渡渡月橋や嵯峨の竹林がライトアップされるのは神戸のルミナリエと似ているが、後者は阪神淡路大震災の被災者を鎮魂する意味がある。それが24年目ともなるとほとんど忘れ去られたようだ。

昨日は素人カメラマンたちがペットボトルに入れて持参した水を路面に撒いて水溜まりを拡大させ、そこにルミナリエの電飾が反射するようにしたというニュースがあった。毎年同じような写真ではコンクルールで受賞は難しく、趣向を凝らして今年は水面反射で倍の輝きを求めたが、それが不謹慎であると言われ、何人かは即座に謝罪した。カメラの性能がとてもよくなり、誰でも見栄えのよい写真を簡単に撮影出来るようになったこともあって、カメラを趣味にする老人はフィルム時代よりかなり増えたはずだ。高齢者は暇と金があるのが相場とされ、100歳まで元気で頑張ろうと趣味に勤しむが、趣味は趣味であって命を賭けていないから、どうせろくな写真は撮れないというのが世間の思う相場だろう。路面に水を撒くのはまだかわいらしい方で、邪魔とばかりに樹木の枝を平気で折る輩もいて、素人カメラマンに対して筆者はあまりいい思いを抱いていない。それで昨日のルミナリエでの水撒き騒動はやはりと思ったが、昨日書いたように、自分の好きな音楽は電車に乗っている全員が好きであろうと考えて大音量で流す頭のおかしい老人も同類で、みんな何かで目立ちたいようだ。それが生き甲斐というのはわかるが、傍迷惑となる限度を知らねばならない。それはさておき、ルミナリエは始まった頃は毎年出かけたが、照明がLEDに変わった年に行ったのが最後だ。今年の期間は7日から16日で、嵐山花灯路が8日から17日であるので、後者は1日ずれている。客の数は前者が数十倍も多いと思うが、10日に「風風の湯」のサウナ室で嵯峨のNさんから聞いたところによると、花灯路が始まってすぐ、渡月橋の南部は人通りは少ないが、竹林は満員状態とのことだ。つまり、阪急嵐山駅を利用する客は少なく、ほとんどがJRか京福電車をアクセスに使う。そのことは嵐山地区に住んでいるとわからない。Nさんは昼間は渡月橋北詰めまで散歩するそうだが、筆者はせいぜいその南詰めまでで、川を隔てて観光客の多さの実感が大いに異なる。嵐山花灯路のメイン会場は嵯峨の竹林だが、今年のチラシは嵐山地区の法輪寺本堂の写真が使われていて、「デジタルカケジク」の命名は初めて見たが、例年どおり、本堂を中心に七色のカレイドスコープと言ってよい抽象模様を投射する。これはいつから始まったのか知らないが、色合いと輝きは年々派手になって来ている。地球の自転に合わせて100万枚だったか、その画像をランダムに組み合わせ、二度と同じ模様が現われないという。60年代のアメリカでサイケ・ミュージックが流行った時、油を使って同様の模様映像をステージに映写した。それのデジタル版で筆者には驚きではない。

昨夜は夕食が終わって家内は花灯路を見に行こうと言い出した。寒いし小雨が降っているので筆者は乗り気でなかったが、去年は出かけた記憶がないので、まあいいかと腰を上げた。雨は止んでも、道路は濡れていて法輪寺の本堂に至る長い階段は花灯路の行灯によって両脇が照らされているとはいえ、足元が見えず、恐る恐る上って行った。花灯路が毎年気になるのは、夜に法輪寺の本堂から流れる音楽がわが家にまで届くからだ。2年前だったか、3人組の学生ロック・バンドが出演し、2,3曲聴いた後、販売されていたされていたCD-Rを買った。彼らは大いに喜んだが、それを一度も聴かないままどこに行ったかわからない。花灯路の期間中、毎日違うミュージシャンが出演する。その人選を誰がどのようにしているのか今年は気になった。オーディションがあるのか、ギャラが出るのか、あれこれ調べてもわからないが、京福電鉄が決めているようだ。今年のチラシ裏面にそのライヴに出演するミュージシャンの顔写真つきの説明がある。これは以前はなかったと思うので、年々力を入れているというべきで、学生バンドはもう出演出来ないだろう。昨夜筆者らが本堂前に立った時、本堂の中、真正面に若い女性ピアニストがひとりで演奏していた。仲野友恵という名前で、温かいお茶を出してくれる本堂左手のテント内部には彼女のCD-Rが1枚995円で売られていた。1000円で5円お釣りで、その5円を御縁に引っかけて彼女は演奏の合間に宣伝していた。昨夜彼女は二度演奏したようだが、最初の回は雨が降っていたので、客足は少なかったであろう。筆者らが見た時も決して多くはなく、たぶん10数人が本堂前にぱらぱらと立っていた。寒いのでそれも仕方がないが、それよりも音楽ライヴがあることを知らない人が多く、ほとんどは嵯峨の竹林に行く。本堂前が人で埋まると数百人は優に鑑賞出来るので、もったいない話だ。とはいえ、客数は演奏者の知名度によるだろう。最近民放のTVで若いミュージシャンをひとりずつ毎日歌わせているようだが、その人選がどのように行なわれているかが気になる一方、さっぱり面白くない演奏ばかりで、そのことは別の日に家内が見た女性ミュージシャンもそうであったそうだ。TVに出ると一気に知名度が高まるが、結局は実力だ。そしてそれが知るべき人に伝わるかどうかも実力だが、運も作用する。「法輪寺音楽ライブ」に今後どういうミュージシャンが出演するかとなると、万人受けするもの、つまり癖がなく、翳りを感じさせないものであることは間違いないはずだが、そういう音楽でも毎晩指折り数えるほどの客数であるならば、人選者やその方法を一新し、そのライヴ目当てに音楽ファンが集まることを画策した方がいい。とはいえ、それには金も人も必要で、それだけの予算がないのが実情だろう。今日の3枚目は法輪寺の舞台から臨む京都の夜景だ。