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●『パリ、テキサス』
る季節にテキサスの熱そうな砂漠が登場する映画を見るのも乙なものかと思うが、今年の冬は暖冬で、寒さはそれほどではない。今日は年末でもあり、以前から気になっていたヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』を取り上げる。



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1984年の制作で、34年も前だ。前に書いたようにTVの録画は終末部が欠けていて、いつか全編を見たいと思いながら、最近ようやくビデオ・テープを買った。DVDより安かったからだが、ビデオは気になった箇所を探すのが面倒で、もう一度全部見たが、パソコンを見ながらであったので、上の空であった。本作は一度見ただけではわかりにくいが、何度見てもそうかもしれない。それでロード・ムーヴィとしての、風景を楽しむ手もあって、ザッパに関係の深いモハヴェ砂漠やその近くを走るハイウェイ、それを見下ろす主人公の男性の弟夫婦が暮らす高台の住宅などがとても興味深かった。そのことについて書くのはこの映画を見る人の何の参考にもならないが、ついで書いておくと、テキサス州と言えば都会はヒューストンだ。その高層建築が林立する街が映画の後半の舞台となるのも面白い。ヒューストンは宇宙開発で有名で、P-FUNKのアルバムにその街に因むものがあったが、ヴェンダースはザッパもP-FUNKも聴かないだろう。それにこの映画の音楽はライ・クーダーが担当しているが、それはあたりまえ過ぎてさほど面白くない。ぴったり合い過ぎているからだ。本作で鳴りわたる音楽は彼のギターの1音のみと言ってよく、ならばわざわざライを起用するまでもなかった。もっとも、本作が縁になってライはヴェンダースの後の作品ではほとんど中心人物となる。その映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のビデオも最近買ってようやく見たが、感想を書く気にはなれないでいる。ヴェンダースは売れる映画のツボをよく心得ていて、それが鼻につくところがある。その点、ヘルツォークはもっと純粋だ。それゆえ、ヴェンダースほど売れない。映画の世界は特に売れてなんぼで、映画における真実味を求めるほうが無茶だ。結局映画を見ている間だけ時間を忘れることが出来ればいいようなものだ。つまり、最初から作り物で、真実味は鑑賞者の錯覚だ。そう思っておいたうえで、なお自分だけがかすかに感じる真実味を楽しむのだが、その意味で本作はこつんと胸に響く箇所がなく、こういう夫婦もあり得るだろうなという感想で終わる。こう書けばもう何もつけ足すことがなく、後味が悪いので、何かを絞り出してもっと書かねばという気がしているが、ネットにたくさんある感想とは違って、筆者らしい視点がないかと模索しながら書いている。「時は金なり」で、せっかくビデオ・テープを買い、二度も見たのであるから元を取っておこうという考えだ。だが、こうして書く時間も金であり、筆者は何の元を取っているのだろう。
 本作はナスターシャ・キンスキーを起用しなければヒットしなかったであろう。彼女は後半に登場するが、その役柄はヒューストン郊外のいかがわしい場所で男相手に媚びを売る仕事だ。とはいえ、売春ではなく、マジック・ミラー越しに向こうの男と電話で話す仕事だ。マジック・ミラーであるので、男は自分の姿を女に悟られることなく、向こうの女を覗き見出来る。電話ではセックスに関する話も出るだろうが、本作では彼女は「そういうサービスを求めるならば別の場所へ行け」と言う。つまり、セックスを売りにはしていないという設定だ。そこは信じるしかないが、ならばもっと別の働き場所があるだろう。そのぎりぎりの、あるいは曖昧ないかがわしさを漂わせるにはナスターシャは最適だ。また、本作は彼女が4年前に夫とひとり息子を放り出して家出し、その後にそういう場所で働いているという設定で、これも彼女の美貌と雰囲気にふさわしいが、家庭を捨てた後の妻の生活の困難さが浮き彫りにされ、また日本でも今は同様の境遇の女性が少なくないことを思わせ、その現実的な設定は見る者の心をヒリヒリさせる。だが、それは本作が最も言いたいことではないだろう。では何がテーマかと言えば、男女、夫婦の愛で、次に母と子の愛だ。また兄弟愛もある。