めてその姿を見ると変態セックス好みかと思って、文字に思いが至らない。ともかく、素肌に書かれる文字は刺青か耳なし芳一のように日本的で印象深い。また日本的な要素は、曲名だろうか、紙に墨書したものがステージ前面の天井から隙間なしに吊り下げられていたことだ。ステージの背後の場合もあり、また寄席の演目めくりの形態を採ることもある。今夜は激しく歌う間にその紙が数枚剥がれ落ちて来た。
それほどに激しい身振りで、疲れからか、ステージに寝転がったり倒れたりしながら叫び歌うが、楽器の大音量ゆえに、歌詞はほとんど聴き取れない。ロックとはそういうものでもあるから、歌詞は後で調べればいい。そこで早速ネットで調べると、曲名は「DYNAMITE」「鋼鉄の月夜」「機械化人間」「牧歌的な時代の終わり」「ムスリムたちは悪くない」「MAI PEN RAI」「暗い時代」「痴呆症」「SCI-FI LIAR」といったもので、今夜もこれらが演奏されたと思う。題名が歌詞をおおよそ説明しているであろう。かなりまともな、あるいは真面目と言えばいいが、今の若者風だ。ヴォーカリストの「早田薫」がリーダーで、「貧乏旅行者、ひきこもり、日雇い労働者」を自称する。この3つはこのバンドの本質をよく表現しているだろう。「ひきこもり」は他のふたつとは相容れないが、一時引きこもっていたということだろう。「日雇い労働者」はアルバイトが多い今、不思議ではない。給金の最も割のいいのがそれで、体力があればそうして稼いだお金で貧乏旅行をたまにすることも出来る。好きなことをして生きて行くのであれば、日雇い仕事は仕方がなく、また理想的でもある。そして、そういう生き方の一方でバンド活動をしているが、他のメンバーも似たようなものだろう。リーダーのこのヴォーカリストが2010年に大学内でメンバーを募ってバンドを結成した。名前の漢字がわからないものは平仮名にしておくが、ギターは「たきぐちりょう」、ベースは長身の女性で「筒井かおり」、彼女は2013年に大学7年生であったというから、今は31か32歳だろう。
ホームページによれば、また同年はタイのFM放送で彼らの音楽が紹介され、2014年に再結成したが、それ以降マレーシアも含めて東南アジアで演奏しているようだ。ドラムスは「よこやまひろき」で、「変態紳士、コンテンポラリーダンサー」と自称する。YOUTUBEでは彼らのライヴに能の仕舞が加わっている映像があり、日本的ということに多少こだわりがあるようだ。2014年以降のデータは載っていないが、前述のように
2014年からルックスや音楽性にほとんど変化がないと思う。金森さんは彼らの音楽は昔よく聴いた類のものと言ったが、それは今では珍しくない音という意味だろう。確かにギター、ベースにドラムスにヴォーカルという基本の4人で、終始楽器の大音量と絶叫と形容すれば多少音楽を聴いている人はおおよそ音楽性が想像出来る。どういう音楽でもジャンル分けはされるし、またそのようにして理解したつもりになって聴き手は胸騒ぎを抑制する。どう評価していいかわからないものは不安を与えるからでもあるが、その不安が魅力であり、その謎を解きたいためにまた同じバンドのライヴを聴こうとする。
その意味でこのバンドはどこに魅力があるのかと問われると、筆者は目の前にいたベースの女性に瞠目した。それが珍しいと金森さんに言うと、さほどではないと言う。そう言えばトーキング・ヘッズのベースが女性であった。激しいロック音楽をやりたい女性は珍しくなく、音楽に男女の差はないことはよくわかっているが、パンクでもハードコアで、またネットにはファンタスティック・アスレティック・パンク・バンドと書かれているこの4人組は、同じメンバーで足掛け9年活動を続けて来たことに、どういう結束力があるのかと想像すると、ひとりいる女性がどういう役割をしているのか気になる。つまり、男4人よりも女がひとりいることで却って長続きしているように思う。また同じ曲をこれまで何度も演奏して来たはずで、猛烈に速い演奏は息がぴったり合っていたのは当然として、彼女がどういう音楽を好み、またバンド活動がどのように楽しいのかと、いささか驚く。彼女の風貌が筆者がお世話になっている染色整理工場のお姉さんとそっくりで、それで気になったのだが、大学を留年し続けるほどに音楽に熱中していたのであれば、今後もそうたやすくバンド活動をやめないだろう。
CDは3枚出していて、それを聴いていないので彼らの音楽性について即断出来ないが、ライヴに一度接した限りでは、どの曲も同じ調子に感じられ、耳の中が痛みを越して痒く感じるほどの大音量であったという印象だ。またギター・ソロが長く続くという即興部分がなく、どの曲もあまり長くはない。終始絶叫ヴォーカルに徹するのであれば、自然とそうなる。また2,3分の曲であればメンバーの息も合わせやすい。東南アジアでライヴをしてそこである程度の人気を得ているのであれば、これからは外国での演奏が増えるだろう。日本製品が外国で人気を博した次に文化の輸出がある。その一端として若手のバンドがあって、すでに海外での演奏は珍しくなくなっている。そうなれば、日雇い労働者から解放され、音楽三昧の日々を送ることも夢ではないが、彼らに刺激を受けて現地ですぐに似たバンドが出現するはずだ。文化の違いや言葉の面でハンディがあるだろうが、それが逆に現地のバンドにはない持ち味として歓迎されることもあるから、「MAI PEN RAI」という曲を作ってもいるが、日本にいれば、「機械化人間」「牧歌的な時代の終わり」「暗い時代」の気分を大いに味わうから、それとは反対の東南アジアに理想郷を夢見るというのもよい。筆者の友人Fは20年ほど前にタイに移住し、その後音信はないが、タイには日本にない年配を敬うよさがあると言っていた。TVで紹介されるタイの発展ぶりを見ると、いずれタイの若者も「機械化人間」「牧歌的な時代の終わり」「暗い時代」を思うようになるのではないか。結局のところ、そうではない理想の生活はバンド活動にあるということだろう。