●「HEARTBREAKER」
家の中でこの数か月探していたこのグランド・ファンク・レイルロードのレコードがようやく出て来た。こういうことがしばしばある。きっとどこかに隠れているはずなのに、もう10年以上も出て来ないカセットもある。



d0053294_0135378.jpg誰かに貸したままになっている場合もしばしばあるが、お互いが貸し借りを忘れていて戻って来ない。シングル盤のレコードにしてもそうで、何枚もそのようにしてなくなり、また分では買っていないのに手元にあったりする。このシングル盤は自分で買った。袋の丸い穴の中央に1970.7.15.と赤鉛筆で書いてある。だが、これはラジオで聴いてすぐに買ったのではない。当時は場合によっては1年ほど経って思い出したように買った。これもその部類だ。ラジオで最初に聴いたのは、前田武彦と若い女性が話し合いながら、東芝音楽工業の新譜をかける番組『ヤング・ヤング・ヤング』で、確か18歳になったばかりの頃、つまり1969年の秋だったはずだ。耳は不思議なもので、たった一度しか聴いていないにもかかわらず、この曲を聴いた時の驚きははっきりと記憶している。世の中は広いもので、先日ネットで調べると、この番組の冒頭の1、2分を録音して聞かせてくれるサイトを見つけた。男性合唱による東芝のテーマ・ソングが歌われ、そしておもむろに前田と女性の対談が始まる。それを聴いてまるで37年前の自分に戻った気分になれたが、同じような思いをする人は少なくないだろう。番組は東京の文化放送では60年代前半から始まっていたようだが、筆者が知らなかっただけかもしれないが、関西ではもっと遅かったと思う。筆者が知ったのは1967年頃だった気がするが、ビートルズの「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」や、あるいは『ホワイト・アルバム』や『アビー・ロード』の中の曲を聴いた記憶がある。ところで、「ストロベリーフィールズ…」は一旦曲が終わった後でまた徐々に音楽が聞こえて来るが、この最後のつけ足しの部分はラジオではよくカットされた。DJがそういう曲であることに気づかなかったからだが、『ヤング・ヤング・ヤング』でも同じようなことは何度かあったと思う。そうしたDJの行為にビートルズ・ファンはちょっとした失望を味わったが、それまではせいぜい2分45秒に収まっていたシングル曲の伝統が「ストロベリーフィールズ…」ではすっかり破られ、翌年の「ヘイ・ジュード」では7分を越えるシングル盤が登場し、番組でオン・エア出来る曲数が1曲少なくなる現象が起こった。だが、人気抜群のビートルズであればそれは問題にはならなかった。ミュージシャンが極端に有名になり、わがままが許されることになった典型的な例が「ストロベリーフィールズ…」や「ヘイ・ジュード」であった。
 『アビー・ロード』のA面の最後の曲「アイ・ウォント・ユー」が『ヤング・ヤング・ヤング』で初めて紹介された時のことはよく覚えている。アルバムが出てすぐの1969年の秋であったはずだ。「アイ・ウォント・ユー」は歌が終わった後、曲の後半は単純な演奏の繰り返しが長く続くが、それはフェイド・アウトではなしに急にぷつりと終わる。それがあまり唐突で、最初は前田武彦が勝手に切ったのかと思った。だが、そうではなく、改めてビートルズのアイデアに感心したものだった。曲が長めであることは、それまでのジャズの世界ではごくあたりまえであったが、ロックではビートルズが最初ではなかったろうか。ことシングル盤に関しては「ヘイ・ジュード」以前にそのような長い演奏はなかった。1分間に45回転するシングル盤に収録可能な時間は、音質の点からはせいぜい4分前後までと思うが、「ヘイ・ジュード」はとにかくその限界まで拡張した。同時期のフィフス・ディメンションの「輝く星座」もLPヴァージョンは7分以上だったと思うが、それはサイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア」と同じく、中間部で僅かな独立したリンク・メロディを用いつつ、その前後に同じ演奏をつないだ形で、その前半だけで曲の全体像はわかると言ってよく、実際シングル盤では半分だけが収録された。だが、「ヘイ・ジュード」の場合は、前半と後半が全然違う曲となっているため、もし3分台の曲に編集するのであれば、前半を半分、後半も半分にしてそれらをつなぐ必要がある。そして、それは現実的には不可能なので、結局7分台のままに発売するしかなかった。あるいは、後半部分は単純なメロディの繰り返しであるから、これを縮めることは出来たかもしれない。しかし、そうはならなかったのは、ビートルズがそれらを許可しなかったからだろう。当時は誰も王様であるビートルズにそんな意見をすることは出来なかった。