これらの愛で最も重視され、結実するのは母子の愛だ。ナスターシャ演じるジェーンは、夫と子を捨てはしたが、毎月わずかながらも銀行に入金して、子どもを育てている弟夫婦に送金している。一緒に暮らせない理由は明らかにされないが、たぶん子ども学校に通わせるほどの収入がないのだろう。ともかく、夫と子を捨てたことは精神を病んでいる。もっとも、子どものない弟夫婦は大喜びで、自分たちの子として育てている。それが結局、ジェーンが失踪した夫と再会したことで、また子どもを高層ビルが間近に見えるホテルの一室で抱きしめることになる。それも理解し難いが、そういうこともあるだろう。この場合、彼女の男が出来ていなかったようであることが幸いで、現実はそうである可能性はまずない。彼女の若さと美貌であれば、4年も男なしの暮らしはあり得ない。最低でも数人は言い寄り、男と一緒に暮らしたはずで、男がお人よしであれば息子を引き取り、自分たちカップルの間で生まれた子どもと一緒に暮らしているだろう。それがよりあり得る現実だ。本作はそれを描かず、嘘っぽいが、ヴェンダースの映画は後味のよさを旨とするから、非現実的であっても強引にそれを現実にあるかのように見せる。ヘルツォークが本作の脚本を書いて撮影したとすれば、ジェーンは気の荒い男と暮らしていて、子どもも暴力の被害に遭っている設定にするだろう。子を捨ててひとりで遠く離れたところに暮らす若い美女の末路とはそんなものだ。それはアメリカでも日本でも同じだろう。
 本作の主役の男性トラヴィスはジェーンとはあまり釣り合っているように見えず、頼りない雰囲気だが、そうであるから彼も失踪したと言える。なぜそうしたかだが、これは彼がテープ・レコーダーに吹き込んだ告白によって観客は知る。肝心のそこがとてもわかりにくい。かつてトラヴィスは若くて美しい妻を愛するあまり、ついには仕事に行かずに終日一緒にいようとした。そこがまず狂気で、精神を病んでいる。普通の感覚の妻なら、夫に外で稼いで来てもらわねば困る。いくら妻が大事とはいえ、終日セックスすることを何か月も続けられるはずがない。また出来てもそういう夫婦は精神が壊れている。だが、トラヴィスとジェーンのような夫婦がいることがアメリカらしいのかもしれない。歪んだ夫婦愛だ。好きであれば相手を束縛しがちで、ふたりの心がそれで一致するのであればいいが、子どもが生まれると夫婦の関係は変わる。本作でもトラヴィスの語りによってそのことを描いている。トラヴィスはジェーンに依存し、またジェーンもそうであったが、子どもが産まれたことで、トラヴィスは自分が本当に妻から愛されていたことを思い、逆に妻は夫から見捨てられたと感じる。それに子を持つと、その生活に縛られる。そう考える点でジェーンは精神が未熟なのだが、そういう若い女性は日本にも無数にいるだろう。今は子どもが子どもを産む時代だ。結婚とは男女からやがて父母の関係になることだが、その時に子どもを介在して以前のような男女の関係をどこまで持続させられるかが、夫婦としてすべき努力だ。結婚生活は次々と変化する夫婦の関係をお互いどう努力して良好に保つかだ。またそこに醍醐味があると思えなければ、やがて離婚する。ほとんどの人にその結婚生活における寄り添いは常識ないし本能として具わっているが、時にそうではない男女、夫婦がいる。その場合、不始末は相手のせいにしがちで、相手が違えばもっとうまく行くと考え、それで離婚するが、子どもがいる場合、問題は複雑だ。子どもが両親の犠牲になるからだ。親は好き勝手が出来るのに、自立出来ない子は親の考えにしたがうしかない。本作では弟夫婦の育て方がよかったのか、トラヴィスの子どもは理想的な賢さを持っている。そこもかなり嘘っぽい。現実は暗い子であることが多く、精神を病んでいることが大人になって初めて深刻な病として本人が気づく。本作ではジェーンが息子を抱きしめることで終わるが、その後の生活を考えると、いずれ子どもは母がなぜ自分を捨てたかを問うだろう。その時、ジェーンはどう応えられるか。そういう現実に思いを馳せると、本作のあまりに甘い設定に拍子抜けするが、開高健が書いたように、子どもの出る映画は見る気がしないという理由を思い出す。ヴェンダースは『都会のアリス』ではかわいい女の子を起用したが、同作でも甘さが売りであった。
by uuuzen | 2018-12-30 23:59 | ●その他の映画など


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