●「生産性」のない人とボランティア
べられるのは誰でも嫌だが、自分より下であると思える相手と自分を比較することで生きるエネルギーを確保している人がいる。



だいたい世間も学歴やどれだけ金を持っているかで人を推し量るからだが、女であれば美人かどうか、スタイルはどうかなどと身体的なことが重視され、かくて不格好な男でも金がたっぷりあれば美人をものにすることが出来ると信じられているし、実際そのとおりだ。金持ちになるかどうかは努力次第で多少はどうにかなるが、美人となると生まれつきなのでどうしようもない。ただし、そのような考えは今では古い。金さえ出せば、美容整形で美人になることが出来るからで、とにかく金が大事という時代になって来た。学歴も金があれば幼少時から特別の教育を受けて有名大学へまっしぐらだ。それでも点数が足りないとなれば、裏金を積めばどんな大学でも入学出来る。金が嫌いな人間はいないからだ。そういう世の中であれば、金をたくさん持っている者が優勢で、金のない超劣勢者は国家のお荷物とする考えが出て来ても当然だろう。だが、優勢ばかりが残ると、その中でまたランクづけが行なわれ、切りがないはずで、そう考えると現在の人間社会は命ある者だけが生きているのであるから、全員が優勢という理屈にもなる。昔、会社の上司と、人間が使うエネルギーがもし無限に誰でも使えるのであれば世界はどうなるかと話したことがある。戦争はエネルギーの分捕りが原因になる場合が多いから、まず戦争がなくなる。そして貧富の差も消える。人間がそのような世の中を目指しているのかどうか知らないが、そういう世の中が実現すれば人間は金のために働く必要がないから、自分の好きなことだけをする。現在でもそのように生きている人はいるが、金のことを考えなくてもいい状態を得るには、結局のところ、あまり何かをほしがらないことだ。つまり、エネルギーがただで手に入る未来社会を先取りして生きることは出来る。それはさておき、今朝目覚めた時、家内から2歳の男の子が見つかったと言われた。見つけた男性は大分に住む78歳の男性Oさんで、日本各地でボランティア活動をしていて、それが65歳から続いている。高齢者になれば貧富の差も決定的となるが、一方では体力の差も出て来る。どちらにも恵まれている人がボランティアに積極的になるかと言えば、全くそうではない。筆者が7,8年前に自治会長をしていた時、年一回の小学校の体育館で開催する「敬老の会」の最中、校庭ではゲートボールに興じている老人がたくさんいた。彼らはボランティアに関心はなく、また「敬老の会」で祝ってもらおうとも思っていない。元気にスポーツをすることはいいことだが、老人が老人のためにボランティアの会を開いている真横で自分たちの楽しみに興じる気持ちがよくわからない。「敬老の会」の準備や片づけを少しくらいは手伝ってもいいではないか。
 Oさんが思い立って迷子になった男児を見つけに行くという身軽さは、きわめて稀なことだ。その態度を、たいていの人は「金に困っておらず、暇を持て余しているからだ」と思うだろう。Oさんは「わたしは学歴もありませんし……」と語ったが、そこには頭を使わない代わりに体力を使うという謙遜が見える。学歴が高い人ほど肉体を使うボランティアはしない。そのことは筆者の自治会からもよくわかる。医者や大学教授にはそもそも誰もが遠慮して、自治会の何らかの委員を引き受けてもらうことを最初から諦めている。それに本人たちも自治会ごときのつまらない組織に時間を費やすというボランティア精神は微塵も持ち合わせていない。偉い人が動かないのは戦時中の軍隊からそうであった。真っ先に戦線に向かわされるのは若者や学歴のない者だ。Oさんのボランティア活動は、そういうお上からの無言の圧力ないし戦前の道徳教育かに発してのことに見える。宮沢賢治を思い出すのもいい。あるいは筆者は上田秋成の小説に出て来るような人物を思った。それほどに昔も今も珍しい存在だ。そうそう、富士正晴が子どもの頃、線路で遊んでいると向日から列車がやって来て立ちすくんだ。それを肉体労働者風の恰幅のよい男性がさっとやって来て脇に富士を抱え、線路の外に出した。その後、何も言わずのその男性は去ったが、その経験は富士には生涯忘れ得ないものになった。また富士が京大生になった頃、下駄の鼻緒が切れて困っていると、歩いていた女性が近寄って来て懐から布を取り出し、それを割いて鼻緒を作って修繕してくれたという。困っている人を見かけると助けるのはあたりまえという時代であったのかと言えば、むしろそうではなかったので富士もそういう経験をよく覚えているのかもしれない。以前書いたように、筆者はJR向日駅近くで80歳に近い女性が倒れ込んでいることに遭遇した。スーパーのからの帰り、自転車が倒れ、その下敷きになって買ったものが散乱していた。そういう光景を目の前にすると誰でも手を差し伸べる。ところがその老女は大きく咆えて筆者を近寄らせなかった。すぐ後に自転車に乗った30歳くらいの女性が近寄って助けようとしたが、その時も同じように咆哮し、女性はすぐに自転車に乗って去って行った。手助けを拒否することは勝手で、たぶんその老女はしばらく路上で自転車の下敷きになって寝転がっていたかったのだろう。だが、通行人の邪魔になることも考えてもらいたい。
