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●渡月橋下流側欄干修復、その8
によって「風風の湯」の露天風呂内部は見えないが、露天風呂側からはその塀の支えに乗ると外の様子がよく見える。めったにそのようなことをする人はいないが、筆者は一、二度やったことがある。



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すぐ向こうに中ノ島小橋があって、そこをわたっている人がこっちに目に留めても、首から上だけが見えるので、裸だとは思わないだろう。ドローンの登場が一時大きな話題になっていた頃、「風風の湯」の女性専用の露天風呂がドローンのカメラで覗かれると心配する向きもあったが、TVはいつの間にかドローンのことはあまり言わなくなった。人気がなくなったのではなく、TV局が関心を失ったのだ。TVは最先端の情報のみを執拗に取り上げる。1か月経つと大きな話題になった人や事件は忘れ去られる。TVをよく見る人にとっては、TVに登場しない画家や音楽家は存在しないも同じで、無名で価値のない人を思いがちだが、ネットのみで有名な画家や音楽家がいるのだろうか。ネットで有名になってTVに取り上げられる人やことはあるが、それも誰も長くは覚えないだろう。また、ネットで有名になってTVに出る人に対して、ネット住民は冷淡あるいは辛辣であることが多いように思う。誰でもホームページやブログを持つことが出来るからで、自分も何かのきっかけがあれば同じように有名になれるのにという、ささやかで非現実的な夢を持つからだ。昨日開高健のことを少し書いたので今思い出した。そしてこれも以前書いたことだが、開高は酒をよく飲み、また釣りが好きで、同じ趣味の読者から一緒に飲みたいという誘いをよく受けたようだ。だが開高は一切会わなかった。ファンの期待を裏切るというのが表向きの理由であったが、ファンとの間に塀を設けておくことが、ファンにとっても作家にとってもいいと考えていたからだ。その塀はブログやツイッターではなくなり、情報の発信者とその受け手は対等で、双方がどちらの立場も持っている。つまり、友人になれるということだが、開高はファンの間にそういう友人を作りたくはなかった。多忙が一番の理由ではなく、自尊心からだろう。それはさておき、開高のような有名人でもSNSで意見を発すると袋叩きになる場合がある。SNSに参加する者は、誰もが自分と対等だと思っているので、いわゆる「上から目線」と感じられるような言葉や文章に出会うと拒否されたように感じ、その怒りをぶちまける。開高はネットの登場以前に死んだが、ネットにおけるそういう全員平等主義にどういう意見を吐いたかは明白だ。会って話をすると、言葉だけよりもはるかに情報が多く、信頼出来るかどうかもわかるが、SNS上の言葉だけで友人がたくさんいると思う若者の気持ちが筆者には理解出来ない。それは孤独を忘れたいためだろう。facebookでは友人申請があるらしいが、会ったことのない者がネット上でつながることは気味が悪い。
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 書かれた言葉の裏にその人の顔を思い浮かべることは楽しい。もちろん相手と会って話したことがある場合だ。筆者はこのブログのコメントの書き込みを拒否しているが、「馬鹿」といったことを書き込む馬鹿に遭遇することが嫌だからだ。ということは筆者はSNS向きではない。「風風の湯」の常連はみなSNSには無縁で、新聞とTVで情報を得ている。そういう老人を今の若者は真実を何もわかっていない阿呆と思っているようで、実際そういう書き込みをよく見かける。マス・メディアが垂れ流す情報は偏向したフェイクであり、ネットで調べた情報が真実であるとの思いによる。脳みそが豆ほどの馬鹿につける薬はないので、放っておけばいいが、「風風の湯」の常連にも馬鹿がいることは先日書いた。老人も若者も同じで、馬鹿は馬鹿だ。そして馬鹿は馬鹿と交際するので、賢者は馬鹿のことを考えて心を迷わす必要はないが、時に馬鹿は相手かまわず絡んで来る。それが馬鹿のゆえんなのだが、「韓信の股くぐり」を思い出して、馬鹿の言うことにしたがってやればよい。相手は馬鹿なので馬鹿の世界から一生抜け出られない。開高健が読者と一緒に飲まなかったのは、そういう場に馬鹿がいる可能性がなきにしもあらずと思ったからだろう。9日に「風風の湯」のサウナ室で4か月ぶりに嵯峨のOさんと会った。4か月ほど会わなかったので心配していた。そのことをサウナ室で最近よく話すようになった人との話題にすると、「それほど姿を見ないなら、死んだと思った方がよい」と言われた。そしてその人が以前よく通っていた銭湯では、姿を見かけなくなったと気づけば死んでいたという人が3人もいたとつけ加えたが、筆者はOさんが死んだとは思いたくなかった。奥さんが韓国の人で、Oさんは年に4か月ほどを奥さんの里で過ごすからだ。今回も奥さんの身内が病気で、そのために京都に帰って来なかったのだ。そしてまた11月から2月まで韓国に行くと言うが、Oさんは面白いことを言った。『韓国で数か月も暮らしていると、嵯峨の家のことが遠い昔に思えるのに、嵯峨に戻って来ると韓国での滞在がまたそのように感じられる』。これは誰しも思い当たる。心は一瞬に現実に戻ったり、過去に飛んだりする。久しぶりにOさんに会ったのに、4か月の空白を感じなかった。数十センチも離れない状態で親しく話をすることはなかなか楽しい。「風風の湯」のサウナ室は6,7人入れば満員で、茶室より狭い。そこで裸で会話するのであるから、茶室以上に心に塀が出来にくい。渡月橋の下流側の欄干はとっくに修復されたが、撮りためた写真が投稿数回分ある。今日は先月3日に撮影したものだ。今は紅葉の季節で、渡月橋も修復されたのに、「風風の湯」は筆者が利用している時間帯は最近とても空いていて、2時間の間、客は十数人程度だ。
●渡月橋下流側欄干修復、その8_d0053294_00171570.jpg

by uuuzen | 2018-11-12 23:59 | ●駅前の変化
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