枯葉が風に舞うにはまだ少し早いが、とにかく月日の経つのがすぐで、つい先日「風風の湯」で1年の半分が過ぎたと言っていたのに、もうすぐ6分の5が過ぎ去る。

展覧会の感想を書かねばと思いつつ、気分の切り替えに難儀している。今日は先月7日にMIHO MUSEUMであった内覧会について書いておく。古代アメリカとはかなり珍しいが、この美術館での前回の企画展にそれに相当する作品がチケットやチラシに印刷され、いわばクローズアップされたので、そのつながりとして今回の企画展は本番が来たかという思いがする。その一方、筆者はこの美術館で以前も古代アメリカの文明を紹介する展覧会があったことを知っているので、ひょっとすれば館蔵品による企画展かと思ったが、そのとおりで、帰り際にもらえた図録は2004年7月の発行だ。14年ぶりということで、それくらいであれば新しい美術ファンの世代も生まれているので、たとえ同じ内容の展示であってもよい。それに筆者はその14年前の展覧会を見ておらず、今回初めてこの美術館がどのような古代アメリカの作品を所蔵しているかを知った。この美術館は企画展とは別に常設展示があって、それはほとんど展示替えがなく、また古代アメリカ美術に関しては展示がない。となれば、普段展示しない作品がどれだけあるのかと思うが、折りに触れて作品を購入し続けているはずで、すべてを一堂に並べることは無理だろう。それに今回の企画展は14年前と全く同じではなく、10点ほど追加された。それらの原色図版は14年前の図録と同じサイズの「古代アンデスの染織」と「ペルーの美術」と題する薄い冊子に収録されるが、この14年前の図録の在庫がなくなれば、その2冊の情報を加えた新たな図録が作られるだろう。またその時にはさらに収蔵品が増えているであろうから、この美術館は古代アメリカ美術の収蔵でも有名になると思える。と書くと、本展は期待するほどのものでなかったという印象を与えるが、14年前の図録を使い回ししている分にはそう言える。それに筆者は帰り際で知ったが、今年の秋季の企画展はもうひとつ用意されている。その意味で今回の企画展はそれの前哨といったところだが、秋にふたつも企画展を開催するのはなかなか大変なことのはずで、大盤振る舞いと言ってよい。さて、前回は筆者ひとりで出かけたが、今回は家内と一緒であった。京都駅八条口のバス・ターミナルで前回ばたりと会ったSさんがいるかと思ったが、姿は見えなかった。これまでの内覧会で会ったのは前回切りなので、姿を見かけない方が自然だが、一度会ってその後に見かけなければ気になる。偶数月の第4土曜日に心斎橋のとある会場に行くとたいてい会えるし、その日は1週間ほど後だが、武田理沙さんの演奏が連日あって、今のところその郷土玩具の会に出かけるかどうか迷っている。
さて、古代アメリカと称しても、その面積も歴史も広大で、何を真っ先に思い起こすかは人によって違う。つまり、かなり漠然としている。そのためもあって、本展はまとまりのなさを感じさせる。80点ほどのしかも小さな作品がほとんどとなると、それは無理もない。だが、これまで日本では古代アメリカ美術を扱う展覧会はそれなりに開催されて来たので、どこかで見たような馴染みのある作品ばかりで、その意味でMIHO MUSEUMは何でも所蔵しているという驚嘆が先に湧く。実際80点の古代アメリカ美術を所蔵する美術館はここだけではないだろうか。日本では相変わらず外国から美術品を借りて来て展示することが流行っているので、作品を自前で持っているということがあまり驚かれない。借りて来たものを一度見れば充分と思う人が多いからだが、美術館は作品をどれだけ多く持っているかが問われるべきだ。それは資金力次第と言ってよいが、そこでまたMIHO MUSEUMの収蔵品の多様性と多さに感嘆することになる。それはそうと、本展の内覧会の数日前にブラジルの国立博物館で火災が発生し、2千万点の作品が燃えたというニュースがあった。2千万とはかなり盛り過ぎと思うが、博物館であるから美術品ばかりではないはずで、たとえば蟻一匹の標本を1点と数え、その同じものが数百あるとすれば、2千万という膨大な所蔵数になるだろう。