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●「バク」by レザニモヲ
辞ばかり連ねると嘘っぽくなるが、レザニモヲはとても個性的で、似た音楽をやるバンドをほかに知らない。先月27日に京都の四条大宮から南へ歩いて5分ほどのライヴハウスBlueEyesで初めてその演奏を目の当たりにしたが、その数日前にYOUTUBEで見ていた印象とは違って、音の迫力に度肝を抜かれた。



さあやさんによる曲目紹介や少しの歌とともに奏でられる電子マリンバやキーボードの演奏と、その背後で963(くろみ)さんが力いっぱい叩き続けるドラムの混ざり合いは、YOUTUBEでのどこか何か足りないという印象を、それ以上に足すものはないという確信に変化させる。翌日の28日、大阪の喫茶FUTUROにふたりは姿を見せたが、今日の写真は963さんから送ってもらったもので、右から児玉真吏奈さん、金森さん、さあやさん、そして武田理沙さんだ。FUTUROでさあやさんはバンドが3人では普通になってしまうといったことを語った。クリームやポリスといった3人組ロック・バンドはビートルズの4人と違って、ひとり足りない分、3人が高度な演奏技術を持っていたが、ポリスの時代になると、機材の発達によって3人でも充分多彩な音を奏でることが可能になった。ポリスの初来日から40年経った現在、パソコンの登場によってさらに音色は多彩かつ簡便に奏でられるようになったことは、門外漢でも想像出来る。そういう時代にレザニモヲはふたりで演奏することを選択したが、さあやさんの鍵盤楽器は電子音を奏でるので、音色の多さ以外に、ポリス時代にはすでにあった、ある一定区間の演奏フレーズをループ演奏出来る装置の使用によって、生演奏を見なければわからない、ひとりで2,3人の役割を果たすことが出来る。メンバーが3人ならばそれが累乗で多彩になるが、そこまでの音楽性をさあやさんは求めていないだろう。また、さあやさんは鍵盤楽器だけではなく、電子マリンバを奏でるマレットで963さんのシンバルを時に叩くが、キーボードを演奏する時は、両足を大きく開き、かなり前屈みに鍵盤上を這うような所作を演じることによって、細身のごくおとなしい女性に一種の魔術的あるいは動物的な何かが憑依したと思わせるに充分な迫力がある。そこで筆者は先月27日のライヴを見た感想として、平安時代の白拍子に言及したが、もっとわかりやすい言葉を使えば、巫女だ。韓国の巫女としてのムーダンは独特の衣装をゆけて鳴り物つきで激しく舞うが、そういう世界と似たものを思った。それは非日常感を味わう場所として機能しているライヴハウスには実にふさわしいが、レザニモヲには「ライヴハウス」の横文字からはみ出た京都性がある。それはさあやさんの演奏する姿に巫女のイメージを重ねたからだが、単なる非日常とは違って、レザニモヲの音楽にはどこか「寿ぐ」の雰囲気がある。そしてこれこそ他のバンドにはおそらくない特長と思う。
●「バク」by レザニモヲ_d0053294_00381071.jpg
 それはふたりが京都の壬生に住むと聞いたことによる思いではなく、ごく自然に平安時代から続く京都らしさといったものが彼らに遺伝子的に刷り込まれているからだ。京都では前衛を強く意識しても、そこに伝統らしさが入り込む。レザニモヲは伝統を強いて意識してはいないはずで、それもあってフランス語のバンド名を採用しているだろう。おそらく本人たちの無意識のうちに他者に京都らしさを感じさせるが、彼らが京都らしさを強く意識すると一種の嫌味が混じり始めるかもしれず、今の彼らはいわば純粋で無垢な感じの微妙な立場にある。筆者が巫女を持ち出したのは、彼らの無自覚性ゆえで、変な色に染まっていないためだが、にもかかわらず大いに個性的である点が重要だ。そのライヴハウスに収まり切らないイメージゆえに、筆者は彼らの演奏は昼間の野外がもっとふさわしいように思う。それは神社の舞殿であったり、寺の境内であったり、また弘法さんや天神さんの縁日における特設会場で、数百人を前にしてのものだ。その延長上に大きな会館や野外のステージもふさわしい。つまり、ただのロック・バンドという範疇に収まらない音楽性で、老若男女が見られる空間で披露してほしい。ところで、筆者は今度東京に行った時は見ようと思っているもののひとつに新宿ロボットレストランがある。そこは外国人観光客に人気があって、食事は小さなコンビニ弁当クラスだが、ショーは光と音の眩い大氾濫で、そこでしか見られないものと評価されている。だが、そこからロボットや電飾を取り去ると、肝心の音楽はどうか。和太鼓の演奏を含んで日本の伝統を強調しているが、その点は外国人観光客には珍しくても、日本に暮らしていればそうでもない。ロボットレストランとレザニモヲを比べると、後者は電飾や動き回るロボットはなく、普段着のふたりだが、前者にないものがいろいろとある。