受け取った招待はがきにいつ応えようかと悩みつつ、中元の品を高島屋から送り、また久しぶりに母の家に行くことにして、昨日の31日に重い腰を上げた。
招待はがきは京都文化博物館で開催中の新工芸展だ。昔5,6年の短い間だが、筆者はその会に染色の屏風作品を出品していた。友禅染は他の出品者がおらず、孤立した形の筆者は出品し続けても認められるはずもないことを悟った。だが、その数年の間に何人かの知り合いが出来た。そうした人とは今でも会えば話が弾むが、招待券を送ってくれる人もある。この公募展は岡崎の京都市立美術館で開催されるのが普通であったが、現在同館は改装中で、他の公募展もみな場所を変えている。京都市美術館には別館があり、そこが主に使われているはずだが、多くの公募展をこなすにはその館だけでは足りず、それで京都文化博物館も使われるのだろう。京都市美術館の本館は天井がとても高く、作品の見栄えがいいのに対し、文化博物館は背の高い人は頭が天井にくっつくかと思うほどに低い。それに経ってからもう30年近く、壁面などがかなり古びている。ただし、三条河原町や四条高倉から近く、岡崎よりも交通の便がはるかによい。猛暑であるから、岡崎ならば行かなかった。またそれだけが理由ではない。筆者が出品していた頃と作品はほとんど同じで、数十年後も変化していないだろう。正直な話、眼が止まったのはただ1点であった。だが、その1点も100年後に残っているかどうか疑わしい。それはもっともな話で、芸術の中でも超名作と呼べるものは年に数点も生まれれば儲けものだ。つまり、大多数の芸術を目指す人は無駄な努力をしているが、宝くじと同じ理屈で、製作しないことには名作は生まれない。展示を30分も要せずに見終えて、錦市場を通って高島屋に向かった。錦は相変わらず外国人観光客だらけで、またたいていの店はそうした人のための商品を店先に用意している。寺町通りまでもう少しというところで、人の膝丈ほどのショー・ウィンドウの中に若冲の有名な虎図の人形が置いてあった。黙ってそれを撮影するのは気が引けたので、こっそりカメラを取り出し、店の人が客に応対している間にさっと撮った。人形はなかなかそっくりに出来ていて、背後の紙製の屏風に若冲の絵と同じように枯れ木が描かれている。量産の商品であるかどうかは知らないが、たぶんそうだろう。またこの虎の絵は西賀茂の寺が所有する元ネタとしての李朝画があって、若冲画として有名ではあるが、若冲はその原画をパクったのであって、さらにこうして誰かが立体として製作しても誰も文句は言わない。錦市場は若冲生誕300年を機に若冲画を描いた垂れ幕を常時ぶら下げるようになったが、若冲ブームも一段落した今ではこの虎の人形を見て喜ぶ人は少ないだろう。そのためでもないが、筆者が写真を撮って紹介しておく。