TVでは展示物としてエジプトのミイラの棺が映ったが、古代アメリカ以外の古代文明の作品も所蔵していたと考えてよく、取り返しのつかない損失となってしまった。その博物館の代表的な所蔵品は図録になっていると思うが、日本には同館の所蔵品の展覧会は開かれたことがないはずで、館として世界に誇る作品が何であるかがわからないのがもどかしい。それほどに宣伝に努めておらず、その資金もなかったが、それは政府が財政からそれに回すことを渋ったからと言われ、一旦火災が起これば延焼を防ぐ手立てがなかったのであろう。2千万点を収蔵する歳月と努力が1日で無駄になることを目の当たりにすると、たとえば本展に並ぶ80点ほどの作品はほとんど奇跡の連続の果てに目の当たりにすることが出来ると考えた方がよい。もっと言えば、今に伝わる古代アメリカ美術は、生産された1万分の1に遠く及ばないはずで、世界的国宝と呼べる名品はすべて失われたと考えてもよい。実際そうで、インカ帝国にあった金細工はみなスペイン人が溶かしてしまった。金としての値打ちしか認めなかったことを、今は野蛮な行為と謗ることは出来るが、当時のスペイン人はインカの人々を野蛮とみなした。異なった文明の出会いとはそのように相互の理解がないもので、そのことは現在もなおすべての国の教養に乏しい人たちに巣食っている。理解出来ないのは、その対象が悪いからで、自分の責任ではないと考える野蛮人がアメリカにも日本にも大勢いる。
14年前の本展の図録は「メソアメリカ/南アメリカ」と「北アメリカ南西部」という2部構成になっていた。一方、古代アメリカ美術を扱う際に「プレコロンビア」という言葉もよく使われる。これはコロンブスがアメリカ大陸を発見する以前という意味で、たとえばフランスのガリマール社が長年刊行を続けた『L‘Univers Des Formes』(形体の宇宙)では全3巻が割り振られている。題名を訳すと、『マヤ―メキシコ』、『アステカの起源―アンデス』、『インカ前史』で、おおまかに言えばマヤとアステカはメキシコとその周辺、インカはペルー周辺で、これら3冊は地域的に北から南に向かっている。本展の第1部は同3巻と同じ地域を扱い、第2部は幾何学模様の陶器が数点のみの展示だ。ところで、日本ではこれまで何度か金細工品を中心とするシカン文明展が開かれているが、本展でもその展示が数点あった。シカン文明は先の『インカ前史』に相当する。インカ文明そのものはアンデス文明の最終段階で300年ほど続いたが、前述のようにスペインに滅ぼされたのでめぼしい宝物は少ないのだろう。インカという有名な名前の割りに美術館で展示される作品は乏しく、侵略したスペイン人は見なかった発掘品であるシカン文明の作品が知られる。また美術館の展示作品のみで文明を推し量ることは無謀で、プレコロンビア文明では大規模な石造建築が目立つ。ナスカの地上絵をそれに含めてもよい。本展ではそれらを大きな写真で紹介していたが、その途方もない建築物と、掌に載るような小さな石像の展示品との間を意識がさまようところに、古代アメリカ美術の醍醐味がある。それは当時の人間の生活を思うことであるが、現地に行って空気を嗅ぎ、風を感じることで本当は理解が真に及ぶだろう。半世紀ほど前から日本ではマチュピチュが大人気で、今なおそこを訪れる人は多いが、それは滅びた文明にある謎に直に触れたい思いによるだろう。その謎は本展でも感じることが出来る。文字を持たなかった人々による文明であり、また神殿の前で生贄を捧げるなど、西洋から見れば野蛮そのものに見えたが、天文やそれにまつわる数学にかけては西洋よりはるかに精密に研究され、西洋だけが文明と呼べるものではないことを今の人たちは知っている。だが、滅びた文明であることと、解明されない謎に現代人はロマンを感じる。本展ではナスカやインカの鳥の羽を織り込んだ綿布がいくつか展示され、そのカラフルな色合いとともにどれほど多くの鳥が生存していたかに驚かされる。だが、自然と共存する文明を築き上げていたところにスペイン人が暴力や病気をもたらした。北米の先住民も同じような運命をたどり、アメリカ政府が気づいた時には保護せねばならないほどに減少していた。文明の枯れはこれからも繰り返され、また国境が変わって民族が混じり合いもするだろう。