●悲願の花、アゲイン
括という言葉が見え始めて来た年齢の筆者だが、やりたいことはまだまだある。誰しもそうだろう。だが、富士正晴は死ぬ何年か前にもう書くことがなくなったと言った。



d0053294_02074524.jpgそのことを思うと、ごく普通の人は必ずしも老いていなくても積極的にやりたいことがない場合が少なくないかもしれない。ところで、今朝筆者は鮮明な夢を見た。悪夢ではないが、よいとも言えない。目覚めてすぐに夢の内容を家内に話したが、根幹を言えば、筆者が雇ってほしいとある仕事場に面接に行く夢だ。筆者はもう雇われるつもりはないし、また望んでもそのような勤務が出来る年齢でもないので、夢の内容の原因がわからないが、若い頃に経験した面接の不安が心の奥に残っているのだろうか。今朝の夢で面白いのは、面接を受ける30歳くらいの筆者は仕事の経験がとても豊富で、誰にも負けない技術を持っていると自信を持っていて、仕事場を取り仕切っているいわば社長のことを全く畏怖していなかったことだ。つまり、その点では若くはなく、内実は現在と同じ初老だ。そしてなぜそんなちぐはぐな夢を見たのかと思うに、自分の能力を別の見知らぬ場所で試してみたいからではないか。これは自分を総括して、やりたいことがもうないということとは違う。そこで、何を最もやりたいかを考えると、旅行や買い物ではなく、当然作品を作ることだ。本職の友禅に関して本を書いておきたいとも思うが、作品制作と同じく、誰かから求められているからではない。求めがあるに越したことはないが、人生の限られた時間を好きなように使うとして、最も気分よく過ごすには、他者の求めの有無は関係ない。求められても嫌なことは引き受けない。そして、やりたいことをするには時間と金がかかるが、金を作ってからでは遅い。金儲けに邁進している間に作品を作ることをすっかり忘れるか、あるいは金儲けの間の空いた時間を費やしてもろくな作品は出来ないだろう。創造はそんなに甘いことではない。全精力を注いでも凡作しか作り得ないことがほとんどだ。さして金がなくても制作は出来る。金を口実にする人はただの恰好つけだ。そこで、このブログを始めたのはあることが契機になっているが、それが一段落するとブログをきっぱりとやめるかどうか迷い続けている。それを決断すべき日が近づいて来ていて、富士正晴に倣うのでもないが、一旦区切りをつけることになる気がしている。そして、このブログを続けて来たことの総括を思えば、他人が読んで面白いものが投稿の1パーセントもあれば続けた意味があったと言えるとして、残り99パーセントは文字からは読み取れない気分が筆者にとっては重要であったためで、それはそれで意味があったと思いたい。そうでなければ10年以上も続けることは無理だ。
d0053294_02083034.jpg 文字から他者が完全には読み取れない気分を、別の文章で書き表わすと、そこにはまた新たな背後の、文章には書けない気分があることに気づくが、文章の限界を知ったというほどのおおげさなものではなく、また筆者は文章のプロとは言えない。では絵で表現出来るかと言えば、これは全く文章とは違うもので、音楽と同様、何も意味しない。そしてまた気分について考えると、これは刻一刻と変化するものであるが、そうではない通奏低音的なものもある。これが大事だ。これさえ忘れないようにしておくと、作品がぶれることはない。つまり、先端の、最新の気分に左右されるなということだが、こうして書きながら、揺れる気分に手綱をつけ、満足の行くある一定の形にしようという思いだけを見つめ進むと、いつの間にか投稿すべき文章がひとまず完成している。先に言ったようにその99パーセントは他人には裏事情がわからない個人の睡眠中の夢のようなものだが、その99パーセントを費やさねば残り1パーセントの秀逸さは得られないだろう。つまり、自分にしかわからないような、文字で伝えていることの背後にある気分はとても大事で、それが時代を画する創造の源泉となる。その気分は今を生きている人とかなり共有していて、その点において新しい作品は必ず賛同者がいる。また前言を繰り返すと、その気分は時代によって変化する部分とそうでない部分があって、どちらも作品には内蔵されるが、恣意的に新しくあろうとすれば却って作品はすぐに古びる。作品を作るには技術はもちろん必要だが、それと同時に作品から伝わる気分が重要だ。鑑賞者はその気分に同調する。だが、その気分を他者に伝えるのは表現技術だが、技術の巧拙は鑑賞者を深く感じ入らせるかどうかで決まる。もっとも、世の中の99パーセントの人は名作と凡作の区別がつかない。それに99パーセントの作者は、悲願の花を希求しても、ヒガンバナのように2,3日で萎れてしまうような作品しか作れない。それでも本人が満足出来たなら、成功の人生であったと言える。さて、今日は先月撮ったヒガンバナの残りの写真を使う。最初の2枚は20日、雨の中、嵯峨野から梅津へと散歩した時に撮った。最初は嵐電の線路沿い、2枚目は「千代の古道」の途中で、これは白いヒガンバナで、赤と同じ時期に咲くことを知った。3枚目は27日、中ノ島公園で対岸の左岸を見通した。ちょうどヒガンバナと同じような色合いのシャツを着た男性が水辺に下りていて、その姿を中央に収めた。補足しておくと、「悲願の花」の投稿に載せた3枚の写真は、順に梅宮大社の塀越し、「風風の湯」の前の桜の林、阪急嵐山駅横で撮った。筆者の長年の悲願の花が成就すると、来年はヒガンバナを撮影しないかもしれない。
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by uuuzen | 2018-10-06 23:59 | ●新・嵐山だより


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