浮世絵の写真版と言えばいいか、京都に長く住んでいても大半の人には無縁の花街の芸妓ばかり15人をスタジオで個々に撮影した写真展を、先月12日に京都伊勢丹の美術館で見た。
蜷川実花の映画がヒットしたことはよく知っているし、その予告映像はTVで何度も見たことがある。最近では新幹線の内装と外装をデザインしてそれが大評判で客は予約待ちというニュースもあった。写真家としても活躍し、大きな賞を獲得していることも知っているが、京都ではその作品展を見る機会があったのかどうか、筆者は4月中旬から1か月開催された写真展には気づき、その最終日の1日前に家内と見に行った。館内は撮影自由で、カメラを持っていたので、たぶん同じ人物ではないと思える芸妓を順に撮って行った。本展の写真の大半は芸妓を写すが、ごく一部に花だけのものもあった。また各花街ごとなのかどうか、壁面は鮮やかな色が全部で5色使われていた。京都の花街は祇園甲部、先斗町、祇園東、宮川町、上七軒の5か所で、本展ではそれらから3人ずつが選ばれた。年齢は当然さまざまで、最低と最高では10歳は違うだろう。顔面真っ白の厚化粧をしているが、化粧を落とした素顔は想像出来る。そしてその顔を思い浮かべると筆者好みの顔はなかったが、これは仕方がない。京都の芸妓が全部で何人いるのだろう。100から200の間ではないか。それだけいれば器量のあまりよくない者もいるだろう。そうそう、もう四半世紀ほど昔、大手ゼネコンに勤務していた茨城の友人の、京都の支店に勤務していた同僚が京都の花街で遊ぶことがお気に入りであった。友人は真夏にその同僚に会いに京都にやって来て、筆者はそのふたりの夜の宴席に呼ばれた。そして鴨川二条の川床料理をご馳走になり、二次会として宮川町に繰り出した。その同僚の行きつけの店に行くと、女将と芸妓が応対してくれた。友人はその芸妓を見て苦笑し、筆者に聞こえる声で「あの顔で芸妓か」といった皮肉を言った。それがほとんど芸妓に聞こえそうであったので筆者はあたふたと友人の言葉を遮った。せっかく初めて芸妓を交えて飲むのであるから、美女を期待するのはわかるし、東京や大阪の高級キャバレーでは客にふさわしいタイプのきれいな女性が横につく。だが、京都の花街はそういうキャバレーとは格段に気位は高く、場の空気を和ませるのは客の務めであると考える客しか行かないだろう。それに筆者は「女は愛嬌」という言葉を思い出して美女でなくても気分を変えることは出来る。また自分好みの美女であればどぎまぎして場を楽しめない。それにそういう美女は夜の世界にはいないと思っているが、実際はそう思いたいだけで、金がないのでそういう場所に行かないだけだ。
芸妓はその名のとおり、芸を売り物としている。だが、今はそれを楽しめる金持ちがどれほどいるのだろう。現在の金持ちはゴルフをするのがあたりまえになり、またそれは人との出会いの場としてかつての「茶の湯」と同格と認識されている。つまり、ゴルフを一緒にすれば初対面でもお互い相手のことがよくわかるとまことしやかに言われている。「茶の湯」であれば茶碗の種類や掛軸の一行書、活け花など、日本古来のあらゆる芸術への関心が欠かせないが、ゴルフはそれらを全く必要とせず、スコアのよしあしを時には金を賭けて競う。そういう人が京都の花街で芸妓を前に酒を飲みながら楽しむとして、芸妓のキモノや帯の柄を理解し、またその踊りの見どころに感動するだろうか。客の男がそうでなくなれば、芸妓の芸も落ちる一方であろう。花街は京都市や京都府から助成金をもらわずに経営しているから、客は絶対に欠かせないのに、客が芸妓の芸がわからないとなれば客は減少に向かう。筆者がそんな心配をしなくても、近年は一流企業が外国人を喜ばせるために接待で利用していると思うが、それでも少しずつ変質して行くことは避けられない。