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●『韓国古刺繍とポジャギ展』
4日、京都国立博物館を出た後、JR京都駅の伊勢丹百貨店まで歩き、そこの美術館で見た。この展覧会の出品作は1976年に開館したソウルにある韓国刺繍博物館所蔵のもので、1996年に万博公園内の国立国際美術館で開催された『李王朝時代の刺繍と布』以来の展示だ。



●『韓国古刺繍とポジャギ展』_d0053294_0291036.jpgその時に買った図録はなかなかいいデザインで、表紙のポジャギの写真が赤、青、黄、白、黒の配色でよく目立つ。今回はここ数年来の韓国TVドラマの日本における人気沸騰によって、韓国文化に関する知識欲が日本に高まったことを受けての展覧会と言ってよい。10年前は120点、今回は100点の出品であるので、前回の方が規模は大きかったが、チケットやチラシに印刷されているポジャギは前回には展示されなかったもので、他にも前には来ていなかったものがあるかもしれない。日本の風呂敷や袱紗に相当するポジャギはこの10年で日本でもかなり知られる存在になった。刺繍屏風に関しては去年12月に見た『柳宗悦の民藝と巨匠たち展』でも李王朝時代のものが展示され、また京都北区の高麗美術館でも同様の所蔵品の展示がしばしばあるので、日本でもその気になれば実物を見る機会が以前からあった。だが、ポジャギに関しては韓国刺繍博物館はまとまった数の所蔵をしている。さすがの柳宗悦もポジャギには注目しなかったと思うが、あるいは当時はまだあまりに日常的なものであったので、収集するまでもないと考えたのかもしれない。韓国刺繍博物館のポジャギは館長の許東華が70年代から精力的に収集したものだが、60年代半ばからの刺繍作品収集の過程において視野に入って来たものだ。誰も注目していなかったものを氏が買い集め始めたことを知った韓国中の骨董商が馳せ参じ、氏は最初の数年間で掘り出しものをかなり入手した。それは「まずまずの水準の絵画の10分の1程度の価格」であったというが、日本円でいくら程度かはちょっとわからない。「まずまずの水準の絵画」が数十万なのか数百万なのか、コレクターの思いによって大きく差があるからだ。それはいいとして、絵画1点で掘り出しものの古いポジャギが10枚買えるというのは妥当な価格の気がする。無名の人が作った、しかも古びた布切れであるので、芸術とみなす人は少なく、古道具としての位置づけならばその程度でもまだ高いかもしれない。だが、大事にされる絵画とは違って、消耗品であるこのような布切れはかえって数は残っていないから、稀少価値の点から言えば、絵画と同等かそれ以上である場合もある。
 刺繍作品、特に屏風は絵画として楽しめるものであり、またポジャギに比してかなり大きくて重いから、飾り映えのする美術品としては数段格がうえと言ってよく、収集を思い立つ人が少なくないことは充分に想像出来る。そのため、それは許東華氏でなくても、他の誰かが遅かれ早かれ集めたであろう。だが、ポジャギに関してはすっかり忘れ去られて処分の憂目に合う寸前に氏が収集したと言ってよく、その意味で、氏はかつての柳宗悦と同じことをポジャギに関して行ない得た。これはポジャギをまず美しいと思う審美眼が必要だが、この点に関しては今回初めて知ったが、氏は造形作家で、未知の美を見出す眼力があったわけだ。柳は直接には自らの手で造形品を作り出すことはしなかったが、それでも美しいものを峻別することは出来た。このため、美を感じて評価するには造形作家である必要はないと言えるが、自分で何かモノを形づくることを日々行なっている者は、言葉に置き換える能力が乏しくても、美を感ずる能力には人並み以上に長けていると思う。氏の実際の作品としては会場の最後、出口のすぐ際に1点だけ展示されていた。それは黒光りして丸みを帯びた古い木材を使用した額縁の底辺に、同じように古い木製の匙や木製の生活具を固定したオブジェ作品で、廃材を利用した温かみのある半立体の静物画の趣があった。その額縁とは周囲の四辺のみで、絵を収めるべき内部空間に別の木製品が絵の素材のように見え、しかも背後は何かで塞ぐことをしないから、白壁に飾ると作品の中にその白が取り込まれるし、空中にぶら下げるとアレキサンダー・カルダーのモビールのようにも見える作品となっている。古い刺繍作品やポジャギなどを収集する過程で見出した同じように古い民具をそのように活用しているのであろうが、一見素人芸にも思えそうな造形作品でありつつもなかなか洒落た感覚をよく伝え、氏の人柄を垣間見た気がした。氏が刺繍作品を集め始めてからもう40年は経っているが、1979年に東京で最初の所蔵品展を開催し、1995年までに海外展を30回も開催するという生活の中で、次第に自分の造形作家としてよりも収集家、研究家としての活動に時間を割かざるを得なくなった。