 さて、この「ハートブレイカー」という曲も長い。4分14秒と記されている。正式な発売日は知らないが、『アビー・ロード』とあまり変わらない1969年秋ではなかったかと思う。60年代では4分を越えるシングル盤は長い部類に入った。前述したようにこの道はビートルズが開拓したが、それでもたとえば「アイ・ウォント・ユー」とは違う新鮮な音を当時感じた。これは誰しもそうであっただろう。1969年はニュー・ロックという言葉が登場し、ビートルズ以降の新しいロックが次々と紹介された。筆者より若い世代はそうした音楽に夢中になった。たとえば筆者より5、6歳年下の従妹が当時京都にいて、たまにそこを訪れるとレッド・ツェッペリンのアルバムが何2、3枚あったりした。筆者は当然ラジオでは彼らの曲を聴いてよく知っていて、「移民の歌」を初め、それなりにヒット曲はみな面白く聴いたが、レコードを買う気にまではなれなかった。何だか単純なロックであり過ぎて、歌詞に深みもないだろうと思っていたからだ。結果的にニュー・ロックのグループの中で最も気に入ったのはジェスロ・タルであったが、同時期にこの「ハートブレイカー」も聴いて、その激しい音色に度胆を抜かれた。それは端的に言えば、曲の最後が一度終わったようになりつつ、また始まる部分で、これは明らかにビートルズがしばしばやったことの模倣に思える一方、ビートルズにはない新しさが曲全体に満ちていた。また、グランド・ファンク・レイルロードは3人編成で、この点はは当時イギリスのクリームと同じで珍しくはなかったが、クリーム以上にヴォーカル・バンドであることが気に入った。筆者はとにかくレコードに合わせて歌うのが大好きで、ビートルズが好きになったのもその点による。歌えない曲はつまらなかった。だが、グランド・ファンクの音楽に多少失望したのも事実だ。それは3人でありながら、どの曲も3人では演奏出来ないからであった。この曲も伴奏担当とリード・ギターのふたつのギターが使用されていて、これはどっちもこの曲を書いたマーク・ファーナーが演奏しているが、当然オーヴァーダビングの手法によっている。そのため生演奏ではこういうわけには行かず、ツアーではオルガン奏者を雇っていたりした。ここがクリームとは大違いで、どことなくいかさまっぽいバンドという気がした。とにかく馬鹿でかい音を出す彼らは日本でもすぐに人気が出て、71年には来日した。3人編成のバンドは78年に登場するポリスでも同じだが、時代は3人でも充分なように進んだ。そしてそうなると、ビートルズのギターふたりという編成は何だか時代遅れに思えて来るから不思議だ。
 この曲はデビュー・アルバムに収録されているヴァージョンとは長さが違う。LPでは6分34秒あって、2分少々長い。シングル盤はどこをどうカットしているかだが、中間部をうまく取り去っている。そしてそれは結果的によかった。確かにLPヴァージョンは長い分だけ楽しみが持続するが、カットされた部分の最初は音が押さえられて静かに続き、やや感興を削ぐ。その静かな部分があるからこそ、他の大きな音の部分が生きるとも言えるが、やはりシングル盤に収録するにはふさわしくない。6分34秒は「ヘイ・ジュード」よりも短いから、そのままでもシングル盤には出来たが、彼らのデビュー・シングルであり、ラジオで頻繁にかけてもらうには短くした方がよい。それでおそらくレコード会社と話し合って短いヴァージョンを作ったのであろう。だが、シングル盤ではほとんどわからないが、カットされた部分のギター・ソロではハウリングのピーという音がはっきりと数回聞こえる。これはいかにも大きな音を奏でるバンドにふさわしい臨場感を与え、ひとつの特徴ある聞きものになっている。ちょっと前ならばこうした録音ミスと思われかねない音は排除されたはずだが、ノイズさえも効果として使用可能なことがビートルズの登場によって一般化した。