楔のように威力を発揮するのかどうか、誰しも祈る思いで商品や作品をつくり、それが何かのきっかけで大きな話題になることがある。
映画はその代表的なもので、同じように費用をかけて作っても爆発的に評判を得ることがあるので、若い映画監督が毎年雨後の筍のように出て来る。それとは反対に、日本の郷土玩具は郷土の差が少なくなったこと、また何事も手作りの時代ではなくなったことで、ほとんど滅び去る間際にある。人気がなくなれば作り手が少なくなり、また昔とは違って手作りは人件費の高騰で高くつき、高級品としての価格になるから、なおさら売れないという悪循環から脱出出来ない。さて今日は4月の大阪での郷土玩具の会で購入したDVDを紹介するが、その会は数十年続いているそうだが、毎回集まる人はほぼ同じ顔ぶれで、高齢化が進んでいる。ネット時代なので、情報を得ることはたやすいが、情報が多過ぎて、情報を発信してもなかなか広まらない場合の方が多い。そのことは郷土玩具の新しい愛好家が増えないからか、あるいは若い愛好家は歴史のある会合に関心がないからか、実際の理由はわからない。2月、4月は東京から中年の女性が参加したが、大阪の会では知識が豊富な人が多く、東京でわからないことを教えてもらえるとの理由だ。彼女は大阪の会と同じように歴史のある郷土玩具の会の様子をみんなに簡単に伝えてくれたが、郷土玩具の会にも大阪よりはるかに多くの人が集まるようだ。東京は人口が多いのでそれも当然かもしれないが、ほかに理由があるのかどうか、大阪の会を今後も継続させるには、これまでとは違った何かが求められるだろう。それもまずは宣伝で、ネットを通じるしかない。そのごく一助になるのかどうか、筆者はこうしてたまに郷土玩具について書いている。大阪の会は偶数月の第4日曜日、午後2時から、心斎橋のとあるビルの2階で行なわれるが、参加費500円で誰でも参加出来る。また販売会があり、気に入ったものがあればその場で代金を払って持ち帰ることが出来る。もっとも、ネット・オークションで気長に待てば目当てのものを買えることもあって、この頒布会はいつも並べられたもの全部が売れるとは限らない。関心を持つ若者が減って来ていることは、収集品が市場にたくさん出回っても品あまりになることであって、その傾向はよほどの効果のある楔的な何かが起こらない限り、今後も続くだろう。希望のないことを連ねているが、郷土玩具は眺めていると心が温まり、またその魅力に一旦魅せられると、のめり込んでしまう。またそうなってたくさん集めると置き場所に困るようになるので、材質や産地など、関心を絞れることだ。筆者は最初に伏見人形に関心を持ったこともあって、もっぱらそれを集めて来たが、今ではほとんどほしいものはない。またたまにネット・オークションで見かけても数万円ほどの価格なので買わない。
嵯峨にある「さが人形の家」については何年か前に感想を書いた。わが家からは歩いて行けるが、嵐山に住んでいると大阪には出ても却って嵯峨には足が向かない。「人形の家」は3845点の古い郷土玩具を所蔵し、一括で平成23年3月に国の有形民俗文化財に登録された。それを機に収蔵品を広く知らせるためのDVDが製作された。4月の会で館長の池田章子さんが出来たばかりのDVDを頒布された。確か「御所人形」と「賀茂人形」のDVDもあったが、筆者は「伏見人形」のみ買った。またこれら3作品は英語版があり、DVDでナレーションを担当されている池田さんの京言葉を忠実に関係者が翻訳したようだ。それを見ていないので何とも言えないが、字幕つきと聞いたように記憶する。ならばわざわざ英語版を作らずに、日本語版で字幕の表示が切り替え出来るようにすれば済んだことではないか。おそらく、ナレーションが英語で、英語の字幕がついているのだろう。池田さんによれば京言葉のスラングを忠実に英語に移すには、日本人では駄目で、ネイティヴ・スピーカーでなければならなかった。だが、ネイティヴかどうかは別にして、京言葉の微妙なニュアンスだが、歴史的な固有名詞をどうわかりやすく伝えるかという学識が必要だ。約40分の作品で、前半の「館蔵品の紹介」は池田さん、後半の「歴史編」はプロのナレーターが担当し、それぞれ話しぶりはやや速く、英訳するとそれがどこまで正確に伝わるのか気になる。それはともかく、伏見人形の魅力や歴史を端的に知るには最適で、本を読むより早く、またわかりやすい。伏見人形についてのDVDは初めてのはずで、全国の図書館に置き、また書店でも売られるべきだ。ナレーションの背後に琴などのBGMが鳴り続け、これがまたよい。1時間を超えると退屈になるはずで、40分はちょうどよい。後半は伏見の丹嘉の8代目が登場して伏見人形の型取りから焼成、彩色まで工程を見せ、これは自分も作ってみたいと思わせるには効果がある。京都ではかつて50軒ほどもあった伏見人形店が今は丹嘉のみで、そのためもあって、2000種ほどある型は大半が使われていない。つまり、本などで古い伏見人形を見かけても、その新品は何年待っても手に入らない。 おそらく五十年は型抜きされていない人形がたくさんあるはずだが、そういう五十年以上前の珍しい伏見人形をネット・オークションで見つけても、新品の半額ほどで買えるだろう。それほどに新品は高価になり、また伏見人形の愛好者は少ない。DVDの前半で語られるように、伏見人形は神像で、祈りの対象であった。今の若い人にはそういう信心はないだろう。今日の2枚目の写真は画面を写した。「チョロけん」と呼ばれる、正月の門つけを模したものだが、門つけを知らない若者が大半だろう。