 1984年はパリに韓国文化センターが新設されたが、こけら落とし展として氏の所蔵する刺繍作品が展示された。こうなると、一個人の収集品が国家の威厳をかけた重要な芸術品になったと言ってよいから、造形作家としての仕事が注目されなくても、もっと重要な仕事を担っていることになる。柳もそうであったように、誰も注目しなかったものに全く新しい美の価値を見出して、それを世に広めるということは、造形作家の個人的な創作に比肩する大きな仕事だ。世の中にはコレクターは無数に存在するが、そんな中で収集品の価値を体系づけ、また人にもその美がよくわかるような形で紹介し続けるのは並大抵のことではない。品物自身が美的価値を持っていても、時代の巡り合わせによってなかなかそれが一般にはわからないものであったり、また炯眼な人が集めようと思ってもすでに世の中からかなり失われていたり、あるいは資力の点でまとまった数が揃えられなかったりもする。氏の奥さんは歯科医で、刺繍博物館はその医院の2階を利用して最初設けられた。今もそうかどうかは知らないが、小さな美術館と紹介されていたからきっと同じままに違いない。一般人が生活の傍ら、気に入った骨董品を収集し続け、それがやがて韓国を代表するひとつの古美術品になるというのは、そんなに多くの例はないだろう。いつも書くように、潤沢な資金を持つ人が美術に興味を抱いてコレクターになることは稀で、しかも仮にそうであっても、特筆すべきコレクションにならない場合が多い。片手間で収集しても決していいコレクションは完成しないのだ。まだあまり人が目をつけていないものを収集するにしても、優品に出会えるのは運命であり、資金の有無は関係がない場合がしばしばある。話を戻すと、韓国の民芸品は柳がかなり紹介したので、もうほとんどは人々のよく知るものとなっていると思われがちだが、実際はそうではない。たとえばこれは10数年前に韓国を旅行した時に知ったものだが、韓国の家具の金属装飾板ばかりを膨大に収集した個人所有の美術館が晋州にある。李朝の家具は日本でも人気が高いが、その家具に使用されていた蝶番や装飾用の金具類に注目した収集家はいない。鶴や鳩、鳳凰、蝙蝠、蝶、魚、鹿、花、それに「福」という文字など、ありとあらゆる楽しい形があって、これらは日本の家具には全く見られない韓国独自の工芸品だ。本の形では紹介されているが、実物の展示はまだ日本では行なわれたことがない。
 さて、展示品の古刺繍としては、刺繍を絵画的に施した屏風が筆頭に上げられるが、ポジャギにも刺繍を施したものがあるし、もっと小さいものでは裁縫時に使用する指貫にも見られる。それぞれに見所があって、説明も分けるべきだが、ここでは屏風についてだけ書く。日本刺繍と違うのは繍い方といった専門的なことよりも、むしろ配色の妙だ。よく「日本の色」という表現がある。だが、化学染料がなかった時代、しかも朝鮮半島と日本は四季がはっきりしていることで共通し、植生もきわめて近いとなると、植物から得られる色素やその染色法はほぼ同じであって、「日本の色」「朝鮮の色」と明確に区別出来るものはないと言ってよい。もしあるとすれば、それは染色によって得られた色をどのように組み合わせて、どんな絵模様を表現するかの差だ。数年前、韓国で伝統的染色によって布を染める女性作家を紹介するNHKのTV番組があった。そして実際に染める様子や染められた布を画面で見ると、それはかなり渋めの、日本のいわゆる草木染で得られるものと大差ないものであった。そのため、たとえば韓国を訪れて見物する李王朝時代の衛兵の派手な原色の衣服を見ると、それはあまりに誇張されたもので、明らかに化学染料のいやな部分を強調しているように思えるが、このことは韓国のTVドラマに登場する時代劇の衣装の配色でも同じで、昔はもう少し落ち着いた色であったはずだ。