依存症といえば今はスマホか。電車に乗ると目の前に10人が座っていると、8人はスマホを睨んでいる。それは酒やギャンブルに比べると害のない中毒かもしれないが、何事もほどほどがよい。

それに最初は無害と思われていたものが後に有害とされる場合は少なくない。先日のネット記事に、昔のアメリカでラジウムを時計の文字盤に筆で塗る作業をしていた女工たちが筆先を舐め続けたため、知らず知らずのうちにラジウムで身体が汚染されて死んだことを知った。日本では戦後間もない頃、覚醒剤のヒロポンが薬局で合法的に売られ、その中毒になる人が多かった。便利なもの、快感をもたらすものには弊害がつきものかもしれない。ヒロポンが禁止された後、日本では煙草が以前よりも流行ったのではないか。その害が喧伝され始めたのはまだ3、40年前のことだ。ザッパは煙草を食物と言っていた。それほどに吸えば、身体によくないことは自覚していたであろう。それでもやめなかったのは、すでに深刻な中毒になっていたことと、また人間はいつか死ぬので、煙草をやめて多少寿命が延びたとしても壮年期にやるべきことをやっておくという意思があったためではないか。それはさておき、生國魂神社の北門の階段を上がって境内に入り、目の前の小径を進むと、昨日の3枚目の写真のカラフルな施設方向指示板が立っている。たくさん見るべきものがあるようで、そこで立ち止まってどこへ行こうかと思案するつもりにはなれず、自然と右手奥の赤い鳥居がある方角へと足が向く。つまり、この神社に初めて訪れ、また北門から入る人で左手に向かう人があるだろうか。それに分かれ道があると筆者は右に進む癖がある。右利きであるからかもしれないが、この神社の施設方向指示板の左手は目立つものが何もない。実際は井原西鶴の像があるが、それを知ったのはこれを書き始めてからで、訪れた日は気づかなかった。また昨日の3枚目の写真の右端にも銅像が写っていて、筆者はそれにまず吸い寄せられた。それが織田作之助の像であることは遠目にも直感でわかった。今思うと井原西鶴の像と対にするための設置かもしれない。等身大よりは小さいが、小径沿いにあってよく目立つ。織田作之助が大阪の有名な小説家としても、その像を有名な神社の境内に据えるほどかと思わないでもない。だが、今調べるとこの神社から200メートル東の生まれだ。ヒロポン中毒と言われ、33で死んだので作品は多くないはずだが、筆者はその小説を読んだことがなく、有名な『夫婦善哉』は映画で知るのみだ。街中に生まれた織田の小説は、同じように大阪市内生まれの人には理解されやすいと想像する。そう言えば藤本義一がよくTVで織田を持ち上げていたが、筆者は藤本の作品も読んだことがなく、今後も興味が湧かないような気がする。

織田の像を過ぎると鳥居や社がたくさん集まった雑然とした区画に至る。境内の北西部で、同じように見える社が4つ横並びになっている。その最奥つまり北にまず行き、順に南下して撮ったのが今日の4枚だ。順に「浄瑠璃神社」「家造祖神社」「鞴(ふいご)神社」「城方向(きたむき)八幡宮」で、これら4つの神社の前は広い芝生になっていて、比較的若い10数人が参拝目的というより、公園でくつろぐ感覚でたむろしていた。筆者らが北門の階段を上ろうとしていた時に出て来た西洋人の若いカップルも、そのようにして境内にいたのだろう。ということは、難波に観光で訪れる外国人観光客の間ではそれなりに散策すべき場所として有名なのかもしれない。周囲がビルで囲まれているが、ビルだらけの地域にこういう神社があることは気分転換にはよい。それに公園とは違って聖なる場所であり、くつろぐだけではなく、多少の心の浄化は出来るだろう。欧米であれば聖なる場所はキリスト教の教会しか思い浮かばないが、閉じたその内部とは違って、神社の本殿はたいていは中を見ることも入ることも出来ず、また神木など自然がつきもので、日本独特の宗教観に触れられる。そのようなことを思ってどれほどの外国人観光客が神社を訪れるのかは知らないが、繁華街に隣接して広い境内の神社があるという日本らしさは強い印象を与えるのではないか。また日本の神はキリスト教のように一神ではなく、あまりにつごうのよい、つまり純粋な信仰の対象とは言い難いという意見もあるが、狭い国土に多くの神を抱え込み、しかも時としてそれらの神はどれも並列に社が並ぶことは、好ましい民主主義とは言えまいか。先の4つの神社は、鳥居も社もほとんど区別がつかないほど同じ形で、名前が入れ替わっても不つごうはないように見える。これは最初からそうであったかと言えば、「城方向八幡宮」は以前は境内の東の鳥居前の蓮池近くにあった。その池は今は生玉公園となっているが、参道は谷町筋以東まで延びていたという。また明治まであった神宮寺は分離されて各地に散らばり、現在は江戸時代とはそうとう境内の様子が変化している。それにこの神社は最初は現在の大阪城の地にあって、秀吉によって現在の場所に遷された。この神社のある辺りから南の上町台地は寺が集中することは昨日書いた。が、それも秀吉の命令による。秀吉は京都でも寺を御土居の東端に集中させた。これは寺の力を削ぐためで、信長の意に倣ったものだ。現在でも寺はそれなりに権力を持っているが、徳川幕府が出来る以前は今とは格段に威力は大きかった。そのために為政者との間で権力闘争が起こった。これは簡単に言えば金をどれだけ多く持っているかで、それはまた領地であり、人材ということだが、宗教家は信心の重要性を説いて貧しい庶民の崇拝を受けやすい。

