油を加えると動きが滑らかになる。それで中国では「加油」を「頑張れ」の意味で使うのだろう。京都の嵯峨にある油掛地蔵を思い出すが、油分の摂り過ぎで油ぎった体つきになるのは不健康で、油を加える加減は難しい。
70歳になったジュリーが満席でなければ歌う気になれないと言って、7000人が入った会場でのライヴをキャンセルしたが、体形がわかりにくいだぶついたピエロの衣裳で歌うのは、自分の太った姿を自虐的に客観視しているからか。筆者は以前、近年のジュリーがライヴでかなり政治的な歌を披露していることを知って批判的なことを書いたが、ピエロの衣裳と聞いていささかジュリーに対して思い直した。だが、ほとんどの男は中年以降になるといっぱしの政治談議をするもので、ジュリーもその類かという思いは拭い去れない。若い頃のジュリーはアイドル歌手であって、シンガー・ソング・ライターとして人気を博したのではなかったからだ。ジュリーがアイドル時代のヒット曲を歌ってほしいというファンの声にあまり応じないのは、自分が好きなように歌っていい年齢と境遇になった現在、過去のヒット曲は自分のために作詞作曲されたものではあるが、心底歌いたいとは思っていなかったからだろう。となれば、今は存分に政治色の強い歌をファンの前で披露出来るから、名声を確立出来た若い頃をどこかで否定し、現在の自分の姿こそが実像と思っているのかもしれない。また、今回のツアーはギター伴奏者とふたりでステージに上がるとのことだが、それは1万人以上入る大会場にはふさわしくないように感じる。ブルース歌手のようにしみじみと歌を聴かせるのであれば、1000人の会場でも広い。満席でなければ歌わないという矜持は認めるべきだが、人気がもっとなくなった時、数十人しか入れない会場を満席にして歌うつもりがあるかとなれば、その境遇を落ちぶれたと捉え、もう歌わなくなる可能性が大きいのではないか。そこでピエロの衣裳を思い出せば、ジュリーにピエロとしての自覚があれば、さびしい観客の入りであっても歌うことが正直というものだろう。昨日は筋肉自慢をする老人について書いたが、江戸時代ではただの力持ちは道外の自覚があった。頭で生きてはいけないのであれば力を使う。これは今も変わらない。道外は道化であり、歌手もその部類に入る。そこをジュリーが自覚し、そして政治色の強い歌を披露するというのは、なかなか見上げたことで、アイドル時代とは全く違う本当の自分を見つけたと評価出来るかもしれない。ただし、筆者は今後もジュリーのライヴを見るつもりはない。以前に書いたように、政治的な歌を若い頃から歌っていたならば関心を抱いたかもしれないが、そうでなければ筋金入りとは思えないからだ。ピエロでも一本筋を通した生き方が必要だ。
昨日は家内の誕生日であったが、MIHO MUSEUMの内覧会に出かけたので、寿司店に行くという約束は今日実行した。その後は大阪市内に出て、地下鉄の1日乗り放題券を買ってあちこち歩いた。来年から息子が大阪市内に住むことになるかもしれず、ネットで調べて下見に出かけたのだ。難波や天王寺の近くに住むのがいいと思っているが、交通の便、スーパーや銭湯が近くにあるかどうか、また手頃な家賃など、いくつかの条件を前提にするとだいたい地域は絞られる。息子は大阪市内に土地勘がなく、筆者が適当な物件を見つけてやりたいが、筆者も大阪市内の隅から隅までは知らない。大黒町はどうかと思って小1時間ほど歩いたが、鉄筋コンクリートの4,5階建てばかりが林立し、昼間でも人通りが少なかった。そして緑がほとんどなく、嵐山に住み慣れた筆者はその点が大いに気になった。用事はほかにもあり、梅田のあちこちを歩き回る中、ついでにディスクユニオンに足を延ばした。その店には昔はよく入ったが、今日は入らなかった。今週木曜日にそこで武田理沙さんのライヴがあるが、その告知は店頭になかった。宣伝不足で観客が少ないことにならないようにここに書いておく。夕方には天神橋筋商店街に行き、またもや足を延ばして26日に武田さんが演奏するALWAYSの前に行った。すぐ近くに大きなスーパーがあり、そこにはたまに立ち寄る。6時半頃にALWAYSに通じる階段際に立つと、ぽつりぽつりと階段を下りて行く若い男性がいた。歩道に面してモニターが掲げられていて、1,2秒間隔で次々とライヴ予告の画面が映し出されていたが、26日の演奏についてはなかった。これは画像を提供していないためか、画像を映写してもらうのに費用を支払う必要があるためかわからない。あるいは前売り券が完売したためとも考えられるが、モニター画面を写真に撮りながら冷たい秋風が身にしみ、当日の会場もそうであればどうしようとさびしい気分に陥った。今日の2枚はそうして撮ったモニター画面で、2枚目は内部の雰囲気がよくわかる。細長い空間で、奥のブルー・ライトで照らされたところがステージだ。いろんなライヴが行なわれ、またそれぞれのライヴに関心を持つ人がいる。ザッパが来日した1976年、筆者は家内とは大阪の厚生年金会館の大ホールで見たが、6,7割の客の入りであった。それでもザッパは気を抜かず、「ブラック・ナプキンズ」のギター・ソロは編集したうえで同曲の最初の発表として新作アルバムで発表した。ザッパには、観客が多かろうが少なかろうが、同じように演奏するという態度が見られた。それどころか費用を一部負担して来日公演をしたという。それから42年経って若い世代がザッパの曲を演奏する。火に油を加えたような演奏会になるには、満席になった方がいい。