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●神社の造形―三ノ宮神社、その2
教の違いでいがみ合うことは多いが、宗派でも同じような対立はある。その点、神社はどうか。神社間に諍いがあったのか、またあるのか、そのことをまだ調べていないが、寺と同じく単立があって、それは神社本庁とは無関係だろう。



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神社に祀られる神が違えば神社間で闘争があるかと言えば、日本の八百万の神が喧嘩するほど仲が悪いことは聞いたことがない。それは多民族共生を思わせ、日本は今後多くの移民を受け入れても、数百年の間にすっかり同化するだろう。神社が排他的でなければそうであるはずだが、移民が神社の神に関心を持つかと言えば、それは日本人が率先しなければならない問題だ。だが、今は仏教もそうだが、神道に魅せられる人は減少の一途ではないか。筆者がそう思うだけかもしれないが、宗教アレルギーのようなものが根強くあり、普段の生活では無宗教でも何ら困らないと言える。あるいは違和感なしに寺や神社が生活に溶け込んでいて、お経や祝詞の深い意味を知らずとも、拝むことは知っている。その空気のような存在であることがいいが、歴史の短い新興宗教に対してもそう思う人は当然いて、日本でも宗教の違いからいがみ合いがないとは言えない。そう言えば、わが自治会に宗教の違いから地蔵盆の行事に参加出来ないと言う人がある。信仰する宗教では神社を否定しているのかどうか、ともかく自分が信ずる宗教以外の祈りの場を拒否していて、さまざまな宗教の共生は表向きは保たれていても、一皮剥けば謗り合っている現実を想像する。ところで、神社は寺よりも歴史があるかと言えば、仏教が外国からもたらされたので神社の方が歴史が古いことになりそうだが、神社にはけっこう新しいものがあって、日本という国がある限り、今後も誰かが新たに神に祭り上げられて神社が造られる可能性がある。となれば新興宗教として新たに神社を自分で造り得るが、そういう神社は実際にある。そういう神社は神社本庁とは無関係であるから、価値がないと思われがちだが、有名な大きな神社で単立はあるから、歴史の長さで神社の価値は決まらない。それを言い始めると神社本庁も戦後に出来た新しい組織だ。さて、樫原の三宮神社の御旅所の鳥居前で自転車を停めた背後に付近の歴史を記した金属製の看板があった。それが今日の最初の写真だが、これは「説明看板」や「由緒看板」と呼ぶのか長年気になっていたが、「立て札」や「駒札」と呼ぶのが正しいようだ。それはともかく、そこに書かれていたことはとても興味深かった。この御旅所のある付近は山陰街道沿いの京都の西端の宿場町で、昨日書いたが、バスが走り、筆者もその後に自転車で走った東へ続く古い道は、江戸時代にとても賑わった。それが、明治半ばに地元の有力者が現在の国道9号線となる新たな道を切り開いたためにさびれてしまった。
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 千代原口から西の国道9号線は、大きな車がたくさん走り、殺気立っている雰囲気があって筆者は好きではない。その幅の広い国道が出来る以前の道はどのようであったかは、明治後半期の陸軍が作った地図を見ればわかるが、まだ調べていない。2年前の投稿に書いたが、京都市芸大の図書館で調べものをした後、近くの柿販売店に立ち寄った。そしてある店では高齢の女性に国道9号線が出来る以前はどのような様子であったかを質問した。要領を得ない答えであったが、その人が生まれた頃にはすでに道があり、それが戦後に拡幅された。効率を優先した国道9号線は旧山陰街道を横切っている。その交差する箇所のすぐ近くにこの御旅所がある。明治半ば以前のこの付近の様子を想像すると、どうしても国道9号線が邪魔をし、それがどのように盛り土され、また土地を削るなどして造成されたかがわからない。それは明治後半の地図を見てもよくわからないだろう。それほどに江戸時代のよき情緒は国道9号線によって台無しになった。それがどうにか残っているのは御旅所から東のわずかな旧街道で、そこを5月22日、そして一昨日にも走って、初めて樫原の宿場町を実感出来た。さて、今日の最初の写真と3枚目は先月22日、2枚目は一昨日に撮ったが、2枚目の写真の中央に見える「三宮神社」の大きな石碑は初めて見た。3枚目の道路の両側にある一対の石燈籠は、参道がそこから始まるという意味だが、これを5月に見かけた時、筆者は「三宮神社」がつい先ほど道に迷った御旅所かと思いつつ、それとは別に本殿のある神社があるのだろうかと首をひねった。大原野神社に向かうはずなのに、しばしこの燈籠の前に停まったので、家内は訝ったが、気がかりは晴らしたい。それはそうと、先月は御旅所から東に走ったこともあって、3枚目の写真の石燈籠が御旅所とどういう位置関係にあるのかさっぱりわからなかったが、地図で確認するととても近い。そして一昨日は御旅所から三ノ宮神社に向かうために、東ではなく、南西に続く上り坂の道を行った。するとすぐに2枚目の写真の場所に出た。写真の左手を進むと3枚目の石燈籠が見えて来たが、そこから200メートルほどのところに三ノ宮神社があるはずなのに、地図を持参しなかったのでまた道に迷った。先月と同様、物集女街道に出た後、ふたたび石燈籠の前にたどり着き、そして自転車でやって来る初老の女性に訊ねた。すると、神社は燈籠の間の道の先にあると言われたが、そこは御旅所だ。それでまたあちこち出鱈目に走り、今度は物集女街道から一筋西の南北を走る道路で自転車の乗る女性に訊いた。彼女は「昔行ったことがあるだけで、よく知りませんが、たぶん次の四つ辻を右手にどんどん上がって行ったところです」と言ってくれた。それほどに三ノ宮神社は地元でもあまり知られない。
●神社の造形―三ノ宮神社、その2_d0053294_00511743.jpg

by uuuzen | 2018-06-23 23:59 | ●神社の造形
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