薬はめったに買わず、医者にも行かずのこれまでの人生だが、これからはわからない。先日「風風の湯」で筆者と同じ年齢のMさんが、筆者と同じように医者嫌いの友人の話をしてくれた。

60歳で直腸癌で亡くなったが、出血を痔のためと自分で判断していて発見が遅れたそうだ。痔なら病院に行くこともないと考えたのだ。Mさんは「少しは医者の意見を聞いていれば癌の早期発見が出来たのに」と言った。医者嫌いを公言するのもいいが、そのために寿命を縮めては何にもならないとのことだ。だが、それはそれで、みんな自分の運命を生きている。筆者は『たぶん自分は大丈夫だろう』という何の根拠もない自信で生きていて、たとえば癌の発見が手遅れになれば受け入れるしかないと思っている。それは世間的にはとても不健康な生き方と言われると思うが、何が不健康でそうでないかは、他人に迷惑が及ぶのでない限り、個人が決めればよい。そのことをMさんに言うと、「ひとりで生きているのならそれもいいが、家族がいればそれは無責任ではないか」と、しごくまともな反論を寄せる。そこで筆者は口をつぐむが、心中は、家族がいてもそれぞれは別の人生との思いがある。急に事故あるいは病気で死ぬこともあり、医者によく診てもらっているから長生き出来るとも限らない。それはともかく、薬に関心のない筆者は大型のドラッグ・ストアがあってもほとんど意識せず、入ることもない。筆者にとってドラッグ・ストアはトイレット・ペーパーを買う場所で、家内にとっては安いポテト・チップスを探す場所となっている。それほどにふたりとも薬に縁がないが、家内はここ数年体質が変化して来たのか、去年は医者も卒倒しかねないほどのゾンビのように顔面が崩壊した。その原因は町医者でもらった薬が原因で、薬に対する不信感を増加させた。顔が元どおりになって以降、部分的に湿疹で荒れるが、弱い薬でどうにか抑えている。薬はそのように怖いものだ。筆者は高血圧なのでそれを下げる薬を飲んだ方がよいと「風風の湯」の常連からよく言われるが、それを聞く別の常連は、「一度飲み始めると一生手放せなくなりますよ」と言う。つまり、薬はある症状を改善させる能力がある代わりに別の欠点が必ずある。そしてその別の欠点で命を落とす例を話してくれた。それは薬に懐疑的な筆者の想像の範囲内のことで、やっぱりという気がしたが、一方でいっこうに血圧が下がらないことに不安はある。そしてそれが運動不足や食べ物のせいであることは知っているので、寒い季節はなるべく自転車に乗らずに歩くことにしている。それで毎週火曜日は桂川の右岸の土手を歩いて上桂の桂川街道沿いの菓子屋とスーパーに行く。そうするようになってまだ1,2か月だが、梅津のムーギョがなくなって半ばはそうする必要に迫られたからだ。

