睡眠不足ではないが、バスや電車に乗って座ると必ず眠ってしまう。家内もそう言うが、筆者は家内より1,2時間は睡眠が長く、また家内ほど家事などで体を動かさないので、疲れは少ないはずだ。
つまり、ただの眠り過ぎの怠け者かもしれない。先月12日は家内と一緒にバスの1日乗車券を買って市内で展覧会をふたつ見た。今日はその最初に訪れた堂本印象美術館についてその前半を書く。さすがにバスに乗って目的地に行くまでは眠らないが、展覧会をふたつ見た後の帰りは、バスに乗ってすぐにぐっすりと30分ほど眠り、買い物のために下りるべきバス停のひとつ前で目覚めた。車内の先頭にひとりで座っていた家内もそうだと言った。バスの1日乗車券が600円に値上げされて初めて乗ったが、来年10月の消費税10パーセントへの値上げに際してまた値上げするかもしれず、家内は乏しい年金がますます少なくなると不満を言う。それでも5月の好天気だ。ぶらりと散歩がてらにバスに乗って出かけるのはよい。堂本印象美術館の近くに立命館平和ミュージアムがあり、筆者は双方に少なくても年1回ずつは訪れるが、いつも昼を近所の店で食べる。このブログでも紹介したことがあるパン屋を利用することが多く、12日もいつものようにパン食べ放題とドリンク飲み放題つきの料理を注文した。もう1軒は中華料理店で、そこは量が多い割りに安く、味もいいので筆者は気に入っているが、家内は飽きて来たようだ。それはともかく、12日に気づいたが、パン家の通り向かいにある、西大路通りに面した2階建ての店が、初めて見る屋号の回転寿司に変わっていた。回転寿司店は中華料理店の近くに「くら寿司」があるが、新しく出来た店はもう少し高級かもしれない。笑顔の外国人観光客が数人入って行くのが見えた。近くに金閣寺があり、立地は申し分ない。京都市内は少し訪れない間に新しい店が出来るなど、変化が激しい。堂本印象美術館もそうだ。先月の「しみんしんぶん」の表紙はリニューアルされたその建物のファサードの写真であった。それを見て行く気になった。その理由は建物の色が変わったことだ。この美術館は開館が昭和41年(1966)で、平成4年(1992)に京都府に譲渡された。筆者はそれから10数年は企画展ごとに訪れ、それらのチラシをすべて所有しているが、ここ数年は行かない企画展もある。今回の企画展は創立50周年を記念して建物を一部改装したことによる。工事があることは一時閉館前に訪れた企画展の会場で女性の係員から聞いた。50歳くらいの感じのよい人で、元来話し好きな筆者はいろいろと話を継いだが、相手も筆者をかなりの美術通と思ったようで、話に花が咲いた。顔をは忘れ、また今回の企画展では姿を見なかったが、そういう知的な女性と話すことはとても楽しく、その時の話の香りはよく覚えている。
「しみんしんぶん」の表紙の写真を見て驚いた。以前真っ白に塗られていた浮き彫りが全面に貼りつけられるファサードのあちこちに黄色があったからだ。堂本印象が建てた時はもっとカラフルであった。それが京都府の持ち物となった時に真っ白に塗り変えられた。汚れていたせいでもあるが、真っ白にすることは堂本の想定外であったかもしれず、筆者は何となく割り切れない思いがした。だが、すぐに慣れるもので、また本来のレリーフがとても人目を引くので、真っ白は清楚で雰囲気はよかった。それが今回のリニューアルで一部に黄色が塗られ、控えめながらも新しくなったことが一瞬でわかる。ただし、それは先の回転寿司店と同じように以前の様子を知っている者に限る。筆者がファサードの写真を撮ろうとする時、素人カメラマンだろうか、若い西洋人がカメラでしきりにファサードを撮影していた。「こんな建物が京都にあったのか」という驚きの笑顔で、美術館であることに気づいているのかと筆者は思った。そして次に彼は建物の中の絵画にも同様に驚嘆するだろうかと思いを巡らした。館内には60歳くらいの西洋人夫婦がいて、夫が大きな屏風作品にカメラを向けてシャッターを切った途端、部屋の出入口の椅子に座っていた係員の中年男性は大声を張り上げてその行為を注意した。