●『工芸継承 東北発、日本インダストリアルデザインの原点と現在』
味感想はもちろん無味乾燥をもじったが、六味感想恋態思惑は心が六つある漢字を用い、それが六味という意味合いで、筆者のブログは感想を中心に恋する態度でしかも思惑があって書いている。



d0053294_01042306.jpgだが、しばしばその恋心を忘れる。それは嫌な気分について書かないことだ。読み手は読んで気分がよくなる方が時間の無駄にならずに済む。したがって、感動した感想のみを本当は書くべきなのだが、日常生活では面白くないことにも遭遇し、その愚痴をつい書いてしまうことがある。そう言えば愚の漢字も心が入っているので具合が悪い。ともかく、自分が恋する対象について喜々として文章は綴るべきで、来年からはそのことをより心にしようと思う。次に思惑についてだが、ブログの文章がかなりたまって来たこともあって、たとえば本に出来る題材がありそうな気がしている。ただし、これは出版社の意向と合致しなければならない問題で、しかも筆者は売り込むことをしないので、実現はないかもしれない。それでも思惑だけは抱いている。六味というのは、本当は七味唐辛子のように、七味であるべきだが、下に心のあるもうひとつのいい感じの漢字が思いつかなかった。それでそのひとつ心が足りないことを六味感想(無味乾燥)としたのだが、このことは以前に書いたのかどうか忘れてしまい、今なら七味忘感想恋態思惑と題すべきか。さて、年末になって慌てて投稿しようと思いながら出来なかった展覧会の感想を書く思惑を抱いている。今日はその3日目で、11月18日に万博公園の国立民族学博物館で見た企画的について書いておく。ただし、前言を翻すようだが、筆者はあまりこの展覧会が面白くなかった。あるいは予想どおりと言ってもよい。筆者は友禅を本業とするので、こうした工芸の大きな展覧会があれば期待して出かけるが、残念ながら友禅染に関しての展示は旧態依然とし、何の収穫もなかった。あるいはそれを確認したことが収穫であった。それほどに友禅染は技法が完成していて、もはや色彩しか時代に合わせるものがないと言える。ただし、それは本展で見たサンプルが加賀友禅の、筆者に言わせれば古臭い技術と考えによるものであったからで、京都のたとえば筆者は全然違う、もっと複雑な技法で染めている。それはあまりに専門的な話になり、プロでも関心のある人は少ないが、いつか友禅染の多様性という展覧会が開催されるならば、筆者が論文を寄稿したい。それは、学芸員はほとんど何もわかっていないからだ。染色を専門に研究しても冷や飯食いになるだけで、美術研究でも華々しいところに若い研究者が集まる。それはそれで仕方がないが、工芸美術では未研究の領域が広大にあって、また技術が研究のはるか先を行っている。そうそう、筆者の友禅染のホームページは技術や工程を公開していて、いつか内容を補って本にしたいとも考えている。
 何だか今日の投稿の結論を先に書いたようで筆が鈍るが、先に進もう。本展の題名「工芸継承」は、「継承」の言葉から伝統を継ぐというニュアンスが伝わる。これが曲者で、伝統は継ぐだけでいいのかと考える一群の作家が存在する。筆者はそのひとりだが、一方で伝統を無視して好き勝手に、たとえば染める技術が友禅染にも登場した。それは表向きはそれまでにない新しい表現が出来るということだが、本音は工程を省いて安く仕上げるためだ。そういうことは工芸だけではなく、あらゆる分野に浸透して来たし、今後もそうだろう。そのことで本来の特長が何も失われなければいいが、そうは行かない。たとえば前述の新しい染色方法で染めた布地は、色を抜くことが出来ない。染め替えが出来ないことは昔は考えられなかった。それが出来ないということは生地の風合いも悪くなることだが、使い捨て文化の浸透によってわざわざ染め変えて同じ生地を使う人が少数派になった。つまり、そうした新しい薬品を使った染色は使い捨てを前提にしている。それでいて凝ったものは何百万円で売られるし、また買った人は染色の知識がないから、その価格をありがたがる。筆者は今までそういう新しい薬剤を使って作品を作ったことがない。そのため、色抜きが出来るが、抜くことを前提に作ってはいない。ならば色抜き出来ない薬品を使ってもいいではないかと言う人があろうが、その点は筆者は伝統主義者で、新しい薬品の新しい効果を信用していない。そういうものを使わずとも、伝統的な材料のみで新しい表現はまだまだ可能だ。実際新しい薬剤を使って染めたものは美しくない。一見友禅ではあっても本物とはまるで違い、新建材で即席に建てたような家屋に似る。だが、それも時代の流れで仕方ないのかもしれない。そこで筆者の友禅はそうした新しい薬剤を使わず、かといって伝統的な技法のみに固執しない。また機械では絶対に無理で、手作りでしか表現出来ない。