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●神社の造形―生國魂神社、その6
ら寿司の贋なまこ壁は安価な回転寿司店に似合っているが、本物を知らないと贋物もわからない。だが、本物が何かとなると、より長い伝統のあるものがそうだと思う人は多いだろう。



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WIKIPEDIAによると、生國魂神社は創建から現在の地にあったのではなく、信長がほしがった石山本願寺の土地に隣接していた。そして秀吉がその望みを遂げて大坂城を築城する時に現在の地に移したが、上町台地の北端にはかつて難波宮があって、それとの関係もあった神社と推測されている。歴史的には上町台地の南端の住吉大社と同じほど古いが、創建から同じ場所にある住吉大社の方が、雰囲気は圧倒的によい。秀吉が自分の城のために大昔からあった神社を移転させ、また現在の大阪城に秀吉を祀る豊国神社があることは、今後の日本の政治家にひとつの思いを抱かせるかもしれない。実際秀吉だけではなく、権力者たちは寺社の命運を左右して来たから、立地のいい寺社は政治家の思惑によって移転させられることは今後もあり得る。それに、神社の遷座は神の魂を別の場所に移すだけで、そう深刻なこととは捉えられていないのではないか。形よりも魂が大切で、またその魂は生きている人たちの考えひとつでどうにでもなるものだ。たとえば政治家が生國魂神社の土地を今後の日本経済の発展のために別の目的で使おうと言い始めると、大阪湾の埋め立て地に遷座されるかもしれない。だが、生國魂神社を埋め立て地の夢洲に移し、一方で現在の生國魂神社を壊してカジノを造ることよりも、夢洲にカジノを造る方が圧倒的に安上がりであるから、誰も生國魂神社を遷座しようとは思わないだろうが、神社不要論ないし集約論を唱える政治家が出て来るとその保証はない。信長や秀吉はそういう人物であった。現在の大阪城やそれに隣接する弁天島に大阪ビジネスパークが出来たことで、秀吉の考えと行為は正しかったと認識されているが、経済的繁栄が何よりも大事と声高に主張する政治家が大手を振ると、神社の遷座を簡単に行なうだろう。日本にはそういう独裁的な政治家を心のどこかで歓迎する向きがあり、首相の3選どころか、終身首相が認められるようになり、また北朝鮮と同じかそれ以上の巨大な元首の銅像を建て、ついでに神社も造って祀り上げることも行なわれるのではないか。一旦神として神社に祀られると、それを廃することはもう誰にも出来ない。祟りを恐れるよりも、生前のその人物の所業はどれも本物であったとされ、わずかでも贋物的な濁りを認めないという、神としての美化が完成するからだ。武士の信長や秀吉がくら寿司の贋なまこ壁で、記紀に登場する天皇や神が本物のなまこ壁であるとは言い切れない。もう1000年ほど経つと信長や秀吉は神話的な古い人物となる。
●神社の造形―生國魂神社、その6_d0053294_00182940.jpg
 今日の1,2枚目の写真は、昨日の最後の写真「皇大神宮」の前から東へ延びる小径を進むと並んで建っている「住吉社」と「天満宮」で、ほとんど同じ形をしている。「皇大神宮」は東向きだが、これら二社は南向きだ。生國魂神社は北にある天満宮と南の住吉大社の真ん中よりかは北寄りに位置してするが、これら二社の本社に参拝する手間が省けてよいというのが、摂社として祀るようになった理由なのかどうか、それはわからない。大阪天満宮と住吉大社に生國魂神社の摂社、末社があれば、これら三つの大きな神社は持ちつ持たれつの関係と言えるが、そうではないだろう。勝手に摂社を建てることは出来ないはずだが、建てられた経緯がわからない場合、そのままに伝えて行くしかない。またそのようにして神社が日本中に増加して来たのだろう。京都でよく見かけるお地蔵さんの祠もそうで、町内にひとつは絶対にある。最近梅津の古い大きな家が取り壊され、10数件の建売住宅が完成したが、その土地の一角にある地蔵の祠は工事中そのまま保護され、住宅の完成後は三方を立派なレンガ壁で新たに囲まれた。工事中に迷惑をかけたという思いから、業者がそのように手を加えたのだろう。土地を持っていた人や工事業者は秀吉のようには、また現在の役人のようには思い切ったことをしない。また信心深いというのではなく、長年拝まれ続けている祠を取り壊すとか移転するといった考えも勇気もない。生國魂神社の「住吉社」と「天満宮」もそのようなものではないか。増えた社、祠を撤去する考えは恐れ多くて抱くことすら出来ず、そのまま同じ場所に伝えて行く。