その声に夫婦は驚き、そそくさと部屋を出て行ったが、外国人が日本の美術に興味を抱き、美術館に入ることはまだまだ珍しいはずで、スナップ写真ならばいいのではないか。それはさておき、その夫婦は堂本の作品にどういう感想を抱いたであろう。西洋美術を大いに意識して描いた堂本であるから、西洋美術を見慣れた目にどう映るかは興味深いが、西洋の美術通が日本美術に関心を抱くことはまだ珍しいはずだ。しかも近現代の画家となると、ほとんど知識はないだろう。だが、知識がない状態で見た方が新鮮だ。金閣寺に歓声を上げる観光客はあたりまえとして、日本の新しい美術を愛でる外国人を増やそうという努力を、日本、京都はほとんど何もしておらず、ごく一部の通だけのものとなっている。だがそれは日本の美術愛好家も大同小異だ。堂本印象の作品を一目見ただけでわかるという美術ファンは京都にどれほどいるだろう。だが、まだ時代が新し過ぎてどう評価していいかわからないという思いもあるはずで、堂本の評価はこれから本格的になされ、評価は変わって行くだろう。ともかく機会あるごとに作品に対峙すべきで、幸いにもこの独特の建物では定期的に堂本の企画展が行なわれ、堂本についての新しい思いをもたらす。今回もそうであったが、それについては明日書く。
食事の後、美術館まで歩き、その角に着いた時にどうも印象が以前と違うことに気づいて写真を撮った。それが今日の2枚目だ。大きな樹木は以前もあったが、それの根元が大きな白い鉢状のコンクリートで覆われている。そしてそこに金色の文字「堂本印象美術館」が貼りつけられるが、その文字は堂本の筆跡だ。それがなかなかよい。これが明朝体であれば役所のようで、全く楽しくない。この円形の樹木受けの向こうに真っ白で曲線を強調したバス停が見えるが、それも明らかに以前とは異なってとても軽快で洒落ている。バス停込みで美術館という感じで、またこの美術館やバス停は坂の上にあって、背後の衣笠山を見上げることになるが、その眺めがとてもよい。以前はどうであったかを忘れるほどで、リニューアルは大成功だ。白が目立つのは南仏のイメージもあって、堂本は今回のリニューアルを大いに喜ぶだろう。黄色に塗る箇所をどのように誰が決めたかだが、堂本の身内や芸大の教授が話し合ったかもしれない。今日の3,4枚目の写真は横に2枚つないだが、そのことによって写真が小さくなって迫力が半減している。この建物の面白さは前に立たなければわからず、堂本の作品の真髄を反映していると言ってよい。独力でこうした個人美術館を建てるほどに堂本は経済的にも成功したが、京都に無数の画家がいても堂本のように自作を展示する美術館を自分の設計で建てた画家はいない。そこにいかに堂本の作品が京都でも独特の位置にあるかがわかる。そうした独立独歩主義は京都では敬遠されやすいと筆者は思う。だが、芸術は自由の表現で、また人を幸福にするものであるから、それさえ守ればどのように行動してもよい。そういう自信が堂本にはあったのだろう。建物のファサードは装飾過多で、また見方によれば目立ちたがり屋の遊びだが、市内の西北の端に位置し、周囲はほとんど何もない場所であったので、これくらいの一種異様さでなければ誰も気づかない。作品は多くの人に見てもらえることを待っている。そして、見てもらえるからには、西洋のキリスト教の教会がそうであるように、建物の中の柱や扉、椅子も思いのまま造形し、肝心の絵画との融合を意図する。その理想をきわめた堂本で、京都の多様性と破格を体現している。もっとも、堂本のような型に嵌らないいわゆる「前衛主義者」は、伝統がきわめて長く蓄積されている京都であるから時として生まれるものであって、その「前衛」は「伝統」の言い換えでもある。そういう存在の堂本の美術館がリニューアルによって見違える姿になったことはとても喜ばしい。京都で訪れるべき場所として大いに宣伝されるべきで、また京都府はそう思って斬新にリニューアルした。そうそう、
6年前の10月にこの美術館について投稿したが、何を書いたか記憶にない。