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●「SO BAD」
得力のあることが書けそうもないが、今月はドイツのニナ・ハーゲンを取り上げる。ブログを始めた時から「思い出の曲、重いでっ♪」のカテゴリーは続けているが、取り上げたかそうでないかのミュージシャンがますますわからなくなって来ている。



●「SO BAD」_d0053294_02172491.jpg
気になって最近調べると、ニナ・ハーゲンはまだであった。なぜ今まで書かなかったのかとわれながら不思議だ。それはともかく、取り上げる気になったのは、2週間ほど前、YOUTUBEを見ていて自動的に曲が始まったからだ。それでCDを引っ張り出したが、LPは隣家にある。ただし、『イン・エクスタシー』の1枚のみと思う。また昔ドイツ文化センターによく通っている時に借りたCDをカセットに録音したものも持っているはずで、80年代までの作は全部聴いている。WIKIPEDIAを調べると、2006年にアルバムを出して以降は新作がない。1955年生まれであるので同作は51歳に相当する。声帯は最も老化しにくい器官と何かで読んだことがあるが、デビュー当時から音域の幅がとても広く、すぐに喉を潰しそうな激しい歌い方であったので、50を越してからは高音が出しにくくなって、2006年以降は歌手をやめたのかと思えば、YOUTUBEでは2016年や去年のライヴ映像が見られる。だが、さすがに若い頃とは違って音程をかなり下げてドスの利いた低音だ。またいかにも還暦のおばさんで、どこか怖いもの見たさの気分になるが、元来サーカスのような見世物的歌手の路線を狙っていたので、現在の姿は予想どおりでもある。筆者が彼女の曲を最初に知ったのは「NATURTRÄNE」(自然の涙)で、TVのコマーシャルだった気がする。これは1978年のデビュー・アルバムに収録されているが、筆者はそのアルバムを持っていない。録音したカセットはあるはずだが、それを探さずともYOUTUBEで簡単に聴くことが出来る。今日はその曲の題名にしようかと思ったが、アルバムを所有しないので遠慮し、代わりに「SO BAD」にする。ただし、特に気に入っているからではない。ニナの場合、これぞ代表曲というものがない。どの曲も一定の完成度を保つ。カヴァー曲の場合でもそうで、どの曲を取り上げてもニナ色にしてしまう。自作曲の方が多いが、クレジットを見るとたいていは作曲も作詞も共作になっていて、これはバンドのメンバーと一緒に作ったのだろう。また、彼女はどちらかと言えば作詞家で、詩を重視しているが、アルバムごとに変化を出すためには何よりも時代に見合ったサウンド作りが欠かせない。そこで自分の思いどおりになるサポート役としての作曲家を必要としたが、彼女の音楽の魅力はサウンドと歌唱力のブレンド具合にある。そのどちらもその時代限りのもので、またそれだけに彼女のアルバムは発された時代で輝いている。
 筆者が彼女の名前を意識したのは83年であったと思う。FM放送のDJ若宮テイ子さんと話すようになった時、ニナ・ハーゲンが好きだと聴いたからだ。確かに若宮さんの雰囲気とぴったりで、何事も男に負けずに頑張るという感じの女性が好むミュージシャンと言ってよい。そして、ニナ以降多くのロック歌手が登場したが、ニナを超える才能はない。ビョークは才能豊かだが、どこか画一的に感じられるところがあり、筆者は新作に注目するほどのファンになれないでいる。それは老いてしまったニナの音楽も同じで、そこに一抹の残酷さを感じるが、一度世界的に名声を得ると、いわゆるドサ回りで食べて行くことが出来て、前述のように大観衆を前にコンサートを続けている。それはほとんど懐メロだが、ニナの時代を懐かしく思う音楽ファンがいるからには何も問題はない。それに若い頃のニナの声を聴きたければアルバムがある。それはさておき、ニナのデビューは衝撃的で、パンク時代のイコンとして評価が定まっているが、ニナのような歌手が今後出るかどうかは疑問で、彼女はロックの女神、地母神と言ってよい。本人もそれを早くから自覚していたようで、81年のアルバム『ナンセックスモンクロック』のジャケットでは赤ちゃんを抱いて聖母マリアのような肖像写真を使っている。子どもを生んでからより女の強さを自覚し、怖いものが何もなくなったという迫力がより強くなった。それは男にとっては苦手なもので、ジャケット写真のニナを悪趣味と思う向きが多いかもしれない。特に「かわいい」文化が花盛りの日本ではそうだろう。ひとりでも充分に生きて行くという覚悟がほとばしっているニナを見れば、恐れをなして遠のくのではないか。話を戻して、『ナンセックスモンクロック』も素晴らしく、筆者の好きな曲も多いが、何と言っても印象的なのはジャケット写真だ。そのニナの顔はインドの女神にも見える。それもまた本人は自覚していたのだろうが、1999年にはインドで録音した『OM NAMAH SHIVAY!』を発表する。このアルバムはアマゾンでは1万円以上で売られているが、EBAYでは安価で買える。そうそう、筆者は同じようにアマゾンではとても高価なCDをEBAYで買ったのに、2か月経っても届かず、出品者の評価をみると同様のケーズがとても多い出品者で騙されたかもしれない。そういうことがあり、また毎日郵便配達を気にする必要があるので、高くてもアマゾンの方がいいかもしれない。気になってネットで調べると、海外から購入すると1年経ってボロボロの状態で届くこともあるそうで、出品者に星ひとつの最悪の評価を下さずに気長に待とうかと思っている。
