●神社の造形―火除天満宮社
が降りる頃になると火事が多くなるが、降って来た霰で火事が消えたという言い伝えが京都にある。祇園祭りの「霰天神山」はそれに因む。



d0053294_22262078.jpg16世紀初頭の京都の大火での話で、火事が収まった時、霰とともに高さ3,4センチの天神像が屋根で見つかったそうだ。その小像はたぶん伏見人形で、誰かが遊んで屋根に放り投げたものだろう。ともかく、火事と霰と天神が結びつき、「霰天神山」は「火除天神山」とも呼ばれるようになったが、それほどに京都は火事が多く、火事は最大の災害と捉えられていた。「霰天神」で思い出すのは大阪曽根崎の「露天神」だが、その「露」は道真が大宰府に向かう時に詠んだ歌から取ったものだ。さて、先月5日、連休で帰って来ていた息子が伏見に戻るというので、その前にまた家族3人で出かけることにした。3日はさんざん大阪市内を歩いたので、今度は河原町界隈で食事しようということになった。そして食事を済ましてスーパーで買い物をして帰ろうということになり、3人で寺町四条を南下した。その時に見かけたのが今日の神社だ。四条通りから50メートルほどにある。昔はその周囲に電気店が多く、その看板に目が行って気づきにくかったが、鳥居があることは昔から知っていた。だが、しっかりと意識するのは初めてで、早速写真を撮った。高島屋の敷地の西端に通ずる道沿いにあるので、高島屋に関係する神社かと思っていたが、百貨店によくある社はたいていは屋上にある。だがそうとも限らないか。筆者が2週間に一度は自転車で訪れる向日市にある大きな工場群は、たいてい門を入ってすぐの道路際に、百貨店の屋上にあるものに比べるともっと大きな土地を確保したうえで鳥居がいくつか並んでいる。つまり、今日取り上げる神社はそうした企業が独自に敷地に建てている社と同じような規模に見えるが、石碑には「火除天満宮社」と彫ってあり、奥には点った提灯が並んで、誰でも参拝出来ることがわかる。ただし、参道は鍵型でしかも細く、足を踏み入れにくそうな雰囲気だ。それでも気になって鳥居の正面まで進み、写真を撮った。鳥居の7,8メートル奥に小さな祠があり、その左脇奥10数メートルにも見えるが、息子と家内がどんどん先を行ったようなので、そこまでは行かなかった。そこで一旦外に出て、今日の最初の写真の提灯の列の向こう側の道を東へ進んだ。3枚目の写真はその高島屋に通ずる道から撮った。南面した別の鳥居があって、塀代わりに鉄の柵がある。またそれと同じデザインの門扉も見え、そこから直接出入り出来る構造になっているが、鍵がかけられ、普段は、あるいは関係者以外は出入り出来ないようだ。鳥居の背後に大きな木造の建物が見えるが、これは春長寺でそこに出入りする門は四条通りから20メートルほど南の寺町通り沿いにある。
d0053294_22270943.jpg 「火除天満宮社」の正面は今日の3枚目の写真の撮影位置で、1,2枚目の写真はそこに至る横道だが、寺町通りに面するその横道からしか中に入れないようになっているし、また寺町通りの方が圧倒的に人通りが多い。正面側の道は東へ抜けておらず、高島屋に突き当たるが、一般人が出入り出来る口もある。ただし、ほとんどの客は四条通り沿いか河原町沿いの正面玄関を利用するから、寺町通りから出入り可能なことを知る人は京都にしばらく住んだことのある人に限るのではないか。そしてそういう人は「火除天満宮社」にも気づいているだろう。ヤフーの地図ではこの神社は記されず、グーグルの地図では「大雲院跡」となっている。背後はコンビニも入っているビルで、それを建てる時にこの神社は大いに邪魔になったはずだが、写真からはきれいに石が敷かれ、大事にされている様子が伝わる。邪魔であるからといって、経済力ではこの神社の撤去は出来ず、またそのつもりもないということだ。「火除」であるからには、変な手を加えると火事に見舞われるかもしれない。「大雲院」は16世紀の終わり頃に烏丸御池に創建されたが、すぐに秀吉が今の「火除天満宮社」の位置に移した。以降何度か焼けたが、鎮守の社の「天満宮」は焼け残ったとされ、そこから「火除天満宮社」と呼ばれるようになった。一方の「大雲院」は昭和47年に高島屋が拡張された時に祇園町南に移転となった。祇園祭りの山鉾巡行の鉾を模した建物で、「祇園閣」と呼ばれる。その前を何度か歩いたことがあるが、非公開で中には入れない。「大雲院」の移転地に「火除天満宮社」が移されなかったのは神仏分離が今は常識化しているからだろう。ともかく、鎮守の社だけが残ったので、現在のようにせせこましく建っている。先日書いたように、大阪の生國魂神社の南にも寺町通りはあって、どちらも秀吉が散らばっていた寺を集中させた。そしてどちらも今は繁華街に隣接しているが、京都では寺町四条下がるは電気店街であったのが、京都駅前にビックカメラやヨドバシが出来てからは電気店の勢力地図が大きく変化した。それは秀吉のような権力者が強制したのではなく、京都駅が新しくなったので、自然とその周辺が再開発されることになった。大型電気店が京都駅前に出来たことで、寺町四条界隈は派手な看板が消えて雰囲気がよくなったが、電気店の経営者には災難であったかもしれない。だがこれも先日書いたように、以前からあった別のスーパーの隣りにスーパーのムーギョが開店し、それに昔からある古書店やアズマ・ギャラリーは健在で、筆者は歓迎だ。また喫茶店その他の面白そうな店が出来て、外国人観光客も多く歩くようになった。
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by uuuzen | 2018-06-14 22:28 | ●神社の造形


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