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●神社の造形―大原野神社、その2
を懸命に上れば下りは楽だ。これを人生にたとえると若い頃の苦労は買ってでもせよということになるのだろう。だが今は、若い頃にさんざん苦労しても高齢になってそれが報われるとは限らないという人が多いような気がする。



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それは経済的なことのみを思っているからではないか。これは何年も前に書いたことがあるが、筆者の妹はが高校生の時、学友が父親の行為に感心していることを話した。学友の父が夜にひとりで机に向かって本を読んで勉強していたからだ。だが、学ぶことが趣味の大人はいくらでもいる。机に向かうことや読書がせいぜい20代前半までの人間が嫌がりながらやることと思っているとすれば、それは家庭と学校における教育の失敗だろう。学ぶことは無限にあり、また学ぶことを楽しいと思うのが人間であると思うが、そう思わない人にもそれなりの人生があり、人間はそれぞれ違う人生を歩む。そして苦労して金持ちになっても、そういう人が本を皆目読まないためにまともな話が出来ない場合はよくある。つまり筆者は大いに退屈するが、そういう人と議論すればもっと退屈で、それで先の父親のようにひとりで好きな読書し、思いを巡らせる。それはさておき、大原野道を西に進んで大原野神社に至るには上り坂で、自転車で訪れると苦労した気分が増すが、その分思い出が深くなる。出来れば歩いて行くのが一番で、その意気で善峰寺にわが家からハイキングとなるととても大変で、東向日駅まで電車で行ってそこから歩くか、大原野神社に自転車を停めて歩くのがいいだろう。後者であれば大原野神社を再訪出来る。その必要を多少感じているのは、風風の湯で嵯峨のOさんに大原野神社に行って来たことを話すと、白い神馬を見たかと言われたからだ。たぶん木像だが、気づかなかった。ところがネットに出て来ない。Oさんは鹿の像のことを言ったのかもしれないが、参道の途中に神馬の建物があると話していた。参道の途中には鯉沢の池の近くに鄙びた茶店があって、みたらし団子の幟旗が目に入った。スーパーで100円でみたらし団子が3串買えることが頭をよぎったこともあってその店には入らなかったが、それは風流を解せず、無粋なことだ。そう言えばOさんは和菓子好きで、先日は風風の湯のサウナ室で他の同じ嵯峨に住む常連客と和菓子談義になり、嵯峨ではどこが一番おいしい店かと話していた。昔ながらの製法で毎日ごく少量だけ作り、午前中に全部売り切れてしまうとのことで、贔屓客がたくさんいるようだ。確かに嵯峨には古い和菓子店がいくつかあるが、天龍寺から嵯峨嵐山駅に至る間にまでにあった大きな店は、最近建物はそのままでアクセサリー店となった。その代わりにそこから200メートルほど離れた場所に新たな和菓子店が出来た。老舗でもそのたたずまいは長年保たれないが、大原野神社はその点は貫禄が桁違いにある。
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 今日の最初の写真は鯉沢の池に架かる橋をわたって突き当たりにある祠で、これがどういう神を祀るのかはわからない。祠の背後に睡蓮の葉が繁茂している。その点を除けば神泉苑に似た祠があったので、同じような神を祀るかもしれない。2枚目の写真はその祠の前から東を向いて撮った。池の向こうにある若宮社で、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀る。知恵を授ける神で天神さんと同じと思えばよいか。社の前まで行って撮影すべきが、それでは横長の社全体が写らない。中3の遠足ではこの社の前まで行ったかどうか。そもそもハイキングの終点としてこの神社に着いた後、境内をくまなく歩き回るほどの自由時間があっただろうか。生徒とは「徒らに生きる」で、さして何も考えずに生活し、また学生は「生むことを学ぶ」で、男女ともにセックスのことしか頭にない日々だ。それでは集団で神社に行っても祀られる神様について思う者は皆無だろう。3枚目は参道の突き当たりにある朱塗りの鳥居とその奥の石段上の本殿だ。鳥居をくぐって本殿のみを撮影しなかったのは、2枚目と同じように全体が1枚の写真に収まりそうになかったからだ。それに薄暗い参道から日の当たる本殿を臨むのはとても神々しく、鳥居をくぐって本殿のみを真正面から撮ることが何となく不敬に思えた。わかりにくいと思うが、写真の右端に大きな立て看板がある。そこに白無垢姿の花嫁を撮ったポスターが貼ってあった。この神社での結婚式を宣伝するもので、おそらく近郊の人はほとんど利用するのではないか。またそうした神前結婚式でも挙げない限り、本殿のすぐ際には入れないから、人生の重要な区切りを神聖な気分で記憶したい人にはとてもよい趣のある神社だ。それは人工的なものを感じさせないからで、鳥居をくぐるととても現代とは思えない。桓武天皇が長岡京に遷都した784年に奈良の春日社を歓請し、社殿は850年に造営されたというが、200年前の大改修は千年前と同じ形と大きさが守られたはずで、つまりは1200年前と同じ空間が保たれている。周囲に高い建物はなく、繁華な町もないので、京都では珍しい俗気を感じさせない神社だ。中3の担任の先生はその様子が好きで、それで遠足で生徒を連れて行こうと思ったのだろう。京都東山は大人になれば何度でもいく機会があるだろうが、西山の辺鄙な大原野神社はよほどの神社好きでない限り、わざわざ訪れない。筆者はわが家から自転車で行けることと、中3の遠足写真の謎を解くために訪れたが、そうでなければ出かけたかどうかわからない。新緑の頃もいいが、秋の紅葉時は朱塗りの鳥居や社殿がまた鮮烈に目に染みるのではないか。4か月後にはそういう季節になる。
●神社の造形―大原野神社、その2_d0053294_01441340.jpg

by uuuzen | 2018-07-02 23:59 | ●神社の造形
●遠足で訪れた場所に52年ぶり... >> << ●神社の造形―大原野神社、その3

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