去年だったか、京都で芸妓になる修行をしている地方出身の女性に密着取材したドキュメンタリーがあった。数人の若い女性に年配の女将が躾をつけて行くのだが、そのひとつに「人前で大きな口を開けて声を出して笑うべからず」があった。それは確かに下品で、男はあまり見たくないものだ。芸妓に修行をする女性がそれくらいのことがわからないことに筆者はちょっとしたショックを受けた。それほど今の若い女性は何が上品で下品かを知らない。だが、男は黙ったまま0.1秒で女を品定めする。そう言えば、今日ムーギョに行く途中、松尾駅から150メートル手前で横並びで3人の大柄な女子高生に遭遇した。おそらく3年生で、ヤンキーっぽくは全くなく、ごく真面目そうな顔つきだ。3人はしゃべり合わずに真っ直ぐにこっちを向いて歩いて来る。歩道は狭く、家内と歩く時は前後になり、筆者ひとりの場合でも建物の壁際ぎりぎりに歩く。背後から自転車が追い抜くことがあるからだ。彼女たちは筆者との距離が5メートルになっても縦1列に並ばず、結局筆者は彼女たちを避けて建物の壁ぎりぎりを遠慮してどうにか通り抜けたが、筆者に一番近い女の大きなバッグが筆者の右腕に強く当たった。振り返ると、その女もこっちを睨み返していた。「この歩道は一方通行とちゃうで! 3人並んだらこっちは歩けへんやろが!」と怒鳴ってやろうと思ったが、口をつぐんだ。どうせその3人は「この人、変です。助けてくださいっ、誰か!」と大声を出すだろう。女子高生3人が口を揃えると、今の日本では筆者が絶対に変質者とされる。親に躾けられたことがないのか、彼女らの態度で「日本がこわれている」ことを実感した。信じられない馬鹿が急増している。筆者は数十秒後に振り返ると、まだ3人は横一列で歩いていた。まるでブルドーザーで、向こうからやって来るものはみんな蹴散らすといわんばかりだ。
若い女が大きな口を開けて客の前で哄笑するなどもってのほかというのは、筆者の世代ではたいていどの家庭でも母親が娘に躾けた。それを男尊女卑と今は言うはずで、女子高生が男言葉で男子生徒と話をすることはごくあたりまえになっている。女将の若い芸妓に対する注意は、本当は言うまでもないことだが、今はそれほどに芸妓に憧れても、元来慎ましやかな女性がいなくなったということだ。もっとも、女将は躾けてそのような粗相は客の前で絶対にしないという完成品となって初めて上客の前に出るのだろうが、元々が下品であればいくら磨いても下地が見え透くのではないか。とはいえ、舞妓から修行して芸妓になった者はそれなりの大変な修行を経ているから、客はその芸がわからなくてもそれなりの敬意を払うべきだ。花街は虚飾の世界で、男はそれをわかって楽しむ。自分好みの慎ましやかで上品な女性は家庭に置いて、花街では造られた美しさを人間社会のきわめて高度に作り上げられた仕組みのひとつとして達観しながら酔う振りをする。それが男の粋として花街では求められる。そういう花街を封建社会の名残と糾弾する人もいるかもしれない。そして、芸妓の芸を楽しむ客は女であってもいいはずで、男の芸妓を置く店もあっていいではないかと言い始める、ホスト遊びに飽きた金持ちの女がいずれ出て来るだろう。さて、蜷川実花の写真展だが、彼女の父親が有名な舞台演出家であることがどのように関係しているかを今日は考えた。筆者は蜷川幸雄の舞台については知識が皆無で、その舞台に出た俳優たちが口を揃えて絶賛することも理解出来ない。だが、その娘となれば舞台と演出に関心を抱いて成長したことは想像出来る。父と同じ演出家にはならなかったし、また女性であるので美に対する感覚も違うだろう。蜷川実花の映画もまともに見ていなが、その予告編の赤を主体にした原色の氾濫は本展のチラシのデザインにもよく表われているし、個々の写真も同じ人物のものであることが即座にわかる。