支離滅裂と呼ぶにはかわいそうだ。母方の叔父から届けられた手作りの大根は、根が六股に分かれている。二股大根は大黒天のシンボルで縁起がいいが、六股ともなると気味が悪く、またその無茶ぶりが笑える。
これは奇形であろうが、味に変わりはなく、また大根としてもさほど珍しいことではないだろう。大黒さんと蛭子さん、それに弁天さんが加わったようだと言えば、三角関係になって具合が悪いが、ともかく筆者は初めてこういう変な大根を手にしたので、写真を撮った。大黒天が二股大根の根元の分岐箇所を撫でている土人形があるが、そのエロティックさから、二股大根は女性を象徴しているが、実際その真っ白な肌は見ようによっては女体のようになまめかしい。それが六股となると女性の陰部がどこにあるやら、全く尻滅裂状態で、大小太細の足を複雑に絡ませ、複数人によるレスリングか。その「くんずほぐれず」の状態はなまめかしいというより愉快で、何だかいいことがありそうな気がして来る。とはいえ、筆者は昨夜は悪夢を見て、夢の中で声を上げて泣いていた。その泣き声を実際に発したのかどうかだが、横の家内が目覚めなかったところ、幻聴だったのだろう。その夢の内容をよく記憶しているが、女性の顔を彫った正方形のレリーフと、もうひとつの男性の顔を彫った同じ形をした色違いのレリーフとをそれぞれ両方の手に持ち、その顔同士を合わせてキスをさせている。そしてその様子を見ながら「こうあるべきだ!!」と涙を流しているのだが、思い当たるふしがなく、真夜中に目覚めてから小1時間ほど眠れなかった。夢は支離滅裂で、気にすることはないとわかっているが、こうしてほとんど1日経っても覚えている場合、それなりに気にはなる。筆者は精神のバランスを崩すことはないと確信している。敏感であることは自信につながるが、人の気分に対しては敏感に反応し、自他ともにどうでもいいことには鈍感であるべきだ。そういう教訓めいたことを書くのは老人の証で、「上から目線の頭悪い人」と書き込みされるが、人の喜ぶことに文字を使え。そう言いながら、筆者はいつもよけいなことを押し付けがましく書いて密かに嫌われているのだろう。とはいえ、その自覚をまだどこかに持っている間は救いようがあるではないか。高齢になると支離滅裂なことを言ったりしたりすることが多くなるが、支離滅裂に見える六股大根がどこか面白いように、そういう老人も見方によっては自然そのもので面白い。とかなんとか、自分につごうのよいようにこじつけて書くことに長けている筆者は、六股大根ならぬ「六味感想恋態思惑(むみかんそうれんたいおもわく)」を座右の銘として、毎日こうして六つの心を味気なくかつ「くんずほぐれず」に駆使して投稿している。以上でちょうど1150字。今日の投稿も決めた字数の範囲内。規律は面白くないとの意見があるが、規律の中に本物の美がある。