人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●京都ZacBaranにて、ニエリエビタ、須山公美子、津山篤
枯盛衰が走馬灯のように頭の中で巡る夜。今日は「文化の日」だ。10年ほど前か、豊中の西福寺に若冲の襖絵を見に行ったことを思い出した。



その時に書いた文章は毎年今頃になるとこの画面右の「記事ランキング」に登場する。今もそうで、その題名をクリックすると13年前に書いたことがわかる。その日のことはよく覚えている。13年経ったとは信じられないが間違いはない。それはともかく、先日大阪北堀江の喫茶店FUTUROで筆者はニエリエビタさんからCDをいただいた。それがまだ6日前とはこれも信じ難い。ここ10日ほどは慌ただしかったからで、10年分の経験をした気がする。スケジュールがぎっしりと詰まった芸能人はいつ誰とどこで会ったかほとんど思い出せないだろう。多忙であれば人気者になり、そうなれば収入も増える。売れない芸人はその売れないことを売りにしてでもTVに出ようして、いつかは有名になろうと歯をくいしばる。だが、年々若手が現われ、その中から素早く有名になって行く者もいる。運か才能か、あるいはどちらもだろうが、まるで競馬の競走馬のような彼らも、多忙であろうとなかろうと、人生を走馬灯のように思い返すことはあるだろう。話を戻して、FUTUROでのことをブログに投稿すると、ニエリエビタさんからお礼のメールが届いた。彼女からCDとともに名刺を差し出され、筆者はめったに使わない名刺をわたしたのだ。彼女がCDを持って筆者の前に姿を見せたのは、金森さんの助言によるらしい。そして、筆者が彼女についてブログに少し書いたことを彼女に知らせたのも金森さんで、金森さんの導きによってニエリエビタというシンガー・ソング・ライターのことを知った。彼女はメールで京都で演奏することを知らせて来た。それが一昨日であった。彼女のCDについての感想はいつか書くつもりでいるが、早速ライヴを見ることが出来た。今夜はそれについて書こうと思いながら、考えがまとまらない。まず、今日の投稿の題名の3人の名前順に演奏があった。これは活動歴の長さと年齢順だ。一番若いニエリエビタさんはいわば前座で、ギターを爪弾きながら30分で5曲歌った。最後の曲「風」は津山さんのギター伴奏つきで、その指の動きはヴィブラートを強調しながらしっかりとていねいなものであった。演奏の後でニエリエビタさんから聞いたが、彼のCDに彼女は歌で参加していて、関西のライヴハウスで活動する音楽家の中で彼女は仲間を作っていることがわかった。そのようにして、音楽を目指す者がつながり、世代が受け継がれて行く。そしてその中から誰もが名前を知るような者も出て来るが、音楽を美術に置き換えると、誰もが知るほどに有名になる確率がどれほどかが、それなりに想像がつく。若い画家に限らず、個展を開く者は大勢いて、またほとんどは画廊の賃料に見合うほどには絵が売れない。
●京都ZacBaranにて、ニエリエビタ、須山公美子、津山篤_d0053294_00181067.jpg
 筆者の自治会の住民Oさんは知り合いに画家がいて、自作の絵を各地の喫茶店に持ち込んで売り込みをしているが、喫茶店が買う絵画はせいぜい1枚数万円だろう。全国的に有名になっても価格の半分以上は画商がぶん取るはずで、画家は好きな絵が描けることで満足せよという世間の見方だ。同じことは芸能界でも言える。売れる間は睡眠も許されないほど働かされ、高額の収入を得ても、男に騙されて一文なしという話を聞く。話を戻す。丸太町通りに面するZacBaranという地下にあるジャズ・バーには気づかなかった。その北500メートルほどにある病院に9月中旬から母がいて、その見舞いに1時間訪れた後、6時40分頃に店に入った。金森さんに似た丸坊主頭の男性から、「今日はライヴがありますからチャージが1500円です」と言われたが、「ニエリエビタさんの紹介です」と言うと、彼女は奥から出て来ると同時にその男性は「大山さんですね」と言った。