まずさあやさんの「かわいい」イメージが付加された巫女的所作、そして演奏する音楽性だ。これを筆者は先月30日、神戸BigAppleにおける武田理沙さんのライヴが終わった後、垂水在住のザッパ・ファンの畠中さんと駅まで一緒に歩きながら、「AKB的ビーフハート」と評した。家内にもそのことを言うと、的を射ていると笑ったが、レザニモヲの音楽性は、時に超難解と言われるキャプテン・ビーフハートの音楽をAKBが軽々と演奏している雰囲気がある。そして、それでいてとても詩情がある。これはレザニモヲのふたりの思いが一致し、演奏を心から楽しんでいるからで、その雰囲気に浸りたいためにファンはライヴハウスに足を運ぶが、彼らの音楽はライヴハウスだけに閉じ込めておくにはあまりにもったいない。新宿のロボットレストランに対抗するためではないが、観光客が目撃出来る場所を用意すべきで、それには役所や寺社の援助が必要だ。
 ちょっとしたきっかけでそれは実現するように思うが、レザニモヲ自身がプロモーション映像を作り、それを各方面に積極的に送付して宣伝に努めるのがよい。DVDを100枚撒いて1、2件の依頼かもしれないが、その1,2件が短期間の間に大きく広がる可能性がある。そしてそうなれば、ふたりは音楽以外の仕事をしなくても済むようになるだろう。ただし、音楽に関心のない人たちを動かすためには、音楽もそうだが、視覚的に印象深くあるべきで、「寿ぐ」の言葉にふさわしいような日本的で前衛的な衣裳を着るくらいの覚悟がいる。そのことが前述した純真さに反するかもという心配は無用で、むしろ舞台にふさわしい衣裳を身につけることで、観客は異空間性をさらに感得する。つまり、新宿ロボットレストランにはない京都の貫禄とでもいうべきものを意識して、独特の衣裳をまとって演奏する場を巫女に代わって祓い清めるというくらいの意図がほしい。そのように思うのは、たとえば毎年八坂神社松尾大社の舞台で行なわれる石見神楽が念頭にあるからだ。石見神楽には多くの団体があって、海外でも上演されているが、歴史的にはさほど古いものではない。奉納神楽であっても、歌舞伎に似て、見て聴いて文句なく楽しいという娯楽性を強く意識している。そういう神楽がなぜ京都にないのかが不思議だが、伝統に縛られ過ぎているのだろう。それで石見から団体を呼んで上演させるのだが、そこに伝統の長い京都に何でもありそうで実はそうではない一抹の悲哀さを感じさせる。「雅」の高い意識によって、「俗」が活躍出来ないと言えばいいか、見方によっては俗臭のある石見神楽は、京都人からすれば野卑たものと映るのだろう。そして京都人は案外レザニモヲの演奏に「雅」を感じるのではないか。話は変わる。今月12日に963さんからメールがあって、来年4月に東京で開催される「プログレ・フェス」に新月プロジェクトから招待されたが、自己紹介文を70字前後で3日以内にまとめてほしいと伝えられたとのことで、その内容について相談を受けた。すぐに筆者は考えて返事を送ったが、963さんの文章を下敷きにしつつ、筆者の思いを混ぜた。それはこういうものだ。『「レザニモヲ」~仏語而動物也。歌と鍵盤担当のさあや及び太鼓類担当の963の二人京都電電神楽。座右銘「オキュン・ボーデュア」(是亦仏語而無境界)』。71字となったが、早速963さんはレザニモヲのツイッターの自己紹介にそれを載せた。963さんのメールによって、筆者はレザニモヲの合言葉が「Aucune Bordure」であることを知ったが、このフランス語は意味を訳した方がいい。また、963さんは「低予算ガレージバルトーク」という言葉を入れていたが、京都から出演するからには東京にない雰囲気がよい。そこで「二人京都電電神楽」を思いついたが、音楽性がよりわかりやすい。
 彼らの鍵盤楽器と打楽器は「神楽」のようで、しかも石見神楽のような伝統性の強いものではなく、娯楽でありながら、どこか神秘性を失わず、一見して、一聴して、誰でもすぐに楽しめる。「レザニモヲ」の名前のとおり、彼らの曲は動物に因むものが目立つが、特に「Les animaux du paradis」(楽園の動物たち)は、たとえば若冲の絵画やあるいは獣魂碑のある嵐山の法輪寺にはふさわしい曲で、また「こんこん」は伏見稲荷大社を連想させ、レザニモヲが神楽を想起させるのはもっともではないか。2,30年前からは僧侶が自分の寺で電子楽器を演奏しながらお経を唱えることが話題になり始めたが、そういう場にレザニモヲが出演することは全く違和感がなく、どこかの寺社がレザニモヲに演奏させると、後は同様の依頼が舞い込むだろう。そういう思いを筆者は「二人京都電電神楽」に込めた。基本的にはインストゥルメンタル・バンドで、歌詞のある曲はほとんどない。だが、主に動物に因むその題名がかなり変わっていて、曲の旋律と相まって一度聴くと耳にこびりつくところがある。