広いところを動き回る時は必ず道に迷うこともあって、記憶が薄れないうちにたどった道を地図上に記しておきたい。これまでの投稿で何度もそうして来た。
3日前の22日に嵐山から伏見まで自転車で往復した。初めての道が多く、地図上で正確に記すことに難儀した。どうしても思い出せない道のりがあって、家内に訊くと、筆者が覚えていないことを言う。そのことでどの道を走ったかがわかったが、同じように走りながら見ているものが違う。一昨日書いたように、道に迷うと時間を無駄にするが、そう思わなければよく、珍しいこと出会えたと思えばよい。自転車道路は舗装され、車が走らず、信号もないので快適に走ることは出来るが、河川沿いであるため、商業施設の前を通ることはなく、少々退屈する。そのため、目的地まで最短距離のようでいてそう感じない。それに23日に投稿した地図からわかるように、嵐山から伏見までは、桂川沿いの自転車道路ばかり走ることが最短ではないことがわかる。それはさておき、その地図について少し書いておく。最初に幅500ピクセルの縦長画像を最初に投稿したところ、自動的に縦が500ピクセルに縮小された画像が表示された。今度は幅3を60に縮めたが、やはり縦500になった。今までにないこの経験に少々焦った。たとえば
7月13日に投稿した琵琶湖大橋を歩いた時の画像は、11枚を縦につなぎ、横幅を360ピクセルにしたが、2.84MBもあるのにそのまま表示された。22日の地図は幅が500ピクセルであっても2.78MBであるから、表示されないはずがない。早速調べると、エキサイト・ブログでは1枚の画像の大きさは500KBまでという制限がある。だが、その大きさに自動的に縮小されるのではなく、縦か横が500ピクセルになる。筆者が普段投稿している画像は500×360ピクセルで、その500ピクセルは規定内の最大であり、画像の大きさが500KBを越えていても、そのまま500×360として表示される。そこで、前述の縦長の地図をどのようにすれば少しでも大きく見える状態で載せることが出来るかと考えた。縦横のサイズを比例計算し、500KBぎりぎりに収まる寸法を割り出し、最初は502KBとしたが、これでは縦500ピクセルに縮小されるはずで、横を1ピクセル減らした結果498KBになったので、その画像を投稿した。これは縦812ピクセルで、自動縮小された縦500よりかは文字がはるかによく見える。22日の幅500で表示させたかった縦長の地図は、上下に二分割して載せればそのままで表示されたかもしれないが、せっかく赤と青で記した道筋が分断されるのは好まない。それはさておき、地図の加工に5時間ほどかかったことを、家内はどれほど粘着質なのかと何度か揶揄した。それほど時間を費やしたのは、迷った道筋を明らかにし、失敗もを意味あるものとしたい思いによる。
22日の往路で予想外の眺めが広がったのは、千本通りに入ってそれを南下したことだ。千本通りは京市内で最も長い、名前のある古い道ではないだろうか。北端は千本北大路で、そこにかつて子どもの頃の母が住んでいたことがある。また千本通りの南端は淀で、そこには長らく母の姉が暮らしていたが、市電が走る千本通りは四条大宮から北に限られていたので、九条通りから南に千本通りがあることを知ってはいても、歩いたことも自転車で走ったこともほとんどなかった。それが22日は道に迷ったことで2キロほど走ることになった。いかにも昭和を感じさせる古い家がいくつも並び、その鄙びた感じがとてもよかった。そのような古い街道の趣は嵐山にはない。河川沿いの自転車道路では味わえない観光気分を感じながら、赤い幟旗がたくさん並ぶ鳥羽地蔵という寺の前を走った時はさらに意外な気がした。そのような古い寺があるとは予想していなかったからだが、カメラマンなど数人の観光客が門前に陣取り、また息子の家に持って行くパソコンを荷台にくくりつけた状態では、自転車を停めて境内に入ることは憚られた。だが、次回にしようと思っても、今度こそ桂川沿いの自転車道路を走って久我橋まで行くことになるはずで、千本通りを走るという寄り道はしないだろう。今日の本題に入ると、千本通りに入って500メートルほど進むと、以前に何度か目撃して撮影した十字型の信号機を見つけ、すぐに自転車から降りた。そして市バスが通り過ぎた直後、車の往来がないことを確認しながら、交差点の中央に立って見上げて撮影した。今日の地図画像の右上に桃色の円で囲む内部の黄緑色の丸がその信号のある位置だ。グーグル・マップではこの信号は記されておらず、設置されて間もないか、あるいはこの十字型信号は記されないとも考えられる。そのため、グーグル・マップ上の信号機マークを片っ端からクリックして信号の画像を確認しても、同様の信号機の位置は確認出来ない。一昨日のネット記事で、この十字型の信号をUFO型と呼ぶことを知ったが、近年は増加しているそうだ。十字はキリストの象徴であるから、筆者はそう呼ぶが、キリスト教の信者からは批判されるか。京都市内では周辺部に多いようだが、前回見かけたのは今日の最初の写真で
5月22日の撮影だ。洛西ニュータウンの南から向日市に向かう途中にあった。その日、筆者は中学生の時に遠足で訪れた大原野に家内と自転車で出かけた。やはり道に迷い、家内はさんざんな目に遭ったと言った。それからちょうど3か月後、今度は同じ南方でも伏見に出かけてさらに苦痛を味わうことになった。筆者は
前回の投稿から8か月ぶりに十字型信号機について投稿出来ることを喜んでいるが、家内にとってはそれはどうでもいいことだ。