技術というものは何にでもある。一昨日は「風風の湯」のサウナ室で嵯峨から来ている常連客の話を耳に挟んだ。その人の名前は知らないが、以前に少し触れたことがある。

筆者より1歳下で、自転車が趣味だ。70万円の自転車で淡路島を1日で一周するなど、暇があれば各地を自転車で巡っている。その人が言うには、自転車道路を走っている時、向こうからやって来る自転車にぶつからないように運転に気をつけるのは当然として、ぶつかりそうになった時の交わし方で運転の技術がわかると言う。70万円の自転車では競輪選手並みの速度で走るのだろうが、それならほんの一瞬の不注意でぶつかる。筆者はこれまで自転車を何度も乗り換えて来たが、どれも婦人用でしかもサドルを低くし、めったに全力で走らない。それに狭い裏道を好むので、車や人にほとんど出会わない。そのため、自転車の運転技術はさっぱりで、また方向音痴であるので必要以上に走る距離が長くなることが多い。さて、今日は昨日の続きを書くが、最初に
一昨日の投稿の最初に載せた地図の右上部分を拡大した地図を掲げる。これは筆者以外には無意味だが、どのように道に迷って走ったか、またどうすればよかったかと再確認するために筆者には必要だ。まず、地図のAは一昨日の大きな鳥居のある三宮神社の御旅所だ。ただし、本当に御旅所かどうかは確信がない。Bは
昨日の投稿の2枚目の写真を撮った場所、Cは昨日の3枚目の場所だ。本来はA、B、Cと走ってE、Fに至るべきだが、5月22日は大原野神社に行くために赤線を走り、また三宮神社の位置はわからなかった。それで地図を調べて3日前の木曜日に地図中の桃色の線を走った。A、B、Cと走ったのは予定どおりだが、信号を南にわたって最初の四つ辻の黒丸印で東に進んだ。記憶していた地図では方角は間違っていないはずだが、神社はない。物集女街道まで出てまた西の上り坂を走ると、ふたたびCに着いた。そして黒丸印で自転車に乗った高齢の女性を見かけ、道を訊ねると、信号の北を二筋ほど行ったところと思うと言われた。それは違うと思いつつも、先ほど森のような樹木の集まりを北方面に見ていたので、Bに至る途中の横道に入って坂を下がり、東へと進むと、背の高い木の集まりは寺であることがわかった。途中でまた自転車に乗った女性に訊いて、ようやく今日の最初の地図の右下の桃色線に着いたが、黒丸印から黄色の線を走ると100メートルで三宮神社に着く。22日はその20倍の距離を無駄に走ったが、道に迷わねば知らなかった樫原の住宅地を知り、それはそれで面白かった。心配したのは病院で待つ家内のところに戻るまでの時間が80分で、その間に向日市を往復しなければならない。80分は筆者が道に迷わずに走って要する時間で、迷った分を取り戻さねばならず、いつもより速度を上げ、結局ぴったり午後1時半に病院に戻った。それは筆者なりの技術だろう。

今日の2枚目の写真は最初の地図のDだ。で、先月22日の撮影だ。これはヤフーの地図には名前が出ていないが、グーグル・マップには「福水大明神」とある。歩道際の細い坂道を上った突き当たりに祠があって、筆者はその前まで行かなかった。大原野神社へと家内が急かしたからだ。地図を見るとこの神社は大きな百々ヶ池の畔にある。古代からその池があり、小さな祠も建てられていたのだろう。同じ名前の神社は他の県にもあるが、名前からして水に因むとしても、どういう由緒があるかわからない。三宮神社も創建が不明で、樫原はそれほど古い歴史がある。三宮神社の近くに樫原廃寺跡があり、この名前を筆者は京都に住み始めた頃から知っているが、訪れたことはなく、22日は三宮神社に行くついでに見ようと思いつつ、道にさんざん迷ってとどり着けなかった。改めて地図を見ると、三宮神社の真正面の道を50メートル南下したところにある。以前にグーグルのストリート・ヴューで確認していたが、広い原っぱ同然のほとんど何もない場所のようで、これなら自転車で走っていてもすぐに見つかると思っていたのに、見知らぬ場所は道1本違うことでどのような眺めが広がっているかはわかりようがない。飛鳥時代に寺があったので国指定の史跡とされているが、廃寺の跡では見るべきものはないだろう。ベンチがあって公園のように利用されているようで、地元では広域避難場所代わりになっているのではないかと想像する。樫原の地名は樫の木がたくさんあったことによるが、国道9号線や今日の地図のCとDを結ぶ大きな車道が出来た現在、自然らしさは神社の境内を除いてほとんどなくなっている。さて、3枚目の写真は大原野神社から200メートル東にある樫本神社で、大原野街道を走っていて見つけた。大原野神社に東から向かう時は必ずこの神社の前を通る。
先週木曜日に投稿した「遠足で訪れた場所に52年ぶりに行く、その4」の最後に載せた地図ではこの神社の前を通っていないことがわかるので、筆者は初めて見たことになる。この神社も「樫」がつくので、大原野にも樫の木が多かったのだろう。現在も社の背後に背の高い木がちょっとした森のようになっている。ネットによればこの神社は大原野神社の境外摂屋社とある。やはり創建は不明だが、仁徳天皇を祀る。門や鳥居、その奥の拝殿など、朱色が眩しいほどに鮮やかでまた神社名を記す石碑も新しいようだ。門の両側にブロック塀、鳥居の左手に民家が接し、個人の神社のような感じで、中まで入って行くことが何となくはばかられた。写真の左下に見える黒い筒はゴミ箱で、これはもっと別の場所に置けばいいと思うが、大原野神社を参拝したついでに訪れる人が多いのだろうか。