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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●遠足で訪れた場所に52年ぶりに行く、その2
かりのないように何事も準備するのはあたりまえと思っていても、必ず忘れものをしたり、遅刻したりする者がいる。宿題もそうだ。その意味で筆者はとても真面目な小、中学生であった。



それで先生たちからも好意的に思われていたのだろう。小学生の時は「中間」と「期末」の定期テストの合計点が学級や学年で何番目であるかがわからなかったので、自分の成績は通知票から想像するしかなかったが、中学生になると通知票の中に挟まれる用紙から学級や学年で何番目であるかがわかった。もちろんそれは自分だけが見るのだが、自然と誰が学級でトップの成績かはわかった。また、学年で1番を取る人物は学級の数とほぼ同じ数だけいたが、10人ほどのその連中は2年、3年になっても学級が同じになることはなかった。学校側がどのクラスも均等に成績のよい者と悪い者を等配分したためだが、中学の3年間を通して同じクラスになったことがないにもかかわらず、成績がきわめていい者同士は本能でわかり、顔も名前も知り、またお互いの家も知り、時には訪問し合い、一緒に遊びにも行った。類は類を呼ぶということだ。逆にワルはワル同士で学級を越えて仲よくなるか、勢力の張り合い、つまり喧嘩をしたが、これは中学生になると顔を見ただけでほとんどどういう人物か値踏みが出来、またたいていそれは当たっていた。先日ネットで、小中学生の友人はクソという意見を有名人が言ったことを知ったが、それは大人になって交際がなくなるからだろう。だが、生まれた地元に住み続ける人は少なくない。たとえば数か月前、阪急電車に乗った時、筆者の隣りに座った自治会の古老は、「今から中学校の同窓会に行きますねん」と言った。もう60年以上前の学友で、また毎年ひとりかふたりは欠けて行くというが、今でも10数人は集まるという。そう言えば下の妹は去年中学の同窓会をしたと言っていた。筆者は教えてもらったことがないが顔をよく覚えている女の体育との社会を教える先生が、独身のまま80代になり、まだ記憶が鮮明で、筆者のことを訊ねたそうだ。妹がどう伝えたのか知らないが、筆者はその先生にとって目立っていたのだろう。筆者は中学の同窓会を10数年前までは何度かした。ところが、、毎回来ていた者がふたり死に、またひとりは半身不随、あるいは遠方に転居するなどして、集まることが難しくなった。それに筆者は中学3年生ではなく、1、2年生の時の級友に会いたい人物がいるが、中1、中2の同窓会を開こうとする者はいない。それで中3の級友に会った時に会ってみたい旧友の近況を訊ねるが、転居してわからないことが多い。ともかく、小中学生の同窓生がクソというのは言い過ぎで、むしろ子どもの頃をお互いに知っている点で遠慮なく接することが出来る。だが、筆者は京都に来てからの方が長く、道ですれ違ってもお互い誰かわからない。人間はそういうものだ。移動しながらまた新しい人に出会う。
●遠足で訪れた場所に52年ぶりに行く、その2_d0053294_01383410.jpg
 前回書いたことを訂正する。それは中学3年生になって間もない5月の遠足の写真だ。修学旅行は東京だったが、その時筆者はカメラを持って行った。オリンパスのハーフサイズ・カメラで、フィルムを2分割して1枚分が撮れるもので、36枚撮りであれば72枚だ。ただし、大きく引き伸ばすことに無理がある。当時そのタイプのカメラが人気で、たいていの家にあった。筆者はたぶん母が中古を誰かからもらって来たか、借りて来たのだろう。母はなかなか社交性があって、わが家には大人がとてもよく出入りしていた。東京オリンピック当時はどこでもそうであったような気がするが、筆者が年齢の割りにませた部分があったのは、大人とよく接したからだろう。近所の数歳年配の兄さんたちからもよくかわいがられ、母はそのことを喜んでいた。家にこもりがちの筆者があちこち連れて行ってもらえるからだ。自転車の後部に乗せてもらったり、電車で遠出する、あるいは家に呼ばれたりするなど、数人の兄さんたちに引っ張りだこの時期があった。そしてそういう兄さんたちは、筆者が自分の成績のことを話したことがないのに、筆者のことを賢いとよく誉めてくれた。学校の先生と同じように、筆者が母ひとり子3人という貧困家庭であるにもかかわらず、筆者が真面目であったことを健気に思ったのだろう。それは憐れみではない。陰で見守るという感じだ。昭和30年代はそういう人間の温かみが強かった気がする。話を戻す。前回書いた「遠足のしおり」からはカメラを持参出来なかったことがわかる。今日はその「遠足のしおり」の全体と、左下の部分を載せる。5「注意事項」の最初は「手さげカバンはさけ、サブリックを使用すること。」、2行目は「カメラ、時計、現金、カン詰、ビン詰、チューインガムは持ってこないこと。」、最後の8行目は「食べ物は許可なしにたべないこと。」とあるが、カン詰、ビン詰、チューインガム以外の、たとえばチョコレートやキャラメルは持参してよい。またカン詰、ビン詰は具体的にどういう商品であったのか、よくわからないが、遠足の弁当のおかずや食事後のデザートとして缶詰を持って来ることも禁止されていたことになる。これは缶切りが必要で、また食べた後の空き缶の処分が困ったからか。これらの注意事項が今の中学3年生の遠足とどう違うかを調べると面白いかもしれないが、カメラや時計はスマホがあるので意味をなさない。もっとも、これらの注意事項は小さく書かれ、あまり重視されていなかったようだ。6行目の「建物その他のものにいたずらをしたり落書きをしないこと。」は中学生になれば常識としてわかる。ただし、大人による落書き事件がよく報道される。そこから考えると、筆者の中3時代より今の方が校則は厳しくなっているかもしれない。
●遠足で訪れた場所に52年ぶりに行く、その2_d0053294_01385214.jpg

by uuuzen | 2018-06-01 23:59 | ●新・嵐山だより
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