 Oさんは日本を徒歩で縦断した時は警官に何度も職務質問されたとのことだ。そのことから「風風の湯」で出会う82歳のMさんの話を思い出す。Mさんはコンビニやスーパーに行くと、店員から万引き老人を見るような目つきをされると言った。世間あるいは若者が80代の老人を見る目つきはそういうものだろう。だが、いかにも金持ちそうな身なりをしていれば話は別だ。それで、老人は金にしがみつき、権威もほしがる。金も権威も必要ないと考えている老人は怖いものなしであるから、始末に悪い存在と見られる。人間としてあまりに優し過ぎた無私のキリストは、結局殺された。Oさんがもし2歳児を発見出来なかった場合、現地でどういう言葉を警官や地元の消防団から浴びせられたことであろう。表向きはていねいであっても、そこにはおそらく明らかに嘲笑、侮蔑が混じっていたろう。『ああ、爺さん、ボランティアをやってくれるのはいいけど、とにかく邪魔で困るんだよ。』といった具合にだ。話は変わるが、キリスト教は足の萎えた人や乞食などの世間から蔑まれる人たちを排除しなかった。映画『ベンハー』を筆者は小学生の5年か6年の時に見たが、そこでは主人公の母はらい病になり、他の同じ病の人たちとともに谷に住まわされていた。主人公のベンハーはゴルゴダの丘に向かうキリストに水を差し出すが、キリストが磔刑にされると、雷鳴が轟いてベンハーの母は病が治る。そんな非現実的なことはあり得ないと一蹴する人があるが、聖書と同じく映画は脚色されたものだ。ともかく、ローマ時代やキリストに関する筆者の原点は『ベンハー』にあるが、その後どちらにもさして関心を抱かずに高齢者になってしまった。ベンハーを演じた俳優は全米ライフル協会の会長を長年務め、6,70年代の映画で演じた人物とは正反対の人格であったことが露わになったようで、筆者は大いに幻滅したが、金持ちで有名になれば勘違いするのが人間ということだ。古代の末期や中世ではとえば足の萎えた人や病人、乞食たちは、「生産性」の点ではゼロであったが、キリスト教はむしろ金持ちほど天国に行くことは困難だと言っている。一方、現在の日本では「生産性」のない人を殺してもよいと考える凄惨な若者がいて、実際に殺す。また国会議員も似た発言をするが、つまりは古代や中世以下の世の中だ。映画『フリークス』は、身障者をサーカスの見世物に使い、やがてその悪徳の経営者がサーカス団員たちによって襲撃されるという筋立てで、両手両足のない黒人男性が口に刃物をくわえて芋虫のように前進して行く場面がある。それはともかく、Oさんは今年一番の「よきニュース」の人物となるだろうが、それは老人というものは身勝手で、ボランティアに無関心と思われているからだ。そういう老人が多くては、若者もいずれそうなって当然だ。
[PR]
by uuuzen | 2018-08-15 23:59 | ●新・嵐山だより


●『海を渡ったニッポンの家具―... >> << ●送り火の鳥居
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
技術だけで有名になれない..
by uuuzen at 17:38
彼ら(ビートルズ)に関し..
by インカの道 at 17:20
本質とは生前のザッパが出..
by uuuzen at 16:04
本質とは?どう言う事です..
by インカの道 at 15:26
7枚組はまだあまり聴いて..
by uuuzen at 10:18
間違いと言えば、オフィシ..
by インカの道 at 22:29
関西在住のザッパ・ファン..
by uuuzen at 13:02
大山様 ご無沙汰してお..
by はたなか at 00:35
間違った理由がわかりまし..
by uuuzen at 11:27
やっぱり"Penguin..
by インカの道 at 22:38
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venusha..
ファン
         ブログトップ
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  © Copyright 2018 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.