それは短いメロディを繰り返すからだが、その点がビーフハートの音楽性にきわめて近い。ビーフハートのアルバムで言えば72年の『ザ・スポットライト・キッド』で、筆者は同アルバムに対して日曜日のまったりとした天気のよい昼下がりのイメージを抱いているが、レザニモヲの音楽にもそれは流れている。また同アルバムにはギター・ソロを長く聴かせる曲があって、レザニモヲはたまにはゲストとして即興の上手なギタリストを招いて曲の中間部を演奏させるとよいだろう。さあやさんと963さんのどちらが作曲をリードしているのか知らないが、ビーフハートをあまり意識せずに作曲しているとすれば、ほかに影響を受けた音楽は何かと思ってしまう。もちろんザッパを含めていろんな音楽を聴いているはずだが、いかにもザッパ的という部分はあまりないように思う。短いメロディを何度も繰り返すところはロックだが、子ども用のピアノの練習曲にドラムで伴奏をつけているような曲もあって、また聴き方によっては現代音楽で、聴き手を選ばない強みがある。ビーフハートやザッパの音楽を聴いたことのない人、また聴いてもぴんと来ない人でも、レザニモヲの音楽ならばすぐに記憶に留める。そういうことを卑俗と言う人があるが、何度も言うように、「寿ぎ」のイメージがあり、それは雅さにつながっている。それはロックによくあるブルースやそれを基本としたリフを奏でないからでもあるが、それでいてロック特有のビートの氾濫がある。彼らはまだカラフルなジャケットつきのCDを発売しておらず、ライヴハウスでCD-Rを売っているのみだが、それはライヴハウスに行く人にしか音楽がわからないことであって、ぜひともアマゾンで買えるような正式なCDの発売が待たれる。
 何か1曲となれば、筆者は迷わずに「バク」を挙げたい。最もわかりやすい曲で、題名もよい。「マルチイズ」も力作で、やはりビーフハートを連想させるが、こうした一風変わったメロディは浄土や神域といったイメージにふさわしい。また素朴でありながら完成度が高く、多人数による編曲で聴かせると却って味わいが減じるだろう。その素にして豊かなところが巫女の白と赤の衣裳のように汚れのなさを感じさせるが、それはさあやさんが動物好きであるからだろう。生き物に対する愛情が曲にそのまま乗り移っていて、彼女の優しい人間性が露わになっている。だが、前述した「楽園の動物たち」は、ヨーコ・オノかと思わせる声色で絶叫混じりに歌われ、「AKB的かわいさ」だけではない、それこそ神がかりになったムーダンを思わせ、舞台で彼女が神がかりになることを納得させる。「バク」に話を戻すと、これは悪夢を食べるという「獏」のことのようだが、さあやさんのイラストでは空想上の動物の獏ではなく、動物園で見られるバクとなっている。もっとも、さあやさんと話したところでは獏をイメージしているようだ。そこで筆者は彼女に江戸時代にあった風習の話をした。江戸時代では正月には枕の下に宝船を描いた木版画を敷いて寝た。その宝船は入り船で、宝を満載していて、白い帆の中央の円には「獏」の文字があるのが普通であった。悪夢を獏に食べてもらって、財宝に溢れた年になりますようという庶民の願いだ。宝船のそうした版画は多くの寺社が作って販売し、今もその風習は一部に残っている。ただし獏についてはほとんどの人が忘れている。そういう空想の、しかも縁起のよい動物の曲名を彼女が意識したかどうかは知らないが、「バク」からも「寿ぎ」が彼らの音楽性の大きな要素に感じられる。ライヴハウスで演奏することは、非日常性を客に楽しんでもらうことであり、またハッピーな気分で帰宅してもらうことが肝心だが、ある器楽曲に一旦縁起のよい題名をつけると、作品はひとり歩きし、神々しさを自ずと持つようになる。それは曲名をつけるセンスの問題でもあるが、さあやさんが命名しているのであれば、それは巫女のなせる業としか思えないほど、どの曲も見事に個性的なものになっている。つまり、曲の歌詞がなくても、題名のみで充分印象的で、想像の場が大きく広がっている。これはさあやさんが女性に特有の悩みといったことをもちろん抱えつつ、普段満ち足りた生活をしているからだと思うが、結局は音楽行為が何よりも好きであるからだ。最後に書いておくと、963さんのメールによればBlueEyesで来年11月3日にザッパのハロウィーン・コンサートに因んで、ザッパ曲を演奏するバンドを集めてライヴが開催される。出演者などはこれから煮詰めて行くそうだが、筆者がブログに書いた夢を963さんは意欲的に取り組んでくれる。
by uuuzen | 2018-11-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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