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●『神像と獅子・狛犬』
京都国立博物館の平常展示館の2階で『京都社寺伝来の名刀』を見た後、もうひとつの特集陳列であるこの『神像と獅子・狛犬』を見るために2階全体をぐるりと回った。



●『神像と獅子・狛犬』_d0053294_037139.jpg途中で若冲の鶴や猿の水墨画を確認した後、海北友松の8幅からなる巨大な雲龍図の掛軸に度胆を抜かれてしばし立ち止まり、そして1階に下りてまたぐるりと進んでようやく展示に出会った。今年は干支回りが犬のためか、大阪の東洋陶磁美術館でも『やきものの狛犬展』が開催中だ。一昨日書いた『平山郁夫シルクロード美術館展』では、2、3世紀に作られたガンダーラの「ライオン像」の一対が出ていた。これは「獅子像」のことで、日本の獅子・狛犬と同じものと思ってよい。実際、その2点の石像は神社や寺にある獅子像とそっくりであった。日本の獅子・狛犬のルーツはインドにある。インド仏教における一対の獅子を守護獣として置く習わしは日本に仏教が伝わった時に一緒に入って来た。さて、獅子・狛犬の話に移る前に、神像について。これは2点のみであったが、重文の「大将軍神像」は見過ごしてしまった。部屋には今回の展示とは直接関係のない写真パネルが掲げてあったりで、どこからどこまでがこの企画展の作品かわからなかったからだ。その代わりと言っては何だが、筆者の地元にある松尾大社蔵の「女神坐像」はじっくりと見た。彩色や截金はまだかなり残っていて、仏像のような手指の格好をしながら、顔や衣装がいかにも女性らしく、普段はあまり見ない独特の像の印象がある。仏像はさておき、神像は珍しいからだ。松尾大社には重文指定の「男神坐像」もあるが、これはかなりいかめしい表情で、「女神坐像」と同じように、本当の人間の顔のようなリアルさがある。松尾大社はもとは秦氏の氏神で1300年前に神殿を祀った。京都の神社の中では最古のひとつだ。上記のほかにも神像が蔵して有名だが、「女神坐像」は松尾大社より少し南に行ったところにあるに月読社に伝えられたもので、平安時代12世紀の作だ。この月読神社付近は背後にすぐ山を控え、鳥居を少し西に行ったところでぶつかるバス通りとは大違いの、今でも昔のままであろうと思わせる静かな空気が満ちていて、心が落ち着く場所だ。久留美神社蔵の「鼻高面」も展示されていたようだが、これはあったのは確かだが、今回の特集のための展示品とは思わず、そそくさと通り過ぎてしまった。
 さて、手元に京都国立博の「獅子・狛犬」と題する1995年の図録がある。また筆者の知る限り、京博では2004年にも「獅子・狛犬」展を開催している。好評のため、隔年で開催していて、毎年の開催を望む声も強いという。京博が「狛犬」展を最初に開催したのは1990年のことだが、その頃から研究も進み、少しずつ人気が高まったのだろう。干支が犬であることとはどうやら関係がない。狛犬ファンが少なくないのはどういう理由か知らないが、犬や猫のペット・ブームも影響しているかもしれない。ところで、こんなことを書けばまずいかもしれないが、筆者がネット・オークションである特定の品物に入札する時、よく競合するIDにKOMAINUMANIAという人がある。あまりに特徴的なIDなのでよく記憶しているが、本当に狛犬マニアらしく、本物の狛犬を落札されてもいる。置物としては狛犬は貫祿があって、いいのがあれば筆者もほしいところだが、何年か前に東寺の骨董市で、沖縄のものらしきシーサーを見つけて買った。石製ではないが、かなり重く、彩色は白地に黒と濃い赤を使用してユーモラスな表情が気に入っている。シーサーは2個セットではなく、1個だけを屋根に置くから、獅子・狛犬とは少し様子が違うが、それでもどこかでルーツは結びつくのだろう。