阪急阪神1日乗車券を使って神戸の三宮に行くことが年に数回ある。三宮神社についてはもう投稿したはずと思って今調べると、写真は撮ったものの、投稿が途絶えた半年ほどがあって、後日それらの日を埋めようとしながら、まだそのままになっている。

人通りの多い神戸の三宮神社とは違い、西京区の御陵にある同じ名前の神社は目立たない山の陰にあって、昔のよき日本を感じさせる。地元住民でもあまり知らないようなこういう小さな神社も、今はネットの威力で人気を得ることもあるだろうが、そうなったとしてもごく短期間のことで、付近が賑わうことにはならないはずだ。それよりも筆者が心配するのは、今月に入ってたくさんの墓が倒される事件があったことだ。墓地も神社も誰でも入れるところが多く、神も仏も恐れない連中は無人の社を傷つけることも平気だろう。今年は急にドライヴ・レコーダーを取りつける必要性が喧伝されるようになったが、それほどにちょっとしたことで人間関係に火花が散る時代になった。いずれ墓地や神社にも監視カメラがあたりまえになるだろうが、監視カメラこそが神や仏ということとなって、何とも味気ない。その監視はネットでも行われている。「風風の湯」で最近出会わなくなった嵯峨のOさんは、ネットを利用するとビッグ・データとして自分のネット上の行動が集められるのでネットは使わないと言っていた。それはおおげさにしても、自分のネット・ライフがどこかに記録され、知らない間に誰かに目をつけられているという意識は忘れない方がよい。先ほど今日使う写真を眺めていると、2枚を1枚に合併し、計2枚で済むことに気づいた。写真の大きさは小さくなるが、小さくなってもいい、あるいはむしろそうすべき写真で、また2枚となれば本文は最低1段落の原稿用紙3枚程度で済む。それならば、「三宮神社」については1回の投稿で済んだが、昨日は昨日で、今日考えが変わった。さて、山の斜面に沿って石の階段をてっぺんまで上ると、今日の最初の写真のように真新しい小さな社が2か所に分かれて左右に並び、その中央に賽銭箱がある。向かって右は柱に貼りつけられた小さな木札に「玉依姫命」と書かれている。左の社は三連で、右から順に「八幡神社 應仁天皇」「稲荷神社 宇賀魂神」「春日神社 天児屋尊」とある。計四神だが、三宮神社であるから左の三神が主祭神だろうか。それはともかく、樫原の三ノ宮神社とは違う神で、由緒も違うはずだ。2枚目の写真の上は、三神をアップで撮った。中央のみ榊がなく、小さな白い稲荷狐の神像一対がこちらを向いている。背後は枯れた笹の葉が蓄積し、山には竹が生えているのだろう。豪雨の際、崖の崩れや水の流れがどうなるのか心配でもある。下の写真は社の背後にある寿老人と信楽の狸の置物で、前者は古い伏人形に見える。これらは置くべきでないが、勝手に処分は出来ない。そんなことをすると社に傷をつける者も現われるだろう。だが、不要な置物をどんどん持って来られるのも困る。困った世の中だ。