それで彼女のメールどおりに無料となったが、その分、3人の出演者のギャラは少なくなることを思うと、せめてこうして書いておく気になる。演奏が始まるまでの間、彼女と少し話をしたが、客は10数人で、津山さんの演奏中に入って来た人を含めても20人ほどだ。須山公美子さんは演奏の合間に、販売用に置かれた3人のCDの枚数が客のコップのコースターよりも多いと語った。その笑いを込めた自虐が彼女の持ち味であることは、彼女のピアノの弾き語りによる自作のシャンソンにもよく表われていた。彼女はまた、「ニエリエビタさんのファンが増えている」とも語ったが、それはたとえば筆者を見てのことだろう。少ない客であれば、どの客がどの演奏者目当てに来ているかはわかる。ところで筆者は須山公美子という名前を80年代半ばに初めて耳にした。ニエリエビタさんが3,4歳の頃だ。ここでは経緯を書かないが、一種の付き合いから、発売されたばかりのデビューLPを買った。アコーディンを弾いて歌うところが印象深くはあったが、当時も今もどちらかと言えばうるさいロックが好きな筆者はそのアルバムをほとんど聴かなかった。つまり、縁がなかった。だが、たまにその名前を見かけて活動を続けていることは知っていた。また彼女の演奏をYOUTUBEで数年前にいくつか見た。シャンソンを歌っていて、お決まりのジャック・ブレルやピアフに交じってオリジナルもあった。彼女の顔をそれで知っていた気になっていたのに、今夜の様子は違っていた。彼女曰く、シャンソンを歌うようになってどんどん化粧するようになり、長いつけ睫毛にピンクやブロンドの鬘を被るとのことで、今夜は場の雰囲気に合わせてピンクを選んだと言っていた。そして頭の上に小さめのボーラー・ハットを被り、キャバレーの雰囲気を高めていた。それにしては喧噪とはほど遠い客の入りで、「文化の日」が泣くではないか。
 彼女はピアノを軽々と弾きながら歌い始めた。最初の曲は「ブランクーシの庭」だろうか、題名を忘れたが、売れないミュージシャンの思いを歌ったもので、ジョン・レノンやジミヘンのような大物になった気分で云々と続き、これは彼女のオリジナル曲と思うが、彼女は有名なシャンソンの曲を自由に歌詞を脚色して歌っているので、原曲があるのかもしれない。かつてヨーコ・オノはジョン・レノンのことを、ビートルズとして売れなければどこかの場末のバーで歌い終わっていた人生であったと書いていた。筆者はそこに内田裕也を重ねる。ヒット曲のない彼はジョン・レノンとは天地の開きのあるミュージシャンと目されているが、内田はロックンロール魂では自分はジョンと全く同じと思って卑下しない。また先ごろ亡くなった妻の樹木希林は、内田の「朝日の当たる家」を聴いて死にたいと語ったようで、その曲の冒頭部が何度かTVで流れた。それは日本でも大ヒットしたアニマルズの圧倒的な演奏に比べて、いかにもギターも歌もちゃちで底の浅いものに聞こえるが、そうであるからこそ日本的で味わいがあるとも言える。背伸びしても届かないのであれば、そのままの自分をさらすしかない。その肚のくくりように内田の恰好よさがある。そしてそれは彼以降の日本のミュージシャン全体に言えるだろう。ともかく、須山公美子もその辺りのことは年齢も重ねたこともあって、よく熟知し、また諦念と言うのではなく、無理せずに好きな曲を好きなように歌っていることがよく伝わった。それは自分の思いに正直ということだ。それゆえにファンもついて来るとの思いだが、これまた笑わせてくれたのが、彼女が出した2枚の競馬にまつわる曲を集めたCDによって、彼女はファンを失ったと言っていた。本当のファンは、憧れの作家がどのように変貌しても理解しようとする。ジュリーがいい例だ。須山さんから離れたファンは、彼女の本質を知らなかったからで、そういうファンを彼女は惜しいとは思わないだろう。彼女がワイルやブレルの曲を歌っても、今は21世紀の日本だ。彼女の生活があり、その中からしか彼女は歌うことが出来ない。