そういうものが現代に求められているかどうかは考えない。芸術とはすべてそういうものだ。もともと不要なものだ。工芸は生活に必要なものを作るが、工芸美術となるとまた違う。そして、複雑な技術によってしか表現出来ないものがあり、それは必ずしも難解なものになるとは限らない。そこが芸術の不思議なところだ。自作を芸術と呼ぶとは高慢だと言う人があるだろう。だが、作者がそれを真に意識しなくて芸術は生まれようがない。真に意識するとは、作品の質に厳格で理想が高いことだ。それは作品でいくら儲けるかという考えからは遠い。作品がよく売れて大きな家に住み、有名でもある作家が時代を超えて評価される芸術を作るかと言えば、むしろ逆だろう。それは歴史を見ればわかる。売れるに越したことはないが、それよりも大事なことは立派な作品を作ることだ。その立派さは自分が一番よくわかっている。そして必ずそれを評価する人がある。
 本展は4つの章に展示が分けられた。最初の章は昭和3年に仙台に設立された日本初のデザイン研究と指導を行なう機関である商工省工芸指導部の紹介で、ブルーノ・タウトが立役者となった。タウトは日本の工芸をデザイン的に酷評に、それに同工芸指導部の人たちは発奮し、現在のインダストリアルデザインの基礎を作る。つまり、本展は産業を重視した工芸を紹介するもので、美術工芸をほとんど対象にしていない。機械をなるべく多用した量産品においていかに斬新なデザインやまた技法があるかの研究が行なわれ続けて来て、その成果を展示品によって概観するものだ。それはそれで面白いものが作られたが、現在の目から見れば、あまり美しいとは言えない。どのようにして作ったのか今ひとつよくわからなかったが、木工では材木を圧縮した合板を二種使って円い皿に奇妙な抽象文様を埋め込んだ人工木目の大皿が何点かあった。それは木材につきものの年輪や木目をそのまま表現しては面白くないという考えのもとで作られたが、自然農法の野菜が歓迎される昨今、とてもわざとらしい文様に見える。古臭い抽象画を見ているようで、実際そういう当時の絵画の影響を受けた人が考案したのだろう。それが一点ものであれば作家の作品として歓迎されるが、量産品であったからには今見ても安っぽい。また同じ模様ながら1点ずつ微妙に違い、それが面白いと言えば言える。アイデアや技術はきわめて斬新でも、肝心の商品としては生活の中に美の潤いをもたらすとは言えないものだ。ただし、今までの素材を使って何か新しいものを新しい技法で作ろうという意欲は素晴らしい。それが時に滑稽なものを生むという例だ。同様の作品で、木工製品だが、轆轤を使って三角形の皿を作った例も紹介された。わざわざ三角形にする必要はないと思うが、斬新さを狙ったのだ。これを現在の木地師が復元したが、熟練した人でもなかなか困難な技法で、カムの原理によって円形に削られるところを三角形になるように動作を案配する。熟練工でも困難であるならば、価格はとても高くなるから、今ならさっさと機械で型抜きしてしまうだろう。だが、それではやはり製品の風合いも違うし、仕上がりの微妙な味わいも異なる。それにそういう機械を作るのに費用がかかり過ぎて熟練工に頼るより高くつくだろう。またプラスティックの射出成型のような方法では金型が必要で、また木工品とは全く違った商品になってしまう。それで今は木工品は少なく、風呂桶もプラスティックがあたりまえになっている。そこにもそれなりのインダストリアル・デザイナーが仕事をしているが、プラスティックという素材そのものが深刻な自然環境の破壊の原因になっているとされるので、近い将来は姿を消すだろう。あるいは人間の損得勘定は永遠であるから、そう簡単には便利で安価なものは手放さない。
 第2章は東北歴史博物館が開催した市民参加のワークショップ「現代に活かす伝統の手わざ」の成果の紹介だ。これは来館者の投票コーナーがあって、小さな赤丸のシールをいいと思う作品の札紙に貼りつけるのだが、数百のシールがいっぱいになったものは2枚目がその上に重ねられていて、評価の割れは当然あるが、おおよそ人気のある作品は決まっていた。つまり、誰が見てもいいと思うものがあるのだが、そういうものが商品化される場合が多い。伝統の手わざを市民がすぐに駆使出来るかと言えば、筆者はあまり真剣にこのコーナーを見なかったが、箱物や皿など木工品が主であった。、塗りを担当したのか、たとえば組み合わせ小箱のように組み合わせ箇所の蝶番を工夫したのか、作品のどこが伝統的技術であるのかわからないものが多かった。伝統技術は長年要して自在に駆使出来るもので、市民のちょっとした思いつきで時代を画するアイデア製品が生まれることはほとんどない。第3章は産業としての工芸の足跡として、みんぱくと金沢美術工芸大学のコレクションの紹介だ。