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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●梅宮大社東端のブロック塀、北半分
見えでは物騒だが、5段積みのブロック塀の上に建てられたフェンスは半ば丸見えで、物騒さは残る。



●梅宮大社東端のブロック塀、北半分_d0053294_00055512.jpg
丸見えでは物騒だが、5段積みのブロック塀の上に建てられたフェンスは半ば丸見えで、物騒さは残る。昨日書いた30数年前からの顔見知りの人は、その改装された塀についてまだ目隠しをするのではないかと言ったが、昨日見た状態が完成と思う。この金属性のフェンスが設置され始めたのは2,3日前のはずで、その人はその作業の進み具合を知らなかったのだろう。今日の最初の写真は100メートルほどあるこのブロック塀の半ばほどで、ブロック塀に地面から1枚の金属性のフェンスが立てかけられている。つまりまだ作業中で、この写真からすぐ右つまり北にある門の向こうに工事の車が停められ、作業員が2,3人見えた。その門はトタン板で出来ていて、その色合いや普段は閉まっていることもあって、存在にほとんど気づかないが、昨日はそれが開いているのを初めて見た。また写真右端に男性用の小便器の上端が少しだけ見え、建物は便所であろう。筆者は梅宮大社の庭園に10回は入ったことがあり、この建物があることは知っていたが、便所は社務所の横にあるものしか利用したことがない。庭の話になったのでついでに書いておく。1か月ほど前、猫や犬の写真で有名な写真家がこの神社に住みついている猫を取材したTV番組を見た。その時、その猫と戯れる社務所の女性が映った。その人の姿を筆者が前回見たのは30年ほど前だ。その頃の面影がそのままありつつ、肉づきがよくなっていた。そう言えば、前述の顔見知りの女性は「わたし、今年で6になるねん」と言った。これは76の意味だが、筆者と初めて出会ったのはほとんど40年前で、お互いその頃はまだ若かった。そして、それだけの歳月が経っても梅宮大社はほとんどそのままに見える。細部は変化していても、民家の変化ほど著しくはなく、神社の雰囲気は変わらない。先の顔見知りの女性の家の隣りにある3階建ては目下取り壊し中で、彼女はその埃や騒音がとても迷惑がっていたが、「梅津もどんどん変化して来ている」と言い、そしてムーギョが今年いっぱいで閉店になることも伝えてくれた。これは初耳だ。今しがた買い物をして来たそのスーパーがなくなるととても不便で、またさびしくなる。1階にムーギョが入っている5,6階建てのマンションのみが取り壊されるのではなく、その近くのかつての市場なども更地になり、その後は高齢者向けの施設が出来るという。そういう建物は松尾橋バス停すぐ東に近年出来たが、それでも足りないほどの高齢者が増殖中で、今後さらに増える。そう言えば、息子が通った中学校はほとんど新築の新設で、当時つまり35年ほど前に、将来は確実に子どもが減るので、校舎は高齢者向けの施設に転用する予定があると言われていた。現在も校舎として使われているが、子どもは減り、老人が増える一方だ。
●梅宮大社東端のブロック塀、北半分_d0053294_00061750.jpg
 土地建物は時代を映す。筆者が京都に住み始めた頃、トモイチ近くのバス停前に5,6階建てのビルがあった。それはその数年前にある染色会社が建てたが、呉服の売れ行きが悪くなって銀行に差し押さえられた。だが銀行はその建物を有効に使うことも出来ず、無人のままつい先日まで建っていた。それが取り壊され、今は更地になっているが、これほど小さな土地であったかと思うと同時に、以前何があったのかもうほとんど忘れている。ビルを建てた社長は日本を征服したほどの有頂天であったと思うが、その夢はすぐに破れ、今は跡形もない。そのビルから西へ150メートルほどの同じく四条通り沿いに、ガソリン・スタンドの跡地やまたそれと同じほどの大きさの空き地が20年ほど前からあるが、両方の土地とも1か月ほど前から整地が始まった。梅津がそのように激変中であるのは確かとして、それは四条通り沿いかそこから近いところが中心で、北に入り込むと昔ながらの住宅が並んでいる。さて、昨日の1,2枚目の写真の左端に「千代の古道」と刻んだ石柱が立っている。これは20年ほど前に出来たもので、右京区の郷土史家が中心となって設置を推進したものだろう。この標は嵯峨野に至るまでにところどころにある。筆者はたまにこの「千代の古道」をたどって嵯峨から梅津、あるいはその逆へと自転車で走る。よく行く嵯峨のスーパーで買い物が足りない場合、この古道を使えば梅津に最短距離で着くからだ。また、その名前がつけられる以前から筆者はその道を利用していて、わざわざ「千代の古道」と命名され、標をあちこちで見かけるのは何となく面映ゆい。この古道はムーギョがある辺りが南端で、梅宮大社の東端、つまりブロック塀際の道路から従妹の家のある辺りを通過するが、昨日の写真の1,2枚目の左端は古道の南の起点として確実視してよい。その神社のブロック塀が半分の高さになり、塀の向こうの庭の林が見通せるようになったことは、「千代の古道」の名にふさわしく、近隣住民としても昔の雰囲気が多少は蘇って喜ばしいだろう。ブロック塀のブロックが発明されたのはいつか知らないが、それはとても便利な目隠しの素材として歓迎されが、地震による倒壊で被害者が出ることは予想されたはずだ。20年ほど前、筆者は従妹の家に自転車で向かい、最短距離でしかも地元住民しか歩かない狭い道を走っている途中、地震で地面が揺れたことをはっきりと感じた。片側は高さ1.5メートルほどのブロック塀で、普段からそれは道側に少しだけ傾いているが、揺れを感じて2,3秒後に塀を通過しながら、その塀が筆者に向かって倒れて来るのではないかと一瞬恐れた。そのブロック塀は今もそのままで、また相変わらず筆者はその際を歩くが、通るたびに地震で揺れた時のことが蘇り、低くしてほしいと思うが、そうするとその向こうの民家の中が丸見えとなる。
●梅宮大社東端のブロック塀、北半分_d0053294_00063757.jpg

by uuuzen | 2018-09-19 23:59 | ●新・嵐山だより
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