彼女が競馬場に通うことになったきっかけは知らないが、金を賭けるというスリル以外に、たとえば今夜歌った「園田でカツどんを食べる」という曲で彼女が語ったところによると、昭和のレトロのにおいが残るその競馬場が淀のそれよりもいいとのことで、競馬場全体の雰囲気が好きなことがわかる。筆者は10代の終わり頃に一度だけどこか忘れたが競馬場に無理に連れて行かれたが、馬が間近で疾走する迫力はよく覚えている。その力強さはとても美しかった。須山さんがそのことを歌っているのかどうか知らないが、2枚もCDを出しているからには、競馬に関するさまざまなことに魅せられているはずで、それは人生の中からオリジナル曲を作る意識の産物だ。
 二番目の曲は「紙のお月さん」であったと思う。月が紙のようだという表現はフランスのシャンソンにあるのかどうか知らないが、印象深い。それでYOUTUBEでかつてその演奏を見た筆者はよく覚えている。最後の曲は「エロの歌」で、デビュー当時の彼女では歌えなかった歌詞であろう。30数年歌い続けて来て、人生の甘いも辛いもよく知り、年齢相応の貫禄がついたことによる、人間の本質を突く歌だ。ニエリエビタさんの歌が終わった後、須山さんは筆者から3メートルほどのところに立っていて、話そうと思えば出来たかもしれないが、YOUTUBEで見る姿とはかなり違っていて、彼女であると確信が持てなかった。80年代半ばにLPジャケットで見た彼女がこのように少人数の前で演奏することの意外さが大きく、そのことをどう解釈すべきかとも思ったが、彼女の堂に入った、また客を喜ばせる演奏は客の人数の多寡に関係のないもので、そこにプロ根性を見た。そして、彼女がエロをどう考えているかに思いを馳せると、彼女のファンがライヴハウスに足を運ぶのは、彼女のエロティックな部分に引き寄せられてのことではないように思えた。これは彼女に女としての魅力が少ないという意味ではなく、エロさを売りにせずとも歌で勝負するという覚悟が伝わるからだ。また、実際に彼女は顔も声もとても知的で、それが彼女の最大の魅力だ。とはいえ、筆者は彼女のファンではない。運よく30数年ぶりに、しかも彼女の生演奏に間近で接することが出来て、彼女の現在のほんの一端を垣間見ただけの感想に過ぎず、彼女の長年のファンには怒られるだろう。シャンソンとなると有名な曲のカヴァーは欠かせないが、それだけでは彼女は物足りなさを感じているはずで、往年のシャンソンの世界を現在の日本に置き換えるとなれば、どういうことをどういうように歌えばいいかということになり、またそうなれば自分の興味を掘り下げるしかない。そのことでもっと有名になるかどうかは誰にもわからないが、創作した事実は残る。表現者はそれが第一だ。さて、津山篤というミュージシャンのことは今回初めて知った。冬場はどこかの山で管理人として暮らし、それ以外は山を下りて音楽活動をしている。ギターを弾くだけではなく、歌いもするが、ギターは伴奏をループで鳴らしながらそれに即興を速弾きで重ねる曲から始まり、ユダヤの旋法にしたがった曲や、またロック調の伴奏の曲など、好きなものだけを思う存分弾くという強い個性がある。最後に歌った曲は、須山さんの「エロの歌」とセットに出来そうで、京都にいられなくなった理由を歌詞にし、男の浮気とそれを達観する思いが表現されていた。男ならたいていその歌詞は思い当たりがある。浮気を文化と思えない男はライヴハウスに足を運ばす、彼の歌に笑うこともない。下の鶏頭は今日の午後2時頃に嵐山東公園の近くで見つけた。
●京都ZacBaranにて、ニエリエビタ、須山公美子、津山篤_d0053294_00191916.jpg

by uuuzen | 2018-11-03 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪
●レザニモヲの育て方 >> << ●レザニモヲの育て方、アゲイン

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?