●『プラド美術館展―ベラスケスと絵画の栄光―』
わしいことと言えば筆者は本の整理が苦手だ。本が全部本棚に収まる頃はきれいに分類して並べていた。それが一旦はみ出ると、もう積み重ねがあたりまえになり、挙句は隣家まで侵入し始めた。



d0053294_00121488.jpg先日から気になっていた本を隣家の3階から探し出して来ることをどうしようかと思っていたが、先ほどまだ日があるうちに思い切って腰を上げ、探すことにした。運よく5分ほどで出て来た。エウヘーニオ・ドールス著の『プラド美術館の三時間』だ。1974年2月27日に購入し、3月12日に読み終えている。ヴェルヴェットの布装で、背の題名の地色や栞紐は藤色で、これが当時とてもきれいだと思ったが、かなり褪色している。2200円の価格は今なら5000円では収まらない。同じ著者の『バロック論』も当時読んだが、おそらく半分ほどしか理解出来ず、また大半の内容は忘れているが、それでも読んだという記憶は鮮明で、内容の神髄は把握している気になっている。『プラド美術館の三時間』を引っ張り出す気になったのは、兵庫県立美術館で10月14日の会期最終日に『プラド美術館展』を見たからだ。10年ほど前に同じような規模の同じ題名の展覧会が大阪市立美術館で開催されたが、違う作品が持って来られているはずで、見に行くことにしたが、予想どおり、プラド美術館で見るべき名作は来ておらず、同美術館の誤った印象を来場者に与える気がした。そう思ったのでブログに感想を書かないでおこうかと考えたが、他の美術展を取り上げるのは何となく気が進まず、茶を濁す形で書くことに決めた。本展のチラシは見開きの立派なものだ。内部に10点の油彩画の写真がジャンルごとに掲げられている。図録を買わずに済むと思わせるに充分で、実際図録は買わなかった。表紙と裏表紙はベラスケスの油彩画で、本展は副題にあるように、彼の作品を目玉とする。3、4年前にも同じ美術館でベラスケスの絵が目玉となった展覧会があって、日本にいながらにしてもう見慣れているという気分がある。だがこれは大間違いで、プラド美術館にある彼の代表作は決して日本にやって来ない。代表作の『ラス・メニナス』や『槍』を見るにはマドリッドまで行く必要がある。海外旅行は大幅に安価になっているので、その気さえあれば、また美術好きであれば、ほとんど誰でも行くことが出来る。上の妹の長男が10年ほど前に仕事を変えた時、気分転換にスペインにひとり旅し、プラドを訪れた。筆者にボスの楽園の大作を表紙に印刷したノートを土産にくれたが、それがどこへ行ったのかわからない。ともかく、筆者が『プラド美術館の三時間』を買った頃に比べ、思い立てば気楽に行ける美術館になった。それでも本展が開催されるのは、スペインに行くよりはるかに安くつくと考える人が多いからだろう。実際そのとおりだ。
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 チラシには小さく「日本スペイン外交関係樹立150周年記念 兵庫県政150周年記念事業」と印刷され、思い切った企画であることがわかる。会場で配布された作品目録には「政府による美術品補償制度の適用を受けています」とあって、保険金がとても高額であることが想像される。プラド美術館にすればいわば2級作品の貸し出しで大金を得ることが出来るはずで、両国にとっていいことと考えられたのだろう。ついでに書くと、会場には大阪市立美術館で開催される「ルーヴル美術館展」のチラシが置いてあった。また来年はフェルメールの絵が5点見られるという、東京で開催された展覧会の巡回が大阪である。どちらも時間があれば見ようかという程度で、ぜひともいう気はない。そのぜひともの部類に入る展覧会として東京都立美術館で来年1月末まで「ムンク展」が開催中だ。初めて日本に来る作品もあるので、見たいと思っているが、東京まで行く時間と費用を思うとやはりまあいいかということになる。それに筆者はこれまでに6,7回はムンク展を見た。その意味で新鮮味がない。それを言えばほとんどの展覧会がそうで、筆者の世代はもう用済みのようだ。話を戻して、本展のチラシの裏表紙の右上に縦書きで「彼は無感覚なまでに客観的であり、真理のように残酷で、また心理のように厳粛である」とあって、白抜きで印刷されている。その文章を筆者は30分前に『プラド美術館の三時間』で読んだばかりだ。早速その箇所と照らし合わせ、写真を撮った。訳は神吉敬三で、チラシにその名前がないのはいささかまずいのではと思うが、筆者の世代の美術好きなら誰でも『プラド美術館の三時間』と言えば神吉敬三であると知っている。それはいいとして、その本のベラスケスの章は全部で14ページと短い。それはこの本がプラド美術館を訪れる人のための案内書であるからで、なるべく簡潔に画家とその作品を紹介している。3時間で全部を見て回るのがちょうどいいというだが、本展でも1時間ほど要したので、3時間ではマラソンのように駆け足ではないか。もっとも、ドールスは一度見れば再訪しなければならないと感じるだろうと最後に書いている。本が書かれたのはおよそ100年前のことだ。その後国立考古学博物館へ移された古代の彫刻があり、その中の1点に最近筆者が気になって調べている彫刻があるが、いずれブログに書くかもしれない。またプラドは半世紀前に近代美術館を合併したので、全部見るには3時間ではとても無理だが、ベラスケスの代表作だけじっくり見ればよい。そして時間の余裕があればグレコやゴヤ、それにスルバランやムリリョ、リベラ、またボッスやブリューゲルを加えるが、デューラー好きは絶対にその自画像を見なければならない。こう書いていると、やはり死ぬまでにはそうした画家の代表作は全部見ておきたいと思う。