女のキモノの豊かな色彩に着目した写真家に藤原新也がいるが、無名の女性に戦前のものとおぼしき細かい模様の型友禅のキモノをまとわせ、それをほとんどはだけさせた格好で撮影したもので、キモノの多色と朝や夜の霧が出ている無色としての野外が対照的な写真であった。その写真に比べて蜷川の芸妓を被写体にした写真はスタジオで撮ったこともあって、どこからどこまでも人工的だ。芸妓は今では昔以上に人工的なものとなっているが、そのことをさらに誇張するかのような演出で撮った写真で、舞台の書割に似ている。また各芸妓は個性的な顔に合わせたキモノを着ているが、それを前提に持たせる小道具を選び、背景の花などの色を決めていて、それは絵を描くことと同じだが、絵画ではあるいは浮世絵では不可能な各芸妓のブロマイド写真としても機能している。これは役者の個性を引き出す父の仕事に通じている。
では筆者は本展を楽しんだかと言えば、この写真家の映画の予告編と見た時と同じ印象を抱いた。それはどぎつい色彩の氾濫で、写真でこそ可能になったことだが、京都らしくはないということだ。舞妓や芸妓を描くのは日本画家の仕事であったが、それはなかなか駆け出しの画家では無理なことで、それなりに有名になって経済的に豊かでなければモデルとして使うことが出来ない。写真は絵を描くより簡単だが、それでも本展の写真は15名の芸妓をスタジオに招き、一方では前述のように各芸妓に最もふさわしい演出をする必要がある。撮影に2年要したとのことだが、筆者はその月日よりもどれほどの経費がかかったか、またどうして5つの花街から撮影したいと思う芸妓を選べたかという裏事情に思いを馳せる。そうしたことはよほど有名な写真家にしか許されないことで、それほどに蜷川実花が大物になっていることに驚く。本展は女性写真家が芸妓を撮るとどうなるかの格好の見本で、今後同じことを企てる女性写真家がいるのかいないのかわからないが、いるとすればスタジオ内ではなく、野外で撮影するしかないだろう。またそれではスタジオ以上の多くの障害となる要素が多く、撮影は困難だ。そう思うと、本展の写真に対して筆者はいいともよくないとも思わないが、別の形で撮影することは不可能であることに気づく。つまり、彼女のように撮影することが誰にでも許可されるならば、そしてプロの写真家ならば、誰でも同じように撮るであろう。違いがあるとすれば配色をどうするかだ。赤や青の原色中心のけばけばしさは芸妓が人工的な存在であることを誇張していて、その自己主張の強さが蜷川実花の魅力として本人も自覚しているはずだが、そこが筆者には鼻につく。家内もそう思ったようで、筆者らは10分ほどで会場を出たが、若い人たちはまた思いが違うだろう。女性が男と同じように自己主張が強くなって来ている昨今、蜷川実花の写真がそういう女性を勇気づけていることは想像に難くない。となると、本展の写真の芸妓たちも、客にただ芸を見せる存在ではなく、客がいなくても自分を意識するひとりの独立した人間であることを主張していることになるが、どういう表情を作るべきかは蜷川とのやり取りで指示があったはずで、蜷川は他に代わる者がいないという個性を持った芸妓としての自信を引き出そうとしたであろう。あるいは、15名の写真が並んでいたのに、筆者にはその半分ほどの人数に思えたのは、厚化粧であるために個性がわかりにくかったこととは別に、全員が京都の芸妓としてよく躾けられ、顔は相互に代替可能ないわばロボットのような存在に見えたからだろう。そして、筆者は芸妓は写真よりも絵画で表現する方がいいと思ったが、それは顔や表情を好きなように作ることが出来るからだ。そこに男が思う女と、女が思う女の差がある。とはいえ、今は女が女を愛することを堂々と公表する時代で、男女の差を言うことが粋ではないとされる。