膨張するイメージと言えばいいか、池大雅は52歳で死んだので、痩せ細った高齢者にありがちな画風に至らずに済み、ふんわりと清らかに広がった天衣のような画風で人生を締めくくった。
それはさらさらと一気に描いた、また書いたもので、模倣しやすいが、贋作はやはり嫌らしさを内蔵している。だが、あまりの贋作の多さに池大雅の画風は誤解されている向きがある。つまり、巷に氾濫する贋大雅の作品によってこのようなものかと安易に捉えられがちで、たやすく模倣出来てしまうようなところから、大した画家ではないのではと思われてしまう。それだけ大雅の作品は奥が深く、なかなかとっつきにくい。今日は1か月ほど前の最終日20日に京都国立博物館で見た池大雅展について書くが、1980年頃に尼崎市に今もある会館で池大雅展を見た以降、まとまった大きな展覧会が開催されとは言い難く、日本美術の愛好者からもなかなか全貌がわかりにくい作家と捉えられているように感じる。これは前にも書いたが、筆者が嵐山に住んで間もない頃、苔寺のすぐ近くにあった池大雅の作品のみを展示する私設の美術館に自転車で行ったことがある。その時のことをおぼろげに覚えているが、それは大雅の作品のよさはわかりにくいということであった。2年ほど前か、同館の作品は京都府に寄贈され、それを機に文化博物館でその披露展があり、それも見たし、またそれより数年前か、確か高島屋で池大雅展があってそれにも出かけたが、尼崎で見た印象以上のものを強く感じたとは言い難い。ただし、少しずつその魅力はわかって来て、ここ5,6年の間にようやくつかみどころを感じた。それは最初に書いたように、ふわふわとして空中を漂っているような味わいで、本当に好きなように絵を描き、字も書き、それ以外のことは何も考えないという境地だ。つまり、汚れのようなものが一切ない。これは有名になりたいとか、金を儲けたいということとは無縁で、その心の持ち方は画家としては誰しも求められるべきものでありながら、めったにかなわないものだ。また、そういう迷いのない人物が実際に存在するとは今はなおさらほとんど人は信じない。芸能人や政治家はそうで、大雅は彼らとは対極にある人間性と言ってよい。したがって、俗人には価値がわからない。またそうであるところに大雅の魅力がある。筆者がそう思えるようになったのは、筆者が長年俗物根性にまみれていたからだが、ではここ数年でそれがなくなったかと言えば、完全とまでは言わずとも、多少はそうなって来たと思っている。そしてそれは大雅の作品の魅力は何かと長年、折に触れて考え続けて来たからで、その過程を通じて大雅以外の南画の味わい方も自然に学んで来たと思う。ただし、それは途上であって行き着くところはない。
さて、どうでもいいことだが、当日は博物館の会場の中で家内と落ち合うことにして筆者はまずキモノの仕立て屋に出かけた。そこで小1時間ほど話してから博物館に向かうと、その玄関前で向こからやって来た家内と出会った。そのような見事な偶然があるものかと驚き合ったが、そういう運のよい出会いは人生に何度かある。先に書いたように、筆者は大雅の作品を各地で何度か見ながら、その魅力がよくわからなかった。つまり、出会いがあるのに真の出会いがなかった。これは禅で言えば悟りが訪れなかったことだが、その悟りにはふたつある。即座に悟ることと、長い間にようやく悟ることだ。後者は前者の立場からは否定される。確かにようやくわかるとは、何だか心もとない感じがする。だが筆者も長年生きて来て、何事も瞬時に判明するのではなく、長年要して味わいがわかることもあり得ることを知っている。むしろそっちの方が正しいと思うほどだ。瞬時にわかったというものほど、実は軽率で、またすぐに疑ったり、忘れたりする場合が多い。男女の恋愛でもそうだ。今は離婚する夫婦が3組に1組だそうだが、瞬時にお互い惹かれ合ったのはいいが、暮らしてみると魅力が薄れたというのでは、最初の魅力の閃きは偽りであったのかということになる。