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●神社の造形―三宮神社、その1
し訳ないと謝る必要はないが、以前の投稿を訂正するのはそんな気持ちが多少はある。何を変えたかと言えば、樫原三宮神社「その3」までとそして昨日の三宮天満宮の投稿の題名をいじった。



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「樫原」を取り去り、「三宮」を「三ノ宮」とした。おそらくどちらでもいいはずだが、先ほどヤフーの地図を見ていると、樫原にあるのは「三ノ宮神社」で、そこから北方500メートルほどの山手にあるのは「三宮神社」という表記になっていた。このふたつの神社は国道9号線で南北に隔てられていて、関係があるのかないのか、調べてもわからない。筆者が昔から知っていたのはその北の方だが、「ノ」は両者を区別するために便宜上つけられたものだろう。たまたま三神を祀る神社が接近したのであって、同じ名前の神社があることは奇異ではない。今日と明日でこの「三宮神社」について書くが、筆者はこれまで遠目に玉垣を見ていただけで、境内には踏み込んだことはなかった。それが樫原の三ノ宮神社を訪れたことで、ようやく訪れる気になった。樫原ではなく、御陵という地域にあるので、「御陵三宮神社」と呼んでもいいかもしれない。御陵の地名は陵墓が少し西にあるからだが、樫原も同様に古墳時代からの歴史の古い地域だ。街道筋は別として、江戸時代は山間に民家が点在していたのが、戦後の京都市の人口増加に伴なって団地やニュータウン、高校や大学が次々と出来た。また御陵は京大の大きな施設が出来たことでもよく知られ、筆者は5,6年前に従姉の旦那さんに車で日文研の図書館まで連れて行ってもらったことがある。自転車では無理な山の上にあるからだ。その京大の巨大な施設に至る新しい道が国道9号線から北に分かれるように造られ、その分かれ地点近くに三宮神社がある。筆者がこの神社を知ったのは従妹夫婦によく連れて行ってもらったスーパー銭湯がすぐそばにあるからだ。5年前に嵐山に「風風の湯」が出来たので、もうその銭湯には行かなくなったが、「風風の湯」の常連のTさんは以前その銭湯に毎日通っていた。ほかにも同様の常連客が「風風の湯」にいる。それほどに嵐山からこの神社まではさほど離れていないことになるが、御陵という地域は京都盆地に向かって急な下り坂にあって、山手ゆえに坂が多く、かなり凸凹している。三宮神社も銭湯からは見上げる坂の上にあって、よほど関心がなければそこまで行く気にはなれないだろう。ただし、遠目に見える玉垣は存在感があり、筆者は長らく気になっていた。先月28日、家内が近くの大きな病院で診てもらっている間に行くことにした。そこからは自転車で2,3分の距離だが、坂を上り下りする。
●神社の造形―三宮神社、その1_d0053294_20225617.jpg
 坂を上って玉垣の際で自転車を停めると、白シャツ姿できちっとした身なりの背の高い40代の男性がひとり境内に入って頭を下げていた。それが終わってこちらに出て来た時、少し目が合い、笑顔で筆者に会釈した。入れ替わりに筆者は玉垣の中に入り、その男性がどこへ行くのかと目を追うと、すぐ近くの建物の裏手の扉の向こうに消えた。スーパー銭湯の北隣りにある在宅ケアセンターの職員であろう。なかなか信心深い人のようで、毎日詣でているのだろう。石の鳥居をくぐって驚いた。その向こうに社殿がなかったからだ。敷石の歩道を進むとすぐにそれは左手に直角に曲がっている。今日の2枚目の写真はそこから鳥居を振り返っている。3枚目の写真は道なりにその突き当りの階段を見た様子で、それを上った山の斜面に祠がある。今日の最初の写真の鳥居や石燈籠はまだ新しいものに見える。スーパー銭湯がすぐ隣りに出来た頃に境内が整備されたとすればもっと境内は広かったかもしれない。ところが、山の斜面に小さな、また真新しい社があるのみで、そっくり新たに造ったようにも見える。昔はどういう状態であったのか気になるところだが、国道9号線が出来た時にまず境内の変化があり、スーパー銭湯が出来た時にまた整備されたのではないか。山の急な斜面にあるのは珍しく、雪や雨の日は階段が滑りやすそうだが、階段のみは古く、社は昔から同じ場所にあったと想像出来る。となれば、背後の山が信仰の対象になって来たのかもしれないが、前述のように山は開発が進んで古墳ではないだろう。ともかく、この辺りは古くからの地主が住んでいて、彼らが資金を出し合って境内を整備したはずで、樫原の三ノ宮神社とはかなり違ってひっそりとしているが、今日の2、3枚目の写真に写し込んだように、楓の木が目立ち、秋は紅葉がきれいで見栄えがするだろう。もっと西の大枝には大枝神社があるが、御陵地域全体では神社はここだけで、またその神社が山の斜面の小さな社であるところに、この地域の特性がうかがえる。ネットによれば西京極にも三宮神社はある。そこは松尾大社の御旅所だ。樫原や御陵の三宮神社も松尾大社の氏子地域のはずで、大山咋神を祀るところからも何らかの関係があるだろう。そして樫原と御陵にあるのは村が違ったからではないか。また村が違ったのでその間を国道9号線が通ったのだろう。そしてより洛中に近い樫原の三宮神社が御陵のそれよりも大きくなったと想像する。また、祀られる神が同じかどうかだが、これについては申し訳ないが明日書く。
●神社の造形―三宮神社、その1_d0053294_20265553.jpg

by uuuzen | 2018-07-23 23:59 | ●神社の造形
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