梅津にあったムーギョは去年の暮れに閉店した。そこに通うようになって10数年か20年ほどと思うが、建物が老朽化していた。また建物の持ち主が建て替えて同じスーパーに貸すより別の商売をした方が得と考えたようだ。ムーギョの閉店は9月頃に従姉から聞いた。そしてムーギョが入っている7階建ては1階がムーギョ、2階が100円ショップで、その上層階はマンションであったが、住民は9月末までに全員出て行ったと聞いた。建物を壊した後に何が出来るかと言えば、隣りにあったさびれた市場も含めて大きな老人介護施設になる。それほどに老人が増えている。それは20代後半に梅津に住んだ筆者が今67歳になっていることからも納得出来る。梅津の街全体が高齢化していて、スーパーよりも介護施設が必要なのだ。そして、30年ほど先にはまた介護施設の多くは用がなくなり、マンションか更地になるだろうが、空き家が急増しているのに新築の家が建つことは梅津も同じで、長年田畑であったところに建売住宅がどんどん建っている。それはともかく、ムーギョがなくなると、梅津のスーパーはムーギョの近くのトモイチか、松尾橋近くの別のチェーン店かの2か所となって、ムーギョでしか買えなかったものが手に入らない。そこで上桂街道沿いにあるムーギョに行く必要に迫られ、その予行演習の形で筆者は2か月前から歩いて通うようになった。物集女街道を利用するより、桂川の土手上の自転車道路を行く方が距離が近いことを知り、毎週火曜日に歩いているが、家内はその道を好まない。見晴らしがとてもいいが、その分さびしくて夕方は怖いと言うのだ。確かにそうだが、筆者は見晴らしのよさと近いことに軍配を上げている。梅津のムーギョと違って調理場がないので、すぐに食べられる弁当やおかず、寿司などは売っていないが、買い慣れた商品が同じ価格で売られている。そのムーギョの隣りが大型のドラッグ・ストアで、そこから100メートルほどの上桂街道沿いに、酒や菓子を売る店がある。その店先に1袋95円であったか、全部で7種類ほどの袋入りの、割れたあれやおかきが売られている。工場で商品にならないものをはねのけ、それを袋詰めしたものだ。毎週火曜日は消費税が安いので、それで筆者は家内の好物のその安物のお菓子を3,4袋買いに出かける。人気商品で、毎週売られているものが違い、だいたい3種類しかなく、それでいつも家内の好きなものばかりは買えない。家内の一番の好物はエビ満月だが、ここ10年でとても値上がりし、1袋300円や500円はあたりまえになった。それにしても家内は塩気が多い菓子が好物で、1日1袋は健康によくないと思うが、それくらいは好きにさせろと言う。薬と思っているのだろう。ポテト・チップスはよくないと筆者が言ってからもっぱらおかきやあられで、家内は評論家ほどにあらゆる商品を知っている。

今日ももちろんその菓子を3袋、そしてムーギョで他の買い物をして来たが、梅津のムーギョに行くのとあまり距離が変わらない気がする。それに空気の悪い四条通りよりは土手の方が車に気をつける必要もなく、ストレスがない。そうそう、梅津のムーギョは数年以内に近くに適当な場所が見つかれば営業を再開するらしい。それは客がどれほどあるかとの相談でもあって、上桂のムーギョに客を奪われてしまえば再開は難しいのではないか。あるいは老人が多い街になっているので、梅津の住民が上桂のムーギョまで自転車や徒歩で行くとは考えにくい。筆者もいつまで歩いて嵐山から上桂まで買い物に行けるかだが、一緒に出かけると家内がマラソンするほどの早足は相変わらずで、10年ほどは同じ調子でいられると思っている。それはさておき、今日の本題。上桂のムーギョから200メートルほどか、上桂街道沿いの歩道から30メートルほど奥に入った住宅地に、石の玉垣が少し見える。これを数か月前に見かけながら、今日はカメラを持っていたこともあって、気になってその横道に入ってみた。すると予想どおり神社があった。「産土(うぶすな)神社」という土地の神様だ。創建がいつかわからず、それだけにまた地元に密着した神域として大切に保存されていることがわかる。鳥居や玉垣は平成に新しくされたもののようで、小さな境内はきれいに整えられている。桂川街道は桂川に突き当たる直前で途切れているが、その幅広の道を造る時、この神社を避けたことは当然で、神社周辺は旧家然とした家があるなど、落ち着いた雰囲気に満ちている。上桂は20年ほど前は住宅地が少なかったが、大きなマンションがたくさん出来て、サラリーマンのベッドタウンになった。上桂か桂か知らないが、一部にあまり地元住民には評判がよくない地域がある。そういう地域には他府県から来た人たちが住み着き、今は昔ほどそういう土地の古くからの歴史をあれこれと言う人は少なくなっていると思うが、古くから住む京都人はどこに住んでいるかで人柄を判断するところがある。たとえば梅津と聞くと、あまり品位がよくないとされるが、梅津もさまざまで旧四条通り沿いには旧家が並ぶ。それはさておき、桂川街道の歩道を歩くと、それが今後どのようにどこに延長されるのか気になる。そのまま直進すれば上野橋の上流300メートルに達し、別の橋を架ける必要があるから、現在の終点地から直角に東に曲がって無理やり上野橋南端に接続するしかない。あるいはそのまま直進して新たな橋を架け、そこから四条通りまで延長するかだ。そしてその交点に梅津のムーギョやトモイチが位置する。そうなれば梅津から上桂のムーギョに行くことは便利になり、早く土地を買収して道路を延長してほしい気がするが、筆者が生きている間は無理だろう。それにそういう新たな道が出来ても、筆者は現在の土手道で充分だ。