魔除を目的に、獰猛そうな想像上の獣をかたどり、それを目立つところに配置して近寄る者を威嚇するというのは、案外番犬を飼うのと同じで、大昔から自然と思いついたことと思う。シーサーは民芸品に含んでよいくだけた表情のものが主流で、色や形もいろいろだが、30年近く前に沖縄の民藝館を訪れた時、木造の館内を入ってすぐに、黄土色を基調とした大きくて立派なものが確か4体ほどあった。それと同じものをほしいと思ったものだが、今もなおどこへ行けば売っているのわからない。それでどうにか東寺で骨董として見つけて買って気分をひとまず落ち着かせたわけだ。
 脱線ついでに書くと、伏見人形にも獅子・狛犬がある。これは4、5年前のことだが、伏見人形を一時扱っていたことのある人の家にお邪魔して、何点か買わせてもらった。その時、その人は10年ほど前に伏見人形を今も製造する丹嘉から4万円で仕入れた獅子・狛犬を説明しながら、ほしければ同じ価格で譲ると言われた。なかなか立派りもので、丹嘉もめったに作らないものだろう。2体は同じ形の四角い台が別についていて、それに置くのだが、当然のことながら、この台も獅子・狛犬も素焼きで、そのうえに彩色を施してある。獅子と狛犬はどちらも光沢のある深緑で塗られ、幻想的とも思える雰囲気を漂よわしていた。台の高さは26センチ、獅子と狛犬はそれぞれ42、49センチで、尻尾は別作りになっていて、台のうえに獅子と狛犬を置いた後、そっと尻付近のほぞに組み込む形になっている。リアルな形の獅子と狛犬であるので、通常の伏見人形の製造方法である2枚型では作れないのだ。そのように大きくて立派なものであるので4万円は安いが、置き場所にも困るかと思い結局買わなかった。今でも所有されているかどうかわからないが、もし丹嘉が今作って販売すれば10万ほどはするだろう。丹嘉にはもうひとつ獅子・狛犬の型があって、それはやや小振りだが、前述のものとほぼ同じ形をしている。それで、丹嘉が所有するその獅子・狛犬は実際はどの寺社が所蔵する獅子・狛犬を参考にして型が作られたかだが、前述の筆者が所有する図録「獅子・狛犬」からはそれが推察出来る。このことは後述するとして、丹嘉の獅子・狛犬はともに体の向きと頭の向きはちょうど直角になっている。つまり、体躯は鑑賞者から見れば真横を見せつつ、顔だけをこちら側、つまり鑑賞者に向けているわけだ。獅子・狛犬は大抵はそんな格好をしていると思われがちだが、実はそうではない。お互いがにらめっこしているように、体の向きと同じくして見つめ合っているか、顔をやや斜めしてこちらを向いているものに限られている。その意味で伏見人形の獅子・狛犬はかなり異質な形をしているが、これは伏見人形というものが本来前面と背面を基本にした形をしていて、立体ではあるがレリーフに近い表現であることと関係がある。体の方向と斜め向きに顔を取りつけると、それは直角の場合よりもうんとリアルな3次元の造形を主張したものになるが、雌型から像の雄形を抜いて作る伏見人形は、なるべく作りやすくする必要上、大きな顔を斜めに取りつけることは避ける。そのため、伏見人形の獅子・狛犬は獰猛な顔を正面から見たように表現しつつ、体は横向きになって、全体としては不自然ではない表現をうまく獲得している。実際の獅子・狛犬を模しつつも違った表現になっているところに伏見人形の基本的構造がよく表われていて面白い。
