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●神社の造形―松尾七社之一 大宮社
のある鳥の地図はどのようになっているのだろう。毎朝筆者は裏庭に出て雀に餌をやるが、それが1時間ほど前後しても、筆者が部屋に戻った直後に2,30羽が舞い降りる。



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すぐ近くの樹木で待っているのだ。その習慣は、それらの雀にとっての地図に記されているということだ。そしてその地図の制作に筆者は一役買っている。今日はまた向日市まで自転車で用事に出かけた。JRの踏切を越えてすぐにある、凄まじい臭いと鳴き声を発している鶏舎のすぐ際にある大きな枯れ木に、100羽はいるかと思える雀が留まっていた。細い枝1本ずつに少しずつ間隔を空けて留まり、みなとても勇ましく見えた。鶏舎にはほんのわずかな破れた隙間があって、雀はそこから出入りして鶏の餌を盗み食いしている。それは鶏が食べる量に比べてほんのわずかであるはずで、経営者はその程度はいいと思っているのだろう。今日は通りすがりにその枯れ木の雀たちを見て思った。雀は寒さに震え、また乏しい餌を心配しながら生きているが、持っている地図は飼われる鶏よりもはるかに大きい。つまり、自由だ。雀は狭い場所にびっしりと整列させられた鶏を見下ろしながらどう思っていることだろう。『卵を産ませられるだけ産ませられて横取りされ、また太るだけ太らされて最後は肉だ。ああはなりたくない』だろう。同じ羽があっても自由に空を飛べる方がよい。かわいそうな鶏は、狭い狭い場所しか知らず、そこで一生を終える。だからせめて放し飼いにして、鶏の地図を広げてやってほしいが、人間が毎日膨大な数の鶏の卵をスーパーで買うからにはそれは無理ということだ。哀れな鶏であることは、人間もそうであることだ。筆者は旅をほとんどせず、飼われる鶏のように行動範囲はごく狭いが、鶏と違って過去の人間の遺産を知っているし、読書の楽しみも知っている。頭の中にあるそうした地図は誰も知ることの出来ないものだ。人間はみなそれを持っているが、その広がりを理解出来ない人がいる。今夜は「風風の湯」でGと話が噛み合わず、筆者は「もう話をしない」と遮った。その人は、有名とは7割の人がその存在を知っていることだそうだが、前に書いたように、相撲の横綱であってもその存在が記憶されるのはごくごくわずかな間だ。それに日本でしか知られない。日本人の0.00001パーセントも知らない世界的有名人は無数にいる。そのことがGにはわからないし、またわかりたくもない。頭の中の地図が鶏舎で買われる鶏並みに小さくても、本人は至って幸福で、誰よりも偉いと思っているだろう。羽のない人間でも、鳥以上にあちこち赴くが、頭の中の地図はより広く動き回ることで大きくなるとは限らない。また大きくする必要はないとしても、せめて他者に対する優しさという徳を持たねば、飼われた鶏並みに不自由な自己から免れ得ない。
●神社の造形―松尾七社之一 大宮社_d0053294_21550652.jpg 向日市に用事で行く際に阪急電車を利用することもたまにあるが、ほとんどは自転車だ。昨日は先月たまたま通りがかって見つけた神社の写真を今度こそと思ってカメラ持参で出かけた。それは阪急電車の桂駅近くにあって、線路から近いが、走る電車からは見えない。最初に見つけたのが11月12日で、その時は道路際の鳥居が写っていなかった。20日に出かけ直してまた数回シャッターを押したのに、どれも写っておらず、昨日は三度目の正直との思いで1か月ぶりに出かけた。向日市での用事の前に行くか、帰りにするかで何度も迷いながら、帰り道で撮った。今度こそは写ったと確信し、今日の最初の写真がそれだ。先月20日撮影の2枚目の写真からはよくわかるが、鳥居の右手に太い石柱があって、そこに「松尾七社之一 大宮社」と刻んである。確かにこの地域は松尾大社が本元だが、七社があるとは知らなかった。他の六社は月読神社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社で、櫟谷社は渡月橋南詰めの少し上流の嵐山にあって、この神社の横にモンキー・パークの受付がある。筆者は確か最後の二社はまだ訪れていない。自転車で桂を隈なく走り回るのでなければ、わざわざ神社目当てに出かけない筆者にはなかなか縁がない。またそれだけに初めての道を走って鳥居を見かけるとなんだか得をした気分になれる。筆者の自転車は三度とも写真左端の赤い枠の看板の左手に停めた。この鳥居の前の道は山陰街道で、なかなか雰囲気のよい昔風の家があちこちに存在していて、自転車で走っていると落ち着いたそのたたずまいが心地よい。だが、西に向かうと上り坂で、向日市で用事を済ました直後に後輪がパンクしたような筆者の自転車は、力を入れて漕いでも思うように進まない。それで昨日は西に遠く進んで物集女街道に出るよりも、途中の脇道を右すなわち北に折れては北進を何度か続けてジグザグに走った。すると以前走った記憶がある閑静な住宅地の中を進み、右手に石の鳥居が見えたのでそこで止まってその写真を撮ったが、どうも以前見た記憶があり、帰宅して調べると2年前の5月に撮影している。当時京都市内の神社をたくさん撮影したにもかかわらず、投稿する機会を失ったままでいる。さて、3枚目の写真は先月12日に撮った。鳥居をくぐって公園のような境内に入ると、敷石が「く」の字型に奥へ続いていて、左手斜め突き当りに建っている拝殿だ。この奥に本殿があるが、横手に回って確認しなかった。この境内は山陰街道沿いであるので、江戸時代はそれなりに参拝や休憩する人が多かったであろう。今は阪急電車の線路によってすぐ近くが東西に分断され、目立たなくなっている。桂地域はあちこち自転車で走っているが、なかなか道は覚えられない。それで昨日は北に進んで国道9号線に出たが、そこまで来るともう安心で、羽が生えたようにどの道を通っても嵐山に帰れるほどに地図が頭に入っている。
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by uuuzen | 2018-12-21 23:59 | ●神社の造形
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