森林が爪でえぐられたように地肌が見えている映像がTVで何度も流される。岡山や広島のこのたびの豪雨の被害は、山が風化した花崗岩の真砂土で出来ていることも大きな原因と聞く。
崩れやすいのだ。六甲山も同じ土が堆積していて、今回は灘区の山手でやはり土石流が生じた。先日の神社の投稿に書いたように、京都の北白川は石の産地で、白川の名はその花崗岩が風化して川底を白くしていたことによる。京都の禅寺の枯山水のあの白い砂はその砂を利用したものだ。昔から日本は自然災害の多い国で、川の氾濫は珍しいことではない。京都の梅津では桂川が氾濫して床上浸水したことがあると古老から聞く。現在そのような被害があれば全国のトップ・ニュースとなるが、それほどに日本は堤防を高くするとか、ダムを造るなどして、洪水の被害が生じないようにして来た。その恩恵を受けているので、川が氾濫するとは、ほとんどの人は普段は考えず、また大雨が数日続いてもさほど深刻に思わない。それは仕方のないことで、雨のたびに川が溢れるかもしれないと思って暮らしていた昔の人よりもはるかに幸福になったわけだ。それほどに日本の治水工事は成果を挙げて来たし、その恩恵に浴している。ただし、土木工事の結果には犠牲もつきまとう。中国では長江に三峡ダムが出来て、流域の古代から続く町がいくつも川底に沈むなど、住民の生活が一変した。またどの住民もダムの恩恵を蒙ったかと言えば、そうでない少数民族もある。以前に書いたことがあるが、筆者は学生時代に福井の大野市に出来ることになっていた真名川ダムの工事事務所に3,4週間研修に行き、ダムが出来た際のダム湖上流の真名川の水位を計算する作業に従事した。工事事務所の所長とは訪れた時に挨拶をしただけだが、筆者はその後設計会社に勤務するようになり、それから3年ほど経った頃、会社の図書室にあった土木工事の業界誌にその所長の寄稿文をたまたま見かけた。記事の内容は覚えていないが、所長の顔写真と文章の初めか最後に書いてあったことは記憶にある。所長の顔は凛々しい痩せた武士といった感じで、江戸時代なら禅僧にそういう表情の人は多かったと想像するが、今はほとんど見かけない。政治家にはゼロで、たまに医者には見かける。その所長はダムが出来たことで古くからの村が水没したことを憂いていた。その水没する予定の無人の古い村に筆者は工事事務所の数人の人と一緒に数回訪れ、測量をした。それをそそくさと済ませると、後は工事事務所の釣り好きの人が大野川で釣った鮎を食べさせてもらった。雑草の太い茎で10分ほどの間に7,8匹釣れた。それほど自然豊かな村であり、また川であったが、もちろん今はダム湖になっている。
真名川ダム工事事務所での研修が終わった後、九頭龍川ダムに行き、そこで電力会社か河川事務所の職員か忘れたが、坊主頭のとても愛想のよい30代半ばの男性に応対してもらった。早速モーター・ボートに乗せてもらい、ダム湖を観光気分で案内してもらったり、またダム内部の施設や電気を送るトンネル内部を見学させてもらったりしたが、いろいろと覚えていることの中で一番記憶にあるのは、「ダム湖は溜めている水が財産で、コップ一杯の水でも無駄にせず、それをダム湖に入れる」ということだ。冗談かと思ったが、そうではない。それほどに水は電力を起こすことに必要で、ダム湖の水位が下がることを何よりも恐れていると聞いた。20年ほど前に出来た中国の三峡ダムは、中国が必要とする4分の1であったか3分の1であったか忘れたが、途轍もない規模の電力を賄っている。国の発展にはダムは欠かせない。そのことを日本は高度成長期に徹底的に行なって来た。そして最近は古いダムを壊し始めている。壊した後に新たに造るかと言えばそうではない。ダム湖が土砂で容積が小さくなり、また発電したり、灌漑用水として使ったりする必要がなくなったので、元の自然に戻すのだ。すると鮎がすぐにまた戻って来る。自然に抵抗して人間は土木工事をするが、長年の間に条件がいろいろ変わり、当初は役立っていたものがそうではなくなることがある。特にダムはそうだろう。堤防もそうで、どのような豪雨にも大丈夫な高さにすればいいようなものだが、自然は人間の予想を上回る。