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 本展の図録などのグッズ販売の部屋に、プラド美術館が所蔵するベラスケスの全作品の図版が並べられていた。ベラスケスの作品を充分に堪能出来る美術館がプラドだけであるからだ。そして『プラド美術館の三時間』は12点のベラスケスの絵を挙げて、それらを4つのジャンル「神話画」「宗教画」「世俗画」「肖像画」「風景画」に分けているが、本展は12点のどれも展示しなかった。2級品と言えば語弊があるが、本展のジャンル分けで言えば第1章「芸術」に肖像画が1点、2「知識」に1点、3「神話」に1点、4「宮廷」2点、5「風景」に1点、6「静物」にはなく、7「宗教」に1点と、なかなか豪勢で、これほどまとまったベラスケスの絵が来るのは初めてであろう。ドールスが「風景画」で挙げている「ヴィラ・メディチの庭」2点は習作の小品ながらとても有名だ。それが本展に出なかったのは当然かもしれない。本展の5「風景」の1点はチケットやチラシに採用された「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」で、背景に風景画の要素が多いという考えからだろう。ドールスが挙げる12点と本展の作品に同じものがないとしても、似た傾向の作があるのでベラスケスの本質はわかる。たとえばドールスは「エル・プリーモ」という肖像画を挙げている。これは本展の「メニッポス」や「バリューカスの少年」と同類だ。ベラスケスは「ラス・メニナス」に小人を描いているが、「エル・プリーモ」も小人だ。「バリューカスの少年」は知恵遅れに見えるが、「メニッポス」は長身の乞食だ。ドールスは12点に「道化役者ドン・ファン・デ・アウストゥリア」を含めていて、当時の宮廷がそうした職業の人物をかなり雇っていたことがわかる。娯楽の少ない時代であったためと説明出来るかもしれないが、そういう世間からはぐれた者をお抱えにするほどに王族に慈悲があり、またそれはキリスト教の精神によるだろう。ドールスは「道化役者ドン・ファン・デ・アウストゥリア」を世界史におけるドン・キホーテの一時点を想起されるとし、また不合理な存在である彼らの肖像画はロマン主義であると書く。一方でドールスはベラスケスの絵画を端的にこう言う。「彼が創造した人物たちも、飛翔とか重さとかいった一切の心配事から解放され、あるがままの姿で、存在するがままに存在しているのである」。また別のところでは、「城が宿屋に変り、王女がお三どんに変るのはドン・キホーテの場合だけではない。これは極めてスペイン的な不幸なのである……しかし芸術は、すべてを救済するのだ。神をならず者に変えることに夢中になったとしても、それはそれなりに、ならず者に不滅性を与え神にまで高めるためなのである」。この文章を読めばベラスケスの前述の肖像画が違って見えて来るかと言えばそうではない。絵の前にたたずむと、乞食も白痴も小人もみなこちらを見つめてどこか堂々として、存在感が圧倒的だ。
 それはベラスケスがどのような人間にも等しい眼差しを抱いていたからだろう。どのような人間もそのままで尊いという見方だ。それは今の日本では持ちにくい。ベラスケスは王族の肖像画を盛んに描いたが、ゴヤのそれと同じく、あまり高貴な印象はない。王侯貴族よりも小人や乞食を描いた作品の方により人間味を感じる。今なら写真が手っ取り早いが、写真家と撮られる者との関係が写真に表現されるから、ベラスケスのような精神を持っていなければベラスケスの肖像画のような写真は撮れない。人は絵の巧みな筆さばきの向こうに画家の思いを読み取る。技術は達者でも白々しく、よそよそしい絵があり、子どもが描いたかのような絵に神々しさが溢れる。そこが絵の面白いところで、人間は驕れば駄目ということだ。その真理をベラスケスが代表しているということだが、それは当然子どもが描いたようないわばつたない技術によるものではない。ドールスはベラスケスを「古典主義とロマン主義の中間に位置する純粋なレアリスム」とするが、すぐその後でこう言い換える。「彫刻的・建築的なものへの傾きを持った絵画と、正に音楽もしくは詩に昇華せんとする絵画の中間に位置する絵画中の絵画」。ついでに書いておくと、ドールスはべつのところで「絵画は、諸芸術の中においてその中心地を占めている。絵画領域のこちら側には彫刻が位置し、さらに手前には建築が陣取る。……絵画の向こう側、徐々にロマン的色彩を強める不明確さを増してゆく地帯に音楽とたぶん詩が位置し、……」と書き、また古典主義の定義を建築的重厚さへの傾きを示し、支え合うフォルムに至上権を与える傾向とし、古典主義者の立場を表明している。筆者はこのドールスのフォルムに対する考えにそうとう感化されたと思う。22歳で買って読んだ本であるので何かを吸収しようとしたし、またそういう年齢でもあった。だが、当時から筆者はレコードもよく買っていたので、ロマン主義も好きであったことになる。それはさておき、筆者が『プラド美術館の三時間』を買った頃にはほとんど予想出来なかったプラドの作品が日本に持って来られるようになった。同著にはモノクロでたくさんの写真図版が掲載されているが、今は無料のチラシの方がはるかに鮮明できれいな原色印刷だ。それでもいつまで経っても実物にはとうていかなわない。そう思うので展覧会によく行くが、行ってもその感想をブログに書いていないことの方が多くなっている。気になりながら、また1,2年も遅れて図録を入手していることもあるが、買ったまま積ん読状態だ。今日の最後の写真は最終日であるので、閉館間際に美術館の人たちが次回のサヴィニャック展のポスターに貼り変えている様子だ。サヴィニャックのポスター展は10年ほど前に今はないサントリー・ミュージアムで開催されたが、見ることが出来なかった。今度こそと思いつつ、また見逃した。
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by uuuzen | 2018-12-28 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON


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