みんぱくでは本年度に「園コレクション」として京都の金工関連の制作道具を収集し、作家とみんぱくのスタッフでそれらの道具の使い方を映像で記録した。これは弟子がいない場合に役立つとの考えだが、儲からない手仕事に挑戦する若者が絶えれば、将来の復興は難しい。一旦途絶えた技術はよほどの物好きの執念によらねば、質の高い作品は生まれ得ない。映像を少し見たが、気になったのは作品の文様の古さだ。江戸時代そのままの松の文様で、それでは同じようなものが安価で骨董品で入手出来るだろう。工芸は文様が命で、技術も文様も昔のままではそっぽを向かれる。だが、技術も文様を生み出す才能も高度である作家は珍しい。たいていは技術のみの職人になる。金沢美術工芸大学では金沢市との共同で、加賀藩の「百工比照」の現代版を目指して「平成の百工比照」を制作した。これは各工芸の制作過程を小さな実物資料をたくさん並べた平たい箱で、それを学生が見ることでおおよその工程がわかるというものだ。ただし、頭でわかっても実際のせいさくはまた別の話で、見て1分でわかったものを実際に作るとなると場合によっては数年では無理な場合がある。むしろその方が多い。それほどに工芸は根気と技術が必要で、それを馬鹿らしいと考える人はさっさとパソコンを使ったデザインの分野に向かう。筆者の友禅染の作品も、雛型を描いて完成作が脳裏に浮かぶのは1日で充分足りるが、それを目に見える形あるものにするのに2,3か月を最低要する。しかも万単位、数十万円の費用がかかり、売れる見込みはないから、頭が少々おかしい者しかそんなことはしない。それでもそういう変な人物がいつの時代もどこかにいるし、そのことが筆者にはとても愉快だ。
 第4章は「コウゲイを継承する」で、東北の若手工芸職人の作品と伝統工芸作家の作品だが、ほとんど印象にない。それよりも最後に展示されていた卓球台Infinityが面白かった。これはリオのオリンピックで使用された流線形のもので、TVで誰もが馴染みのものだ。その実物を目の当たりにし、また卓球台の前に立つと気分が高揚した。またこの台は横から見ると丸見えだが、選手にはほとんど見えないので、奇抜な形をしていても気にならない。この台は木工製品で、合板を使っている。展示の最後にこれを持って来ていることは、日本の木工工芸の未来は世界に広がって明るいと言える。それはデザインの力でもある。本展の題名には「コウゲイケイショウ」というカタカナのルビが振られ、これは外国を意識したものだ。国際的な言葉として日本の工芸をコウゲイと呼んでもらおうとの考えで、京都では昔から着物をキモノと書いてそれをして来た。筆者はキモノと書くことがほとんどで、それはコンテンポラリーなキモノを目指している考えにはふさわしい。そう言えば、本展にまとまり感が希薄なのは、伝統工芸と現代工芸の区別があまりなく、また前者の紹介が主であったからだが、人工木目皿は工場製品としての現代工芸であり、鑑賞者は工芸の種類の多さや伝統的なものと現代的なもの、手仕事と工場製品といった違いにまで頭が回らないだろう。また工芸品は日常の用に供されて消耗して行くもので、深く知る必要なないというのがごく一般的な考えで、本展ですら関心を示す人はごく限られるだろう。本展は東北の工芸に焦点を当てたが、これが京都となると恐ろしいことになる。だが、「園コレクション」からしてみんぱくは少しずつ京都の工芸を網羅しようと考えているだろう。そしてそうなった時でも京都の美術工芸はほとんど収集の対象にならず、それは美術館に回されるが、美術館は絵画や彫刻を優先し、美術工芸は関心の外にある。そして遠い未来に酔狂な人が研究し、作品を集めようとしたとき、もうそれらはゴミとなって見つからないだろう。だが、手作りの作品の運命はそれが普通で、美術館や博物館に展示されている方が奇跡だ。しかもその博物館の展示も出火によって灰になる事件が今年はブラジルであった。そのようなことを考えると今がよければいいと刹那的な気持ちにもなるが、今がよければいいとは今が気持ちいいということで、その気持ちいいことは何もしない怠惰やおいしいものをたらふく食べることとは限らない。筆者のこのブログがいい例で、パソコンに向かって大量の文字を打つことのどこが楽しいかと考える人が大多数のはずだ。それでも六味感想恋態思惑を念頭にがむしゃらに書き続けている。頭がかなり変で無味乾燥であることは間違いがなさそうだ。こう書けばみんな笑って楽しい思いをしてくれるだろう。楽しくなければ意味がない。
by uuuzen | 2018-12-27 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON


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