そして老朽化すれば新しくし、経済的に余裕があれば以前より立派なたたずまいにする。となると、やはり秀吉の行為は庶民からはかけ離れた大胆なことで、またそれだけに英雄として祀り上げられる。これは「やった者勝ち」の図々しさでもあり、いつの時代の為政者もそれを持ち合わせている。境内案内図によれば「天満宮」の東に「米沢彦八の碑」があるが、筆者は気づかなかった。米沢彦八の名前は知らないが、江戸時代初期の落語家で何代か続き、現在は途絶えている。高津宮には五代目の桂文枝を顕彰する大きな石碑があるが、米沢彦八の碑の建立は1990年で、戦後に上方落語を復興させた米朝と松鶴の発案であった。文枝の六代目が三枝で、彼は五代目以上の人気者となり、また落語は新作物をもっぱらとするが、女性問題で最近大いに叩かれるまでは上方落語協会の会長としては彼以外は考えられなかったのではないか。ラジオはまだしもTVの出現によって落語家は落語以外の芸によって巨万の富を築くことが出来るようになり、またそれとともに本業の落語が疎かになる危惧も生まれたが、落語以外の芸が落語のための肥やしになる、また落語以外の話芸によって新しい落語が生まれるという考えもあって、三枝はその意味で大きな足跡を残した。
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 今日の3枚目は「米沢彦八の碑」を少し過ぎて南の台地に通じる階段を上り、本殿前でその階段方向を振り返って撮った。千日前通りから生國魂神社に通じる急な坂道を上ったことは「その1」に書いたが、「生玉の杜散策道」に入るのに数段の階段を上った。そしてまた10数段か、階段を上ったところ、つまり境内の最も高い土地に本殿があり、筆者は登山をするように低い場所から高台へと進んだ。そして境内東の大鳥居が今日の4枚目の写真だが、筆者の背後はなだらかな下り坂の参道になっている。それは東向きで千日前通りと平行で、千日前通りからは見えない。鳥居の前で周囲を見渡すと、すぐ東に生玉公園があるせいでもあるが、視界は広々として上六辺りとは思えない雰囲気がある。筆者は市電が走っていた頃の千日前通りをよく知っているが、その頃の車窓から見る緑が少ない上六界隈とこの参道辺りの眺めを頭の中で並べると、上町台地の千日前通り以南が神社や寺が集まる落ち着いた場所であることを改めて思う。そういう区画を造ったのが秀吉だが、それは大阪が商都として栄える手段として優れたものであったと言える。それはさておき、東向きの本殿は西日の逆行でほとんど見えず、家内に参拝させている間に筆者は4枚目の写真を撮った。本殿の写真がないのは、それが鉄筋コンクリート製でありがたみが乏しく、また「生玉の杜」とは違って土がないことが殺風景に感じられ、どこをどう撮っていいか迷ったからでもあり、鳥居の向こうに影として見えることで済ませた。本殿よりもかなり高い樹木が生い茂り、「生玉の杜」を形成している。そこを散歩するためか、筆者がカメラをかまえていると男性が鳥居をくぐって来た。本殿は明治45年に消失し、昭和20年に空襲でまた消失、昭和24年の再建は翌年のジェーン台風で倒壊、そして昭和31年に鉄筋コンクリートで建てられた。木造時の図面は残っていて、それを極力模したはずだが、桃山文化の遺構に倣った独特の造りで、「生國魂造」と言われるそうだ。そのことを知らなかったので鳥居の写真を撮るとそそくさと「生玉の杜散策道」に戻ったが、参道から鳥居をくぐっていれば、本殿のほか、幣殿、拝殿、回廊、神饌所などにも目を留めたであろう。そして参拝後に緑が多い低い土地に行くと、そこが社が多い公園のような場所であることに驚くはずだ。筆者らは反対方向から訪れたが、境内を一巡した後、ふたたび千日前通りに出た。西に向かうとすぐに文楽座が通りの向かいにあり、また南に少し入ると黒門市場で、大勢の外国人観光客で溢れていたことは以前に書いた。大阪は食べ道楽の街で、それに隣接して聖なる場所があることを彼らはどれほど関心があるだろう。都会には聖も静も不要で、経済が盛んであればよいと考える大阪人も多いかもしれないが、大阪に天満宮や生國魂神社、住吉大社があることは大きな誇りだ。それを忘れると、為政者はさっさと自分の権力誇示のために寺社を目立たない場所に移転させる。
●神社の造形―生國魂神社、その6_d0053294_00191645.jpg

by uuuzen | 2018-06-04 23:59 | ●神社の造形
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