法悦の恍惚感は信心深くない者には理解出来ないが、どのような宗教にもそれがあり、信者はそのことによってなお信心を深くする。その法悦はたとえばヒロポンのように中毒になるらしい。ヒロポンのように使い過ぎて廃人になるというものではないが、自分が信心する以外の宗教を罵倒するのはどの宗教でも見られ、排他的にはなりがちだろう。そうでなければ団体として力をつけることが出来ない。法悦は団体感を味わうことで増す。それは現在では宗教を信じる人以外にもある。たとえばミュージシャンのコンサートだ。そして、その味わいを逆輸入の形で宗教が利用する。アメリカの主に黒人が行く教会がそうだ。日本では神仏が分離され、神社は宗教という感じがなくなり、信心がなければ地獄へ落ちるというかつて仏教が担った恐怖に訴える一種の強制から遠いが、神社も寺も金は必要で、それをどう集めるかが存続にかかわる。寺社に一定以上の力を持たさないようにした徳川幕府以降、ますます力を削がれた神社と寺は、伝統や格式を背景に自前で経営を成立させねばならず、氏子や檀家以外に訪れる人たちから広く薄く集金する。それには今のSNSが役立ち、かつてないほどの宣伝合戦の様相を呈してもいる。拝観料が徴収出来るような観光客に喜ばれる寺院はいいとしても、神社はだいたいどこも無料で、また賽銭を義務づけることも出来ず、境内の維持管理の収支をどのように取っているのかだが、SNSの力によって観光客が急増している神社もある。賽銭がそれほど増えなくても、参道の店の収益が増加すれば神社への寄進が増える。神社が経営難で廃絶したことは聞かないが、地方ではそうではないかもしれない。その実態を知らないが、時の権力者によって寺社が移転させられたり、また自然災害や戦争によって建物が変化したり、昔から同じようでいて確実に変わって来ていて、生國魂神社も今後どうなって行くことかと思う。だが、日本の神の数がとても多いことは、多少の神社がなくなっても神社という概念は消えない。その強み、逞しさを、神社を思う時に感じる。たとえば今日の最初の写真の「浄瑠璃神社」は、近松門左衛門ら人形浄瑠璃に携わった人たちを祀る。大阪ならではの神社で、またそんなに古くはない。この神社がある限り、文楽が安泰かと言えば、大阪市は文楽への援助を締めつけ、ごく一部の人たちが愛好するものとなっている。また文楽に代わって現在全盛期を誇る芸能関係者を祀る神社が今後建てられるかとなると、もうそういう時代ではなく、神社は大きな曲がり角に来ているとも言える。新しい神を造って祀るにしても、今はそういう人物はいないとの声が聞こえそうだが、それはわからない。国を代表する有名人が出れば、自然と国民から声が沸き、神社が造られるだろう。そこに危うさもあるが、面白さもある。