 話を戻して、『OM NAMAH SHIVAY!』はジョージ・ハリソン好みの、全くのインド音楽のハレ・クリシュナ賛歌で、ニナのアルバムとは思えないようだが、ニナがそういうアルバムを録音したことはニナの思想を考えるうえで重要だ。それにデビュー当時を想起させるスロー・テンポのレゲエ曲もあって、低い声が伴なって年齢を重ねた凄味を漂わせ、明らかにニナ色で彩られている。先に女神と書いたが、ニナが音楽に求めるのは音楽でしか得られない感動だ。それは神がかった「聖なるもの」ないし「癒し」で、さらには女性にしか表現出来ないものをニナは目指す。デビュー当時のパンクの破壊と均衡を保つには、そういう「聖なるもの」の表現しかあり得ず、破壊と創造は表裏一体だ。またその考えはインドの神にあるもので、パンクから出発したニナは必然的に20世紀の終わりにインド音楽に身を浸した。そこにビートルズやジョージ・ハリソンの影響があったのかどうかは知らないが、『ナンセックスモンクロック』のジャケットからはインド音楽へのつながりは容易に想像出来し、たとえば今日取り上げる「SO BAD」の歌詞にもすでにそれは表われている。また彼女は知的な美女だが、目と目の間がとても離れていて、東洋人っぽい顔つきでもあって、自然とインドに関心を持ったように思う。それほどにニナと「聖なるもの」の表現には親和性がある。また、その点においてニナは他の有名な女性ミュージシャンと一線を画している。その「聖なるもの」に対する関心はロック界で生きるための商売道具のようなものではなく、やむにやまれないところから出て来たものに見える。ただし、若い頃はビョークのように巫女ないし韓国のムーダンのような雰囲気が似合っていたが、還暦を過ぎるとロック歌手はさすがにしんどいものがあり、かと言ってシャンソン歌手になることも出来ず、魔女的な雰囲気を隠さずにやるしかないが、そこがまた彼女の正直なところだ。話を戻して、ヨーロッパのミュージシャンが「聖なるもの」を希求した時、キリストやマリアには目を向けず、インドの神となるのは、20世紀初頭のイギリスのD.H.ロレンスがキリストよりもそれ以前のギリシアやローマの神々を讃えたことの伝統に連なると言ってよい。それは陰気な神ではなく、性愛を大らかに肯定する神だが、またニナは発作的に結婚したかと思うとすぐに離婚して何度も結婚を繰り返し、自分の思いに忠実に生きて来た様子が伝わる。その奔放さは自堕落ではなく、むしろ精神が無垢であるからだ。それはデビュー前の化粧をしない彼女の顔を見れば誰でも気づくもので、彼女がとても正直で繊細な心の持ち主であることもわかる。そして、そのことを人前では隠すような行動をして来たと言ってよいが、どのように変装しても内面は露になる。表現とはそのようなものだ。
 ニナに似た日本人として筆者は昔から鳥居みゆきを思っている。彼女は音楽家ではないが、そのどこか本性を隠すようなおどけ振りを見ていると、ニナのデビュー当時の姿が重なる。またどちらも個性的な顔の美女で、鳥居みゆきはめったにTVに出ないが、数年に一度彼女の姿をTVで見ると、痛々しさのようなものを感じる一方、頑張っているその姿につい見惚れてしまう。去年だったか、彼女が結婚していることをネットで知ってとても安心したが、ニナとは違うはかなさが彼女にはある。さて、ニナの曲としてシングルCDも所有する「SO BAD」にするが、その歌詞は単純ながら、社会や文明の最悪な(SO BAD)状態にもかかわらず、自分はライオンのように強く進んで行くというもので、どの行も実に味わい深い。彼女は英語がそれほど堪能ではないことはライヴからも想像がつくが、そのせいもあってこの曲はヨーコ・オノの詩のように単純明快で、それが却ってロックに似合い、聴き手に内容が伝わりやすい。筆者はニナに当時のザッパと一度でもいいので共演してほしかったとよく思うが、それほどにふたりには似たところがある。それは風刺的な歌詞もだが、表現者として唯一無二という点においてだ。当時のロックが文明風刺をするのは当然と言ってよいが、それでもニナには女性の立場からの眼差しがあり、人間性がないがしろにされることに対して真剣に抗議する。たとえば「ヒロシマ、トムスク、チェルノブイリ、それは絶対に癒されない」と、現在進行形の歌詞がある。今ならそこに「フクシマ」を加えるべきだが、日本の首相は世界に向かってその福島の原発事故を「アンダー・コントロール」と堂々と言い切った。世界はこの曲の歌詞にあるように「SO BAD」で溢れているが、ニナは続く歌詞では「わたしはとてもうまくやれるかも。女神のようにね。それにわたしは慎み深く、恐れはないの。行くところまで行くつもりよ。どのように祈るかを見せてあげるわ。なぜなら、世界はとてもひどいから……」と歌うが、「女神」や「祈り」という言葉が出て来るところに、「聖なるもの」への関心がうかがえる。そして、歌詞は「(とてもひどい)化学療法、(とてもひどい)HIVについての嘘、(とてもひどい)わたしたちは最後の機会を失った、(とてもひどい)そして誰もが「シヴァの踊り」を踊っている、(とてもひどい)遺伝子の強迫観念、(とてもひどい)原子力の間違った使い方、……」と続くが、「シヴァの踊り」は世界を破壊することの意味だ。だが、破壊が終われば創造があり、シヴァの踊りはそのことを意味してもいる。ニナ・ハーゲンはいつまでステージに立つことが出来るだろう。その体力がなくなった時、彼女はシヴァの踊りを思い浮かべるだろうが、一方で誰かがニナの思いを継いで歌っているかもしれない。あるいはそういう歌手がいなくても、ニナのアルバムがある。
by uuuzen | 2018-03-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●『猿楽と面 大和・近江および... >> << ●ムーンゴッタ・2018年3月...

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