淀川が決壊すると甚大な被害が出るので、TVによく出演する京大のタレント教授は1000年や2000年に一度の大雨でも大丈夫なくらいの堤防にすべきと発言していた。その工事をするのにたぶん何百兆円もかかるが、それで万全かと言えば3000年に一度の豪雨で決壊する。またそうなれば大阪は壊滅する。大きな堤防やダムを造れば安全はより保障されるが、その反面、それで防ぎようのない豪雨ではかえって大きな被害が出る。そう考えると、1000年に一度の雨でも大丈夫なような堤防を造ることは不合理だ。梅津はよく浸水したかもしれないが、人が死ぬほどではなかった。だが、現在の桂川の堤防が決壊すると、多くに死者が出るだろう。堤防が高いために、溢れ出る水量が昔とは比較にならないほど多いからだ。それに家が何十倍も多くなった。またそのように家が多くなったことで堤防が高くなった。これは河川事務所が、氾濫して浸水被害が出た時の損害を計算して堤防の高さを決めているからで、田畑が目立つ地域では堤防は低い。限られた税金をどこにどう配分するかとなれば、被害が大きくなる地域により投ずるしかない。今回の豪雨では桂川は松尾よりもっと下流で氾濫する恐れがあると報じられた。流域の重要度から言えばそれは仕方のない話だろう。
今日は昨日に続いて、早速回覧板で回って来た今回の豪雨に関して淀川河川事務所が作成した文書を紹介する。最初の画像では浸水した地域が色塗られている。渡月橋の上流の両岸が冠水したことがわかるが、赤紫色が最もひどい箇所だ。特に左岸つまり北側は料理旅館や建設中の美術館などが並び、5年前の台風18号の後の会合ではそこの道路をかさ上げし、堤防にパラペットを設置するなどの案が河川事務所から出されたが、結局地元の反対でそれは見送られている。景観がまずくなるからだ。嵐山の見栄えが悪化すれば商売に響くという考えで、そう言われると河川事務所でもどうしようもないが、左岸側の住民の意見が一致しているわけではない。嵐山で飯を食っている人たちだけが住んでいるのではないからだ。5年前の洪水で筆者は日吉ダムが亀岡にあることを初めて知った。またそれが放流して水位が上昇したことも聞いた。今回も日吉ダムは毎秒1000トン近くを放流したが、幸い7日は雨があまり降らず、5年前の被害の再現にはならなかった。渡月橋右岸のライヴ・カメラ映像を見ながら、筆者が思ったのは、日吉ダムの放流による水位の上昇だ。同じ雨でもダムがない場合とある場合とでは、またダムがあってもその放流の量やそのタイミングによって、下流の水位はどう変わるか。これは難しい問題だ。ダムの放流も雨が降るのもライヴであるからだ。刻々と変化する雨量の中、放流量をどうするかは、車が一台した通れない夜の崖道を走って行くようなものだ。一歩間違えば大事故になる。ダムはコップ一杯の水でさえ貯めておきたい。そのため、天気予報で空前の豪雨になることがわかっていても、また実際に豪雨が降っても、最初の間は放流を控える。そして雨が降り続き、ダムが満杯になりそうだという瀬戸際になった時、満杯を維持しながらダム湖に入って来る分を流し、水量調整というダムの機能を放棄する。だが、その前に流れている水に加えての放流であるから、下流に被害が出る。つまり、ダムがあっても水害は防ぐことが出来ない。むしろぎりぎりまで貯め込んだことによる弊害が生じる可能性がある。普段はダムがあることでいろいろと助かっているが、そのダムが想定しない規模の豪雨があれば、ダムは大きな凶器になりかねない。堤防にも同じことが言える。つまり、土木工事は人間に絶対的な幸福を常にもたらすとは限らない。自然はいつも人間の予想を上回る。今回の豪雨は、最初の雨の頃にダムを空っぽにしていれば下流の被害がもっと軽度になっていたかもしれないと思わせるが、先に書いたようにダムはコップ一杯の水でも放流したがらないという本質を抱えている。そしてそのことによる人間の判断ミスが生じかねない。ダムの下流の川沿いに住む人はもっとダムについて知っておくべきだが、いいことづくめと普段は安心し、そのことで存在も忘れている。