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●神社の造形―生國魂神社、その4
びか慰めを求めて神社にお参りするが、怨念を晴らすために願掛けをする者もいるだろう。いや、それも自分の喜びのためで、喜びは個人的、利己的なものだ。



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それに誰かが喜べば、競っている誰かが悲しむから、個人は思わぬ喜びがあってもあまり他者にひけらかさない方がよい。悩みや恨みもそうで、他者はそれの多い人に近づかない。その兼ね合いが難しく、常に笑顔でいるとそれを謗る人が絶対にいるし、またしかめ面をしていると、何が不満なのかと陰で笑われる。つんと澄ましていても嘲笑されるから、結局どのような表情、態度であっても文句を言いたい人がいると達観することだ。それには心をなるべくいつも平静に保つことが効果的だが、寺社を訪れると多少は心が改まるもので、それが日本に多いことは大いによいように思う。ただし、神社もいろいろで、明治以降に出来たものはその時の国の思惑が強く働いていて、それが現在の人々の心情とどれほど合致しているかの検証をする心の余裕を持っていた方がよい。この問題はたとえば中学校の歴史の授業で、現代については時事問題に関係することとの理由でほとんど1、2日で素通りして教えられたことと関係もして、年齢を重ねるほどに自分で調べて考えをまとめるべきだ。その思いがあって筆者はこの「神社の造形」のカテゴリーに投稿しているのではないが、各地の神社をほとんど予備知識なしに訪れ、撮って来た写真に文章を添える時に調べると、思いのほか深い問題が横たわり、またそれが小中学校の授業につながっていることに気づく。そして、その頃に撒かれていた種子を今頃になった自分で育てて収穫している気分になるが、本音を言えばこのカテゴリーは書いていても喜びは大きくはない。そのために読者もきっと同じ思いを抱くはずだが、そういう一種の勉強の投稿も必要と思っている。さて、生國魂神社は10数年に家内と訪れているのに、その時の印象があまりない。前回も書いたように、境内にまとまり感が少ないからでもある。だが、大阪らしい雑然とした感じは、それはそれでよいものであるし、仕方のないことでもある。こうして書きながら5月3日に訪れた時の気分を反芻すると、テーマ・パークを訪れたように次々に空間感が変わることが面白かった。言い変えればいくつかのエリアに神社がまとまっている。今日はいわばその第2か3の区画だ。「城方向八幡宮」の南に小径を挟んで3つの神社が、今度は東西に並んでいる。今日の1、2、3枚目の写真はそれらを順に東から西へと移動しながら撮った。「精鎮社」の奥にあってどれも同じように朱色が目立ち、稲荷系であることがわかる。順に「稲荷神社」「源九郎稲荷神社」「鴫野神社」で、それぞれの社の趣が違っていて紛らわしくないのがよい。つまり、境内北西角の四社とはがらりと雰囲気が違う。それは社の向きによって日当たりが違うことも関係している。
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 「稲荷神社」は伏見稲荷大社の摂社か末社かと思うと、これが違う。佐賀鹿島市にある祐徳稲荷神社からの分祀とのことで、また祐徳稲荷神社は伏見稲荷大社と茨城の笠間稲荷神社とともに三大稲荷のひとつという。最大の規模を誇るのは伏見稲荷大社で、それを中心に日本の東西にある形だ。京都から近い大阪の生國魂神社がなぜ伏見稲荷大社から分祀しなかったのかだが、祀られる倉稲御魂神(うかのみたまのみこと)は伏見稲荷大社の祭神でもあって、結局は同じことだ。おそらく商都の大坂に九州の商人の活躍の場があり、故郷の祐徳稲荷神社を分祀したのではないか。もちろん大坂は京都とも深い関係にあったが、近いこともあって伏見稲荷大社からの分祀の必要を思わなかったのだろう。「源九郎稲荷神社」は変わった名前で、「稲荷神社」のすぐ隣りにあることも不思議だ。つまり、稲荷神社は系統がどうなっているのかと思うが、奈良郡山にある同名の神社からの分祀だ。吉野にもあるようで、義経を救った白狐が義経から源九郎の名を授かったという伝説に基づく。商都の中心にある生國魂神社で、稲荷社がふたつ並ぶほどでなければ間に合わないだろう。歯痛封じの御利益もあるというが、迷信が過ぎてかえって微笑ましい。「源九郎稲荷神社」には八兵衛大明神も祀られるが、800メートルほど西にある道頓堀中座の舞台下に祀られていた神が1999年の閉館時に合祀された。八兵衛大明神は、八兵衛という侍に化けて芝居を楽しんでいた淡路出身の狸のことだ。その狸は番犬に殺され、その後客入りが悪化したので、狸を祀ったところ人気が回復したと言われるが、結局時代の流れの中で中座がなくなったことは、八兵衛大明神を祀っても意味がなかったことになる。ところが、建物の中に長年祀られていた神様を捨てるわけには行かないだろう。祟りがあっては困るので誰もそれを主張する勇気がない。それで「源九郎稲荷神社」に合祀したが、狐と狸が一緒になって参拝者は騙された気分になりながらもそれを楽しむということだ。八兵衛大明神は「人気の神様」とされて来たので、芸能関係者が商売繁盛を願ってお参りすればいいだろう。それはともかく、隣りの「鴫野神社」も以前は別の場所にあったが、少し長くなりそうなのでそれについては明日書く。今後も境内が広い生國魂神社に神社が遷座する可能性があるかは、大阪市がどのように変貌するかにかかっている。カジノや万博は大阪湾の埋め立て地の夢洲でのことで、神社のある地域は大がかりな変化のしようがない。あるとすれば東京の日本橋の地下化と同じように、横堀川に架かる高速道路を川下に通し直すことだが、それを無駄遣いと考える人の方が多く、また神社には関係のないことだろう。
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by uuuzen | 2018-06-02 23:59 | ●神社の造形


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