一方、長年夫婦が連れ添ってお互いちょっとした瞬間にかみしめる味わいがあって、禅で言う頓悟と漸悟はどちらも正しいと思う。また、後者は生きている間に出会いがない場合の方が多く、美術ファンであっても大雅の魅力についに気づかない人もいる。それは不幸かと言えばそうとは限らない。他の作家で同様のことを感得する場合があるからだ。それほどに世界には多様なものが存在している。そして、ある作家やその作品の魅力に真に触れるには、出会いという幸運があってのことだが、その出会いはこっちから歩んで行くもので、能動的にならなければ訪れることはない。求めない限り、手に入らないのであって、芸術の魅力とはすべてそういうものだ。つまり、欲しない人には必要がない。そして人間は多忙であるから、即座によさがわかるものに目が向きがちだ。筆者とは反対に大雅の作品のよさが瞬時にわかる人もあるだろうが、大雅の写実的ではない画風、また書の魅力がわかる人はある程度江戸時代の美術を見て来た場合に限られるのではないか。その点において筆者はあまりにも不勉強であったが、それは無理もない。江戸時代の文人画の展覧会はきわめて少なかったからだ。あるいはあっても大きな新聞社が大々的に宣伝するたとえば印象派の画家の展覧会に比べてあまりに地味だ。それは蕪村の場合と同様、今は漢文の素養が重視されず、賛が読めないという理由にもよる。
大雅の絵の楽しさは書が大いに関係している。これは西欧の美術にはない特徴で、大雅の作品を味わうには書の独創性を先に知る方が手っ取り早いかもしれない。そのため、西欧美術を見慣れた目からは大雅の作品はいかにもとっつきにくいが、義務教育で書道を学んだ人ならば大雅の書を楽しむことはさほど難しくはない。ただし、その書は必ずしもすらすらと読めるものばかりではない。大雅ならではの崩した書は、同じように省筆による絵と相まって、ほとんど西欧の抽象絵画と同じ域に達しているが、展覧会名の副題にあるように、天衣無縫とはそのとおりと言うしかない自在さ、おおらかさがある。それはよく旅をして素晴らしい景色を味わったためか、作品からは大きな鳥になって空に漂い、そこから彼方を遥かに眺めるような楽しさに満ちる。一旦そのことに魅せられると、作品を解読する鍵を手に入れたように次々と別の作品の味わいもわかり始める。その過程で何度かの疑問が湧いても、それを乗り越えるたびにまた偉大さに気づく。また書の意味がわからくても、絵から伝わるものが書の内容であることに想像が及び、そして書の意味がわかればなお楽しくなることは言うまでもなく、南画の持ち味にも理解が及ぶ。だが、若冲と蕪村が同じ年で、ふたりの作品を並べた展覧会では、自賛を書かなかった若冲の人気が圧倒し、蕪村の人気はさほど沸かなかった。一方、本展は筆者らが訪れた最終日は高齢者が目立ってはいたが、どの部屋でも満員であった。珍しく買った図録の厚さは、2000年に開催された若冲展のそれに比べてやや薄いが、85年ぶりのしかも最大級の大雅展で、資料的価値は大きい。図録には今回採用しなかった作品が5倍ほどあると書かれ、同じ展示数の展覧会がもう4回は開催出来る理屈だが、伝わるのは晩年作が大半であろう。鉄斎と同じように大雅は晩年になるほど自由奔放の画風になり、また人気は高いが、20代前半以前の初期作がまだ発見数は少なく、またどのように過ごしたかがわからず、研究は尽くされていない。去年の秋は奈良の大和文華館に柳沢淇園展を見に行った。まずは江戸時代の文人画家の代表格の展覧会を開き、その後に後輩の文人画家たちを紹介するという手順を取るとすれば、今後はあまり光が当たらない文人画家の紹介が期待される。外国から作品を持って来る展覧会はひととおり紹介されて来たと言ってよく、日本の活気、経済力の縮小とともにあまり知られない文人画家を掘り起こして行くのは予算的にも少なくて済むのではないか。だが、そういう動きにはまず池大雅の人気がもっと高まるべきで、今回の展覧会がその起爆になったのかどうか。