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●神社の造形―居酒屋の鳥居
いているものは死者もかもしれない。人間の評価は死んで決まると言われるが、死んでからも評価が変転する著名人がある。人間は生きている間に他者から見ていいこともそうでないことも行なうからだ。



●神社の造形―居酒屋の鳥居_d0053294_22523227.jpg
もっとも、他者全員の意見が一致することはあり得ず、いいこととそうでないことは人によって見方が違う。そして死者の業績を否定的に見たい人はいつの時代にもいるから、圧倒的に高い評価を得ていても、いつそれに反論する者が現われ、またその意見が大勢を占めるようになるかわからない。まだそれはいい方で、大半の著名人は生きていたことも忘れ去られる。古代の人はそのことを知っていたので、そうならないように神社を建てて神として祀ったのかもしれない。西洋の銅像もそうだが、形あるものはいつかなくなる。それに銅像がいくつも建てられた人の権利が失墜することは珍しくない。それはさておき、日本は労働者不足で外国人に頼る必要が年々高まって来ている。移民の受け入れが日本は先進国では極端に少なく、欧米からはそのことを自覚せよとたしなめられる。だが、移民受け入れ反対の声が圧倒的に強く、一方では人種差別を平気でネットに書き込む連中も無数にいるが、そういう状態では移民や外国人労働者の増加に伴なって人種間の事件が多発することは目に見えている。先ごろの日馬富士の暴行事件の後の騒ぎからもわかるように、日本で外国人が認められるのは常人をはるかに超えた能力を持っていてもなかなか無理で、ましてや先日のフランスでマンションから落下しそうになって小さな子どもを助けた黒人の不法滞在者が大統領によって滞在が認められ、仕事も与えられたという美談は絶対に起こらない。それはいいとして、外国人労働者がたくさん入って来ると、寺社はどうなるだろう。日本人でも信心深い者が減少していて、そこに日本の神道や仏教に無関心な外国人が増加すると、日本の「聖なるもの」はますます肩身が狭くなりそうだ。10年ほど前、若冲の墓がある石峰寺で石仏が数体倒され、2体が真っ二つに折れたので、それを高い費用をかけて修復したことがあったが、倒したのは地元に住むパキスタンの子どもであった。日本の子どもであればそのような罰当たりなことはしないと言いたいのではない。寺の境内がどういう場所か、石仏がどういうものかということは、親から、あるいは学校でそれなりに教わるだろう。そういう教育を今後急増するかもしれない外国人労働者にどのように教えられるかとなると、日本自体が宗教に無関心になって来ていて、神社や寺に迷惑がかかるようなことはしないようにとの注意はかなり後回しになるか、行なわれないだろう。つまり、寺社は現在大きな曲がり角に来ているのではないか。
●神社の造形―居酒屋の鳥居_d0053294_22525235.jpg 二条城で茶色の粉があちこちに撒かれる事件があって、台湾人の女性観光客の行為であることがわかった。悪戯のつもりではなく、祓い清める意味でやったとのことだが、「聖なる空間」であると思っていたのだろう。寺社に対してもおそらくどの外国人観光客もそのように感じていると思うが、ごくわずかにそれを知りながら悪戯をする者がある。それは日本のたとえば修学旅行生など、未成年もすることがあるが、外国人観光客急増の現在、彼らへの風当たりは強い。そして、そういうニュースによって国民の外国人観光客や労働者、移民に対する思いは悪化し続ける。さて、5月3日は家内と息子と一緒に大阪市内をたくさん歩いたが、生國魂神社から黒門市場を抜けて難波へと西に向かっている途中で今日の最初の写真の鳥居を玄関にかまえた居酒屋を見かけた。このように鳥居を店の看板かインテリアのように使うことに対して神社庁は抗議しないと見えるが、それは高さ10センチほどの鳥居が電柱の根元にくくりつけてあることからも当然であろう。それは小便されないための警告だが、それでも酔っ払いはそのミニ鳥居に小便をかける。「聖なる空間」への出入口である鳥居の意匠が、そのように実用的に使われ、また居酒屋の目立つ看板代わりになることは、外国人には理解しにくいことではないだろうか。十字架をシンボルとしたパブやバーがイギリスやアメリカにあるかとなると、たぶんないだろう。鳥居のある居酒屋はいかにも大阪らしく、2枚目の写真のように難波のタワー・レコードを覗いた後、進路をジグザグに取りながら東北に向かって歩いている途中でも同様の居酒屋を見つけた。これは店主が「お客様は神様」の思いから設置しているのかもしれないが、悪趣味であることは誰しも思うだろう。だが、大阪の難波や新世界にはそういう悪趣味が氾濫していて、それが外国人観光客の人気になっている。彼らはそれはそれ、寺社は「聖なるもの」として、日本人と同じように理解しているだろう。ただし、自分たちの神を持っているので、日本に労働者としてやって来ると、寺社には関心はない。無関心は日本人にも多いので問題はないが、たとえばイスラム教に関心を持つ日本人は少しずつ増えて行くかもしれない。それはそれで仕方のないことで、信仰の自由が保証されているからには排斥することは許されない。そして、1000年ほど経つと、日本にイスラム寺院がたくさん出来ているかもしれないし、あるいは神社がイスラムと習合していることもあり得る。わずか半世紀でも世界は創造を絶するほどに変化して来たことを実感する筆者としては、そういう想像は的外れとは決して思えないし、日本の神が八百万もいるのであれば、多少増えてもどおってことはない。
by uuuzen | 2018-06-05 23:59 | ●神社の造形
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