しかし、前述のように、韓国ではそうした色の配置に独特の感覚がある。それは中国の陰陽五行思想とともにもたらされた五方色と呼ばれる五色の配色を鮮やかに配することにひとつの特徴が見られる。五色は青、赤、白、黒、黄で、それぞれ東南西北と中央、それに水火金土木を表わすが、この5色をそのまま用いることは日本でもよく見られることで、韓国独自のものではない。にもかかわらず、韓国の刺繍やポジャギの配色に独特のものがあるのは、セクトンと呼ぶ、異なる色の帯を並べて縞状に配置することに見られるように、補色関係にある色を隣合わせに配置して目立つ効果を求めたり、また一方で絵模様の独自の抽象化作用に負うところが大きい。刺繍屏風における絵模様は、韓国の民画にどこか通ずる明るさや省略化、モチーフが見られ、これらは日本にはついになかったものだ。李王朝は工芸では写実に関心を抱かず、文様化を好んだ。この文様は当然日本と共通するものも多いが、儒教思想に由来する韓国独自の形をしたものが目立つ。ここではこれ以上詳しく書かないが、韓国刺繍の絵模様の楽しさはきわめて現代的なセンスに近いもので、古風の一語で片づけられない奥深さを持っている。そのため、韓国の現代の造形作家がそこに立ち戻って何か新しいものを汲み上げて来ることを許容する大きな源泉になり得ているように思える。その点は日本の場合は少し事情が違っているが、それは簡単に言えば、韓国の刺繍模様がどこか未完成さを含んだ完成であるため、いくらでも改変が可能な余地が残されているからとだけ言っておこう。李王朝時代の屏風は8曲や10曲が主で、そのため1隻分は細長いが、屏風におけるこの形式も日本とは違う。日本では8曲はごく稀にしか存在しない。また、日本のように屏風を広げた時にひとつの大きな絵となるように絵を描くことも稀で、特に刺繍ではそのような形式の屏風は知らない。
 次ぎにポジャギだが、刺繍屏風と違って、これはもっと庶民が日常的に用いたものだ。もちろん、貴族が使用した豪華なものもあって、それらは刺繍がたくさん施されたり、あるいは手描きで細かい模様が染色されている。刺繍屏風の豪華さはもっぱら貴族のものであるのに、それらが庶民の民画に共通する絵心を持っているのは矛盾するようだが、許東華コレクションを見る限り、貴族のものと庶民のものとの差は歴然としているとは言い難い。確かに材質や華麗な色合いに大きな差はあっても、鑑賞者に訴えて来る力は共通している。日本で紹介されてよく知られるポジャギは、刺繍をたっぷりと施したものよりも無地の生地をつないで縫ったものだ。衣服の端裂を用いたこれらのポジャギは開拓時代のアメリカのパッチワークと同じ位置にあるものとしてよいだが、ポジャギは左右対称性に固執せず、もっとランダムでありながら雑然さを感じさせず、自由で風通しのよい精神性がよく忍ばれる。チケットにデザインされているカラフルなポジャギは、モンドリアンとクレーの絵を足して割ったような感じがあるが、実は江戸時代の乾山の四角い皿にも同じようなデザインのものがあるし、桃山時代の武将たちの衣装にも似た感覚のものは見受けられる。こうした大胆な抽象模様はポジャギの場合は、あまった布の使用という事情がそうさせたわけだが、残余のものを使用して美しいものを組み立てようとする感覚が当時の女性に広く存在していたことは、朝鮮の封建社会の様子を別の角度から如実に伝えるものとして貴重なものに思える。絹ではなく、麻を使用した無地のポジャギでは、ほとんど縫い目だけが作品の構図を決定し、それが大きな見所となっているが、それらもまた何と力強く、しかもすがすがしいことか。単純な縫い方による単純で四角い無地布が、まるで抽象芸術の極致に見える。これは実は朝鮮半島の陶器模様にもそのまま通じていて、そんな歴史ある土壌があってこそ、韓国の現代芸術家の作品が続々と登場して来ている。日本の隣国であるにもかかわらず海で隔てられていることは、条件がさまざまに違ってお互いに微妙に異なった芸術文化を開花させた。それはこうした消耗品であったポジャギひとつからでもよく伝わる。
by uuuzen | 2006-02-21 00:29 | ●展覧会SOON評SO ON
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