筋金入りの体と自負するGはぽっくりと死ぬために日々運動を欠かさない。昨日の「風風の湯」のサウナ室で聞いた。Gは筆者より2歳上で、今年69だ。
そのGの名字が昨夜ようやくわかったが、今後も筆者は「風風の湯」でその名字で呼びかけず、ブログではGと呼ぶ。常連の中にGより2歳年長のこれも名前の知らない人がいて、Gと同じ自治会ですぐ近くに住んでいると最近聞いたが、お互い名乗らないのでGの名前は知らないと言っていた。ところが「風風の湯」ではふたりはとても親しく話している。その場だけの付き合いで、名乗る必要がないと思っているからだが、話の流れで呼びかける必要があるから、名前を知らねば不便だ。それに名前を知ると親しみが増す。昨夜投稿した爆蘭も、名前を知ってその存在がより身近なものとなった。だが、Gはそういう人間関係を望んでおらず、ただ「風風の湯」でのみ話すことで充分という考えだ。それは筆者も同じようなものだが、相手に呼びかける時に「あの」では失礼だ。Gは話相手に「自分」や「お前」と言うが、81歳のMさんに向かってもタメ口で話すのを聞いていると、育ちを想像してしまう。いくらよく話す相手でも、礼儀を忘れてはならない。だが、それがまるで駄目な者がたまにいる。それに、アメリカでは年長者も年下も同じ言葉で話すので、日本も英語式に敬語は必要ないという意見もある。戦争に負けて独自の文化や言葉を失ったことを大いなる発展と思っているのが今の日本で、いずれ日本語はわずかな言語学者だけが解読するものになる。TVコマーシャルで、若手漫才師が相手に向かって「貴様は?」と言うのがある。これは今では罵り言葉として使われる「貴様」が、昔はそうではなかったことを暗にほのめかす。また言葉が時代とともに変わることを伝えたいのかと言えば、それはその漫才師やコマーシャルの製作者に訊かねばわからない。筆者は「貴様は?」の代わりに、「自分は?」や「われは?」、「てめえは?」、「おんどれは?」などを使えばと思ってみるが、面白さの点で「貴様は?」にかなわない。それはいいとして、Gによれば、運動不足の者ほど病床で長らく伏して死ぬとのことだ。そんな統計結果があるのだろうか。どういう死に方をするかは、自殺以外は誰にもわからず、毎日1万歩歩くGがぽっくり死ねるとは限らない。またそういう突然死がいいのかどうか。いつ死んでもいいように身辺を整理し終えている場合はいいとして、たいていの人はまさか1時間後や1日後、1週間後に死ぬとは思っていないし、思いたくもない。「貴様、生きざまは?」と問われ、毎日1万歩歩くことで、それがぽっくり死ぬためと言うのは、何とも夢のない話だと思うが、Gは筆者が長く病に伏して家内に迷惑をかけると何度も主張する。
昨日投稿した爆蘭の咲く場所から南50メートルほどの路上で、烏にしてはとても小さく、雀にしては大きい、名前のわからない鳥の死骸を見た。鳥にしては間抜けな死に方で、「貴様、生きざまは?」と内心問いたくなる。その道は一方通行でないので歩行者にとってはとても歩きにくく、車に跳ねられないように大いに注意を要するが、嵯峨のスーパーに行く時の最短距離で必ず通る。轢かれたのは人間に慣れた鳩と思うが、赤い肉とそれを取り囲む白い皮が見え、煎餅のようにぺしゃんこであった。羽は黒が主体だが、雨に濡れればたいていの鳥はそのように見えるだろう。嫌なものを見たと思ったので、爆蘭の撮影後はその道を戻らず、線路沿いを東へ向かった。鳩は轢かれる寸前に「ミスった!」と思ったはずで、突然死がよかったはずがないが、動物の弱肉強食は補食される側のうっかりミス、つまり油断から成り立っている。人間でも油断から事故死する場合が多く、老化に伴う油断を狙った詐欺もある。あるいは人のよさをいいことに罠にはめる奴もいる。これは人間が金を発明してからのことで、使い切れない金を持っていてもさらにほしがる病人を生むことになった。その点、毎朝裏庭に餌を食べに来る雀は、食料不足の不安はあるが、人間のような強欲に悩むことがない。さて、台風21号の後、雨が多くなり、雀の餌用の容器に水が溜まる。そうなれば食べ残しがそのままで、筆者はそれを洗う手間を省くために、容器が濡れないようにまたビニール傘で覆うことにした。最初の数日は
前回のピンクのビニール傘の時と同じように、雀はなかなか傘の下に入らなったが、食べたい本能が勝って2,3日後には傘がない頃と同じように多くの雀が食べに来る。激しい鳴き声で喧嘩することもあるが、たいていは順番を待って20秒程度で静かに交代する。今日の最初の写真は今日撮ったが、その様子の最中だ。黄色の楕円で囲む二羽以外に、葉で隠れて見えないが容器の淵に乗って食べている一羽もいる。2,3枚目の写真は19日に嵐山で撮った。鳩が群がっているのは渡月橋下流の左岸で、ベンチの高齢者が食パン1枚を投げた直後だ。餌の奪い合いははしたないが、その闘争に加わらない鳩がいて、集団の周囲にたたずんでいた。これは満腹か、闘争に弱いからか。この写真を撮って嵐山公園に向かうと、五木茶屋近くのベンチの下にちょこまか動くセグロセキレイを見かけた。人慣れし過ぎているのか、人間の足元に接近し、ほとんど靴に接しながら歩いていた。そのことをベンチの人たちは誰も気づかないが、足を少し動かせば、セグロセキレイは歩む速度を5倍にしてその場から離れ、隣りの人の足元に接近する。左の黄色の楕円は鳩で、2枚目の集団が右岸に飛来した中の一羽だ。鳥から「貴様、いきざまは?」と問われて、鳥と同じように全く筋金入りの強欲ではないことを主張したい。