石か木で造る鳥居が金属製で、しかもその前に見通しのよいフェンスが設けられている。今日はその写真を1枚紹介する。ところで、昨日書いたように阪急の嵐山駅前広場とそこから徒歩7分ほどの法輪寺の境内で「宙フェス」が先月23,4日に開催された。
それとは別に同じ駅前で22日に「オープンカフェイヴェント」が開催された。これは西京区役所による実施で、「風風の湯」の廊下にもポスターが貼ってある。10月20日、11月3日、12月1日にも開催されるので、機会があれば感想を書く。昨日投稿した3枚目の写真は、駅前広場に貼ってあった「宙フェス」の案内で、同じ大きさの別の内容を記したものも近くに貼ってあったが、それは撮影しなかった。どうでもいいが、この写真は24日、今日の写真を撮った後の撮影だ。当日は好天で、また仏師のOさん宅に行ったが、玄関前に車がなかった。それで近くの法輪寺が賑わっているので境内に入った。地蔵盆のテントが張られるバス道路沿いだけではなく、坂を上った駐車場近くにもテントがたくさん張られ、その様子は筆者が知る限り、法輪寺では初めての最大の縁日風情であった。ただし、子ども向きとは言えず、客もあまり多くなかった。テントをつぶさに覗く気分にあまりなれなかったが、百万遍の知恩寺で開催される手作り市と似た雰囲気でありながら、扱っている商品に何となく魅力を感じなかったからだ。同じ縁日気分なら、松尾大社で毎月開催される亀の市の方が雑多でしかも安いガラクタを並べて面白いが、「宙フェス」の意図を理解していないと言われそうだ。年1回の特別の催しで、それには季節感を押し出したテーマが必要だ。思い出した。「宙フェス」のテントは渡月橋近くの嵐山公園でもいくつかテントが張られていて、照明器具の展示があったと思う。もっともそれは花灯路でも見られるもので、どの縁日でも見られる香具師の屋台を別にすれば、臨時テントで販売ないし展示するものは限られる。それはさておき、今日の写真の法輪寺境内の稲荷大明神がいつ新しくされたのか。筆者は24日に初めて見かけた。筆者が自治会長をしていた時、自治会内で料亭を経営する高齢の男性が筆者にこの法輪寺の稲荷の社について相談を持ちかけて来た。そのことは6,7年前にブログに書いた。当時、この社はかなり劣化していて、参拝者もいなかった。存在は江戸時代の本に記されていて、また筆者に相談に来た老人が若い頃は、伏見の稲荷大社と同じく、初午の日に近隣から参拝する人が絶えず、鳥居の前から道路を見下ろすと、その賑わいがとても楽しかったそうだ。だが、いつの間にか参拝する人がいなくなった。その賑わいを取り戻すには、社を新しくする必要があり、その老人が費用を全額負担するので、後の世話は自治会の住民に任せたいと言う。

だが、それには法輪寺と伏見稲荷大社、そして自治会に諮る必要がある。とても無理と筆者は首を縦に振らなかった。そのために割く時間もなかったからだ。するとその老人は当てが外れたという表情で、たまに道で出会っても素知らぬ顔であった。京都人の典型的なドライさと言えばいいが、老人の思いもわかる。商売とはいえ、信心深いのだ。だが、老人の若い頃と違って嵐山は相変わらず人出が多いとしても、もっぱら外国人観光客で、初午の参拝を知っている人はごく少数だ。ともかく、筆者にすれば自治会を巻き込む話ではないと考えた。2、3年経つと、その石の鳥居が撤去された。背後の祠もだ。神社の跡形がなくなり、筆者に話を持ちかけて来た老人はさぞかし落胆したであろう。石の鳥居はまだまだ使えるもので、撤去はかなりもったいないと筆者は思ったが、老朽化で危険であったのかもしれない。老人は法輪寺の住職に話さなかったであろう。筆者はその老人の希望を自治会の古老などに話すと、知らん顔をしておけばよいと言われたが、一抹の後味の悪さを感じていた。その後、老人が所有する料亭は更地になり、次いで駐車場になった。それが2,3年続き、つい最近新しいタイプの旅館が建った。それはいいとして、老人が夢見た朱塗りの稲荷社の鳥居が同じ場所に再建された。この夏のことだろう。それは江戸時代からその場所にあった稲荷社の復活で、喜ぶべきことだが、以前のものとはかなり様子が違う。そのことを健在の老人はどう思っているだろう。最初に書いたように、金属製の鳥居で、柵で遮られている。柵はお参りするなという拒否感を与えるが、想像するに、山から猪や鹿が下りて来ないための措置かもしれない。写真に見えるように周囲には「宙フェス」のテントなどがあって、坂道をぐるりと上って本堂前に行くことが憚られた。またこれも想像だが、猪や鹿避けとすれば、フェンスの延長は数百メートル必要で、それほどの長さはとてもないだろう。となると、新調した鳥居や祠を保護するためのものとなるが、それでは老人が願ったように、自治会の有志か誰かが毎日花を供えたり、水を変えたりすることが出来ない。社を柵で囲うのは、そこが寺の境内でありながら、神域であることを示すためかもしれないが、写真からは賽銭箱も見えず、参拝者を求めていない雰囲気がある。これを再建するのに伏見稲荷大社に断ったかと言えば、たぶんそうではないだろう。昔からあったものを新しくしただけで、またその新調の具合は、金を出す寺のつごうでどうにでもなるものに思える。今年の地蔵盆で気づいたが、法輪寺は境内の整備をここ1年でかなり進めていて、ほかにも整備される区域があると聞いている。そのことについてもまた書く機会があると思う。