 今回展示されている獅子・狛犬は全部木造だ。大きさはまちまちで、高山寺所蔵のもののみかなり小振りだ。インドで一対の獅子であったものが、なぜ日本で片方が狛犬になったかだが、これは法隆寺の玉虫厨子や壁画などで、互いに異なる2匹の獣が描かれるなどしていることに端を発するとされる。「狛犬」の言葉や遺品は奈良時代以前には認められず、平安時代前期になって獅子・狛犬の組合せが登場する。この頃のものとして伝わる作は、9、10世紀の2例で、ともに東寺に置かれていたものだが、狛犬は角(頭部中央に1本)があって口を閉じ、獅子は角がなくて口を開いている。向かって左側に狛犬、右に獅子が置かれて向き合うが、これは前述の伏見人形もそうなっている。今回は残念ながらこの東寺のものやあるいは平安時代の作例の出品はなかった。平安時代の獅子・狛犬はかなり形がさまざまで、図録を見ていても楽しい。今回のチラシに印刷されているのは京都の峰定寺伝来の、12世紀の鎌倉時代のものだが、まだ平安時代風を残した作風をしている。これはたてがみが体に沿って流れている様子に表われている。だが、顔の表情は鋭く、前肢に力強さがあって、鎌倉時代の様式がはっきりとわかる。滋賀県の大宝神社蔵のものは2体とも獅子で、峰定寺伝来のものに似るが、平安時代の穏やかな雰囲気は全くなく、また2体とも顔を見る者の方に斜めに向ける点も異なる。角はなく、ざっくりとした毛の束は奮い立って獰猛な印象がとても強い。今にも飛びかかって来そうだ。次に高山寺の獅子・狛犬は3セットの展示だ。いずれも13世紀のもので、少しずつ形が違っている。像の高さは30センチほどしかなく、これなら伏見人形とあまり変わらず手元に置きたい。次に八坂神社蔵のものも13世紀で、大宝神社ほどに獰猛な印象はなく、高山寺のものによく似ている。獅子・狛犬とも片足を前に踏み出し、動きがあってしかも安定しており、写実的な作風だ。これは玉眼が嵌め込まれていることからも言える。八坂神社のこの獅子・狛犬は高山寺のものとともに好まれた形で、後の日本の獅子・狛犬の規範になった。伏見人形も明らかにこれらを参考にしている。丹嘉所蔵の前述の型がいつ頃のものかわからないが、伏見人形の現存する最古のものは鎌倉時代に遡ることは到底なく、八坂神社のもの、あるいはそれを模したものをさらに模したのは確実だ。最後に和歌山県上天野の高野街道沿いにある丹生都比売神社蔵の獅子・狛犬があったが、これも13世紀のもので、高山寺や八坂神社のものによく似る。刀と同じく、鎌倉時代に獅子・狛犬も完成を見たということだ。
 高山寺蔵の「神鹿」や「馬」の展示もあった。獅子・狛犬同様、重文指定を受けている。どちらも13世紀のもので、前者は高さ70センチほど、後者は50センチほどだ。「神鹿」には全体に褐色の彩色がよく残っていて、鹿のかわいらしさがよく表現されている。どちらも坐り込んでいるが、牡は首を長く伸ばして口を半開きにする。一方、牝は耳をぴんと立てて首をまっすぐうえにし、顔を斜め方向に向ける。これらの造形は実際の鹿をよく観察したのでなければ出来ないものだ。高山寺に鹿像があるのは、かつて春日・住吉明神を祀る神殿があったからだ。明恵上人は春日明神への特別の信仰を抱いていたようで、狛犬とともに鹿や馬の像を安置した。「馬」は「神鹿」のようなリアルな動きは見られないが、堂々たる体躯で、元は白く塗られていたのであろう、あちこちにそれが残っている。95年の図録ではたてがみや尾の毛は半分ほども残っていないが、今回の展示に合わせてこれは元どおりに修復された。苧麻(からむし)を使用したはずで、これは伏見人形でも「おぼこ」の髪にも使用していたものだが、近年はごく一部でしか栽培しておらず、入手もあまりたやすくはない。彩色も復元すればいいように思うが、あちこち色が剥げている方が、素朴な味わいが増し、それがかえってありがたみにつながると感じる人が多いため、今後も許されないだろう。同じものを復元して作ることはたやすいはずだが、それをしても奉納する場所がもはやないのかもしれない。あるいは、獅子・狛犬が民間に愛好されているのと同様、こうした馬や鹿の像も素材や形を変えて街中にいくらでも見られると言ってよいから、復元するまでもないか。
by uuuzen | 2006-02-18 00:37 | ●展覧会SOON評SO ON
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