大会場でロックを演奏することもビートルズが口火を切ったが、それを一気に常識化したのはグランド・ファンク・レイルロードと言ってよい。71年の東京公演では4万人ほどを野球場に集めての演奏で、発する音も特大級になって行った。彼らのライヴ盤はいくつかあるが、この曲が入っているものとしては1975年に出た2枚組みLPの「CAUGHT IN THE ACT」がある。そこでは7分38秒の演奏で、さらに手慣れた味を聞かせてくれる。冒頭の数秒がシングルと違った別に作られた旋律をしていて、これがまた格好よく、しかもヴォーカルを初め、演奏が全体に彼らのライヴならではの速度感に満ちて実力のほどを充分に伝える。アメリカのロックはイギリスのそれとはまた違ってどこかからりとしているが、彼らの音楽も全くそうで、この曲のように短調でしかも8分の6拍子という泣き節にぴったりの条件でも、決して陰にはこもらず、聴き終えてこれぞロックというような爽快感を与える。
 ロ短調で書かれているが、使用する音は基本的には5つだ。ヨナ抜きではないが、この単純さが日本にも受けた。単純なものは強い印象を与える。この曲はそうした単純な形のものを6分ほどに拡大しつつ、ドラマティックな構成に成し得たものだ。また演奏が猛スピードで突っ走るのではなく、ちょうど歩む速度で進むのもよい。そんな中でも筆者が好きなのは、ギターの刻むリフがワルツのようにはねて踊るところだ。いつもそれが聴きたいとこの曲を思い出す。短調で3拍子系というのは大体よく好まれる曲になるものだが、そのツボをこの曲はよく押さえていた。井上陽水の「傘がない」はこの曲を研究した結果に出来たそうだが、同曲のレコードを所有しないので実際のところは確認出来ないにしても、確かに短調である点は共通し、ヴォーカルの歌い回しの雰囲気もそっくりだ。筆者は70年代の日本のフォークやロックにはついに全く関心が持てずに今まで来たが、それはみな欧米の模倣や剽窃に終始していることに勘づいていたからだ。そんなことに反旗を翻して独自の道を歩んでいる日本のミュージシャンがいないわけではないが、絶えず新しいものが欧米から押し寄せる流行音楽の世界にあっては、60年代で日本独自のものを生み出すにはまだ無理があった。それはさておき、本曲の最後にギターが奏でるメロディの中に、どことはなしに東洋っぽい雰囲気の部分がある。これは当時の流行にならったものと言ってよいが、同じようなメロディはたとえばビートルズの「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」の最後にもあったし、ザッパのアルバムでも聴くことが出来る。このことはヒッピーがインドなどに憧れを抱いたことと関係していて、グランド・ファンク・レイルロードもまたそれとは完全に無縁でいるわけには行かなかった。次に歌詞に関してだが、これは見るべきものがない。昔の彼女を思い出して恋しがっていて、これは60年代前半のビートルズが盛んに歌い尽くしたことと変わらない。彼らは76年にはザッパのプロデュースでアルバムを出すが、それも不発に終わり、ひとまず解散してしまった。力強くて勢いがあるストレートなロックも寿命が短かく、それを知っていたからこそザッパに援助を乞うたのであろうが、そう簡単にイメージ・チェンジを図っても人気を復活出来るほどロック界は単純ではない。次々と新しい流行の波が押し寄せ、先に何が持てはやされるかはわからない。グランド・ファンク・レイルロードに関しては、筆者の手元にはこのシングル盤1枚と、そして90年代に格安の中古で買ったアルバムが少々あるだけだ。今でも代表曲はこのシングル盤だと思っている。そしてそれをたまに聴くが、いつでも最初に聴いた69年の秋の番組を思い出す。確かにハートがブレイクされるような衝撃的な経験だった。
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by uuuzen | 2006-02-19 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪ | Comments(0)


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