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●送り火の鳥居
に常に置いているのが天眼鏡で、次第にこれを使う機会が増えて来た。筆者は視力が0.1程度しかないのに、眼鏡を持っていない。



●送り火の鳥居_d0053294_00395894.jpg
手元さえ見ればいいと思って来たからだ。その手元がだんだんとおぼつかなくなり、天眼鏡を手放せなくなった。それが手元にない場合があり、たとえばトイレに座って本を読む時、ルビのような小さな文字はほとんど読めない。読み飛ばせばいいようなものだが、気になるとそこから先には進めない。それでどうするかと言えば、右手の指を丸めて直径数ミリの穴を作る。それを見えにくい文字の上にかざして穴の奥を覗くと、その小さな穴が天眼鏡の役割を果たして、文字がくっきりと浮かぶ。カメラ・オブスキュアを思い出してそのようなことを試みたのだが、原理が同じかどうか知らない。だが、文字が見えにくいのは部屋が暗いからで、筆者は1階の部屋では蛍光灯を3つとも点けるように家内に言うが、電気代をけちる家内は筆者が言わない限り、朝から夕方までは蛍光灯を点けず、点けてもひとつだけだ。電気代をけちって視力を悪くし、眼科医にかかったり眼鏡を買ったりすることを思えば、蛍光灯をせめて夜になれば3つ点けることくらいはしてもいいから、たまに筆者はそのことを思い出して家内にきつく叱るが、翌日はまた蛍光灯をつけない。家内にすれば蛍光灯を点けると部屋の温度が上がって暑いそうだ。白熱灯でないから熱はさほど持っていないはずで、家内の言い分は単なるけちゆえのことだ。だが、そのことを指摘すると、筆者が年柄年中の無収入であるくせに本など好きなものは買い放題であることを責める。食べるものや電気代、ガス代よりも筆者の資料代の方がはるかに高ければ、家内としても蛍光灯を点けないでおこうという気になるだろう。それでつい数日前は2階の南の部屋に寝転がって本を読むと、真昼の自然光で驚くほどに細かい文字が鮮明に見えた。筆者の視力が悪化したのではなく、やはり読書する際の光が圧倒的に少ないことを知り、涼しくなれば3階の南側に陣取って読書するつもりでいる。光の話になったが、今日は五山の送り火だ。街の灯のために街が明るくなり、その分、送り火の味わいは減少したが、江戸時代は建物も低く、京都盆地のどこからでも煌々と送り火が見えたはずで、人間が作った照明の功罪を思う。筆者も読書は蛍光灯に頼らず、自然光の中に限る方がより内容が理解出来るかもしれない。食事後、京都TVで五山の送り火の特集番組を見た。TVの方がはっきりと見え、また5つの送り火は理想的な角度で見られる。鳥居型の点火は8時20分の点火で、それもTVで見るつもりであったが、急に気が変わり、半ば嫌がる息子と8時25分頃に家を出た。やはり自分の目で見るのは味わいが違う。それに川のそばでは風が涼しい。
●送り火の鳥居_d0053294_00404705.jpg 阪急駅前に行くとすでに帰りの客で溢れていた。花伝抄の脇の道で自治会の女性と擦れ違った。向こうは気づかなかったようで、筆者は振り返ったが、すると暗がりの中でそのご主人が筆者に頭を下げたのがわかったのですぐに返した。筆者はその主人と擦れ違ったことに気づかなかったのに、相手はそうではなかったようだ。人の流れを掻き分けるようにして嵐山公園に着くと、まだ大勢の人がいて、しかも送り火は真っ盛りの状態であった。点火して15分程度は同じ状態で燃えるようで、得した気分になった。カメラを持って出るのを忘れたので、息子にスマホで撮影させた。渡月橋に向かいながら4枚撮らせ、それらをLINEで送ってもらって加工した。五山の中では鳥居型のみ、燈籠流しがある。渡月橋のすぐ下流の右岸から始まって100メートルほどのところで回収されるが、今日の最初の写真からわかるように、燈籠が終点でたくさん溜まっていた。それをバケツ・リレーの要領で1個ずつ引き上げている様子を見たが、全部引き上げるのは送り火が消えて30分経った頃だろう。大勢の人が流れて来る燈籠を見ていて割り込めず、人の隙間から息子に撮影させた。出来の悪い写真なので、小さく加工し、右側に人の隙間から撮った燈籠の溜まり具合の写真をつないだ。2枚目の写真は人がややまばらになった背後から鳥居型の送りを臨んだ。この鳥居の角度はTVで見た時は真正面であった。それがどこから撮影したものかと家内に何気なく話すと、家内は法輪寺と言う。だが、それはあり得ない。地図で確かめると、正面から見るにはもっと東で、広沢の池の少し南だ。そこでふと思い出したのは先日満印になった「風風の湯」のスタンプ・カードの写真だ。それは嵐山公園から見るのと違って鳥居の裾は西に傾いている。だが、手前に燈籠流しが写っていて、ひょっとすれば写真を裏返しにして印刷したかと思って調べると、そうではない。カードの写真はネットから取って来ていると以前聞いたので、調べるとすぐに同じ写真が見つかる。そしてその元ネタの写真を調べると、広沢の池の畔で撮ったものであることがわかった。となれば嵐山公園と広沢の池の中間辺りで撮影すると鳥居が真正面に見えるはずだ。今日の3枚目は燈籠流しの始点で、すでに燈籠は全部流し終わっていることがわかる。燈籠流しは1基1000円で、これで霊を弔えるのであれば安い。本当は五山の送りで燃やしてもらう護摩木がいいが、それは五山の山裾のしかるべき場所に行く必要がある。どうにか送り火も燈籠流しも見たので、渡月橋南詰めから踵を返し、家路に着いた。もう阪急嵐山駅前は人が少なくなっていて、ホットドッグなどの軽食を販売する3台の車も店じまいを始めていた。電車に乗って見にやって来る人がいるというのに、筆者や息子はTVでもいいかとずぼらなことを考える。
●送り火の鳥居_d0053294_00413253.jpg

by uuuzen | 2018